ただ ひとつだけ つたえなければならないことがあるんだ










 それだけ書いて、俺は筆記具(鉛筆)を力の緩んだ手から落とし、そのまま、座り込んだ前にある小さなテーブルに突っ伏した。ひんやりとした木の感覚が頬に伝わる。
 室内は暗いために視界は悪い。おそらくもうそろそろ日が昇るだろうから、窓のカーテンを開ければ多少光が入ってくるのだろうが、あまり動けば部屋の主を起こしてしまいそうで、怖かった。まあどうせ今更なのだから敢えてカーテンを開けて入ってきた光で目を覚ましてもらうのも悪くないななどと適当に考えて、なにを考えているんだ自分は、と思い直し、その考えは実行しないことにした。
 しばらく無言でよく見えない室内の壁の一点を見つめて、そろそろそれにも飽きてきて自分が瞬きを二、三度したと自覚した後、おもむろに身体を起こして、もう一度テーブルに向き直る。
 (勝手に拝借した)消しゴムを使って先程書いた一文を消し、消しゴムを放って先程の鉛筆に持ち替え、文を考えだす。考えたが上手く考えが浮かばず、とりあえずなにかを書かなければと先程と全く同じ内容の文章を書いた。(ただ ひとつだけ つたえなければならないことがあるんだ)
 そしてもう一度その文章を消し、もう一度テーブルに突っ伏して、目を閉じた。




 ただ ひとつだけ つたえなければならないことがあるんだ




 浮かんでは消えていく、言葉。




 上手に言葉には出来ない、だからこうして考えて、手紙にしてみた。
 昨日は本当にすまなかった。困らせて本当に悪かったと思っている。手のかかる居候でごめんな。―――




 所詮自分にはこれくらいの気の利かない言葉しか思いつけないのだなと限界を感じたところで、文章を考えるのはやめた。どうせ字は下手だし。見るに堪えないだろう。
 俺はふと身体を起こし(もう何度この動作を繰り返したことだろう)、手紙と同時に返そうと思っていた「ゲームボーイポケット」を手に取り目の高さまで持ち上げて、見て、それを慎重に机の上に戻した。が居ない間は体力の続く限りは手にしていたものだから、原型を留めない程度に分解したこれもなんとか元に戻った(はずだ)。
 そして俺はもう一度鉛筆を手にとり、もう一度文章を考え始めた、ところで、もしかしたらこれは直接伝える方がいいのかもしれないと思った。それでも上手く言葉が意味のあるものになる自信がなかった。だから結局はじっくり文章を考えて吟味して手紙にする方がいいと結論を出した。
"ただ ひとつだけ つたえなければいけないことがあるんだ"
 何度この一文を書いたことだろう。とにかく俺はそう書いて、文章をまた考え始めた。
















 「平仮名」ばかりの手紙をようやく書き終えて、鉛筆を元々あった場所(鉛筆立て)に戻した頃。なんとなく違和感を覚え、窓辺にそっと近寄ってみる。
 日が昇る気配が全くなかった。カーテンの向こうは尚も暗闇で、どうしたのだろうと疑問に感じてそれに手をかける。そのまま開けようとして一瞬怯み、そして一気に横にひいた。
 暗い空だった。もちろん日が昇っていないというわけではない、昇っていたが、見ることが出来なかった。空は雲に覆われていた。
 雲に覆われているせいもあるがやはりまだ早朝なために暗い空を無言で睨んで、それが切っ掛けになったというわけではないがふと思い出したことがあったために急いでテーブルに戻った。
 手にした鉛筆で、「平仮名」ばかりの手紙の最下部。そこに5文字、付け加える。


 ガイ


 ひとつは片仮名で書いた。(そう書くものらしいから)
 あとひとつはフォニック文字で書いた。(だからこれで5文字)
 一応形式上は"手紙"となっているのだから、差出人名がないのはおかしいと思ってのことだった。
 兎にも角にも俺は稚拙な平仮名ばかりの手紙を書き終えて、きっと読み難いであろうそれを畳んで、テーブルの上にそっと置いた。




 ただひとつだけ、伝えたいことがあったんだ。




 ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。
 そう、俺は彼女に、伝えたいことがあったんだ。