私は、この天下無敵号の甲板で色々なものを眺めているのが好きだ。

 たったひとりの幼い少年、セルジュの元に集った数多くの仲間達は、基本的に、彼と直接行動を共にしていないときにはそれぞれの居た世界に居る。家庭、職場、大自然。彼らには様々な、帰る場所があるのだ。

 しかし私は、彼と直接行動を共にしない、そんなときには、このANOTHERのエルニド海を漂う海賊船、天下無敵号に滞在していた。私には帰る場所がなかった。
 私は現在ではもう、単なる自身のわがままのみでセルジュと行動を共にしているだけなのだから、まだかつての光を保っているテルミナを見た今となっては尚更に、自らの居た世界に戻ることができなかった。

 だから私は海を見る。空を見る。そこには私の大好きな赤も蒼もないけれど、それでも私は海と空が大好きだ。
 この船の甲板から見える景色は、その中でも特別だ。本当は他にも、ふたつみっつ、特別な場所があるけれど。


「…お、じゃねーか。今は留守番か?」
 そうして私に声をかけてきたのは、同じく「留守番」状態である、この海賊船の船長、ファルガ殿だ。

「あら、ファルガ殿。こんにちは。」
「こんにちは、――なんてな。ハハ、あんたと話してると、こっちまで丁寧になっちまうよ。」
「そうお気遣いなさらず。私が居候させて頂いている身だもの。」
「ま、この際一人や二人増えたって変わらねーよ。好きなだけ居候してな。」

「仰るとおり、私は今は留守番だわ。まったく、セルジュったら私ばかり置いてけぼりにして…」
「俺だってそうさ。オッサンはお呼びじゃねーんだと。」

 軽い口調で言い合って、最後に目を見合わせて、笑う。
 ファルガ殿は、龍騎士としては決して因縁の浅くはない相手ではあったが、しかし彼個人は至って気さくで、思いやりのある、話しやすい人物であった。
 特にこの船に留まっていることが多い私には、会う機会の多い相手のひとりである。

「…そんなことないわ。きっとそのうち、セルジュが貴方の力を借りに来るときはある。それに、ファルガ殿はこの海賊船の船長だもの。そうしょっちゅう外出させてはいけないと思ったのでしょう。」
「……あんたは本当に、率直に、かつ、懇切丁寧にものを言うな――。返事に困る。」
「それは褒められたと受け取ってもいいのかしら?」
「好きにしろ。」
「ありがとう。」

 蛇骨館にてリデル様をお助けし、かつてのセルジュの敵であったアカシア龍騎士団とも手を組み、この天下無敵号を拠点とする旅を始めてから、日が少し経った。
 所詮は私の主観だから実際のところはよく判らないけれど、私も、他の人も、この旅にずいぶんと慣れてきたような気がする。この船に待機する者は待機し、それぞれの場所に帰る者は帰り、それでもセルジュの協力の要請があればすぐに飛んで行って、共に戦う。
 船で待機している間、かつては騎士団の人やテルミナの町の人々としか交流をもったことがなかった私も、多くの人と接するようになった。今ではずいぶんと打ち解けて、こうして冗談を言い合うこともできる。
 心から楽しくて、笑うことができる。


 また少しだけ他愛のない話をして、ファルガ殿は船内へと戻って行く。私はしばらく彼の消えた方を見ていて、それからまたしばらくしてから、先程までのように欄干に身体をもたれかけさせて、海の方を向いた。








 いったい私はいつまでこの旅を続けるのか、と、時々思う。考える。
 私がかつて、セルジュ達と同行を始めた理由はとうに消えてなくなった。カーシュ様を探すため。しかしその死、いや消滅を確認し、認識し、悲しみとして飲み込んだ今となっては、私がこの旅に同行する大義名分はどこにもないのだ。

 あのテルミナで、ほんのわずかな希望さえも見出せずに、また絶望の日々を送ることなど私にはできはしない。
 しかし、あのテルミナをパレポリ共の手より奪還するだけの力、勇気、気持ちは、今の私にはなかった。

 この世界、騎士団の方々の存命なさるこのANOTHERに居る限り、私は、カーシュと一緒に居ることができる。
 ……では、それは、いったいいつまで?
 私はいつまで、カーシュと一緒に居られるの?

 この旅が終わったとき、いったい私達はどうなるのか。
 それは私には判らないことであり、また、考えたくもないことであった。そして、考えなければならないことであった。

 剣を振るっているときは、忘れていられる。カーシュや、他の仲間達と笑い合っているときは、笑顔で居られる。
 それでは、そうでないときは?それが手の届かないものになってしまったら?


 本来は義務的である不確実な不安は、私を少しずつ、少しずつ蝕んだ。
 どこにあるとも知れない心がずきずきと痛む。私は悲しいのか怖いのか判らない気持ちで、欄干に乗せた腕に顔を乗せた。
 広大な海を見た。空も見た。

 そんな中、ふと、何も言わずにこの空と海に消えた、ツクヨミのことが思い出された。真っ赤な被り物とお化粧と涙が目印の、道化師の少女。
 彼女と、セルジュと、私とで、私のこの旅は始まった。仲間は増えた。今では龍騎士団と全面的に協力し、神の庭への道を開くため、龍神の加護を求めて旅をしている。

 しかしツクヨミは今はいない。

 意味深な疑惑をセルジュに残して、あの少女はどこかへと消えてしまった。セルジュとの同行を始めたときも唐突なものだったから、終えるときも同じくらいに唐突であるのだろう、と、セルジュは悲しげな猫の顔で、納得する様子を見せた。納得などしていない様子であった。

 数多くのことを知っていた彼女である。もしかしたら、この先の見えない壮大な旅の果てに待ち受けるものに、気づいていたのだろうか?
 それを知って、受け入れたから、彼女は私達の前から姿を消してしまったのだろうか?


 私には判らない。彼女の考えは、私からは程遠いところに在り過ぎた。気持ちは、思いは、私と同じところに存在していたはずだったのに。




 青い海を見る。青い空も見る。
 私の耳に、船の帆が風を受ける音でも、船が波を切って進む音でもない音が届いた。セルジュからの呼び出しだ。
 確か、今は彼にはカーシュが同行していたはずだ。私は嬉しい気持ちで、目を閉じて、呼び出しに応えた。