「カーシュ様……もしや、お加減よろしくありませんか?」


 斧の振りに切れがない。
 目線がしょっちゅう下に向く。
 今日、ここしばらくだけで、これらの自然ではない動作がいったい何度あったことか。
 斧を大地に乱暴に突き立てて、そこに乱暴に寄りかかって、部下を叱る。普段のカーシュ様を鑑みればいささか過激過ぎる行動だ。
 そこには棘があるだけである。刺さると痛い。さらに、中々抜けない。


「……うっせえな。別になんともねーよ。」

 そう答える声だっていつもとは違う。
 私はもちろん尚も心配をしていたが、カーシュ様ご本人がそれを詮索されることを良いように思っておられないのなら、と、口をつぐんだ。

 普段からがむしゃらにカーシュ様に自身を主張する私だけれど、なにも、自分のことだけを考えて好き勝手に振舞っているわけではない。
 カーシュ様の心の平穏は、私の平穏、幸せだ。カーシュ様の望むところを叶えられるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 普段から、がむしゃらにカーシュ様に自身を主張する私だけれど、そう思うのは本心だ。本当だ。真の心だ。
 ………私のこの、正体を知ってはならない感情、そこだけは、何よりも、自身がカーシュ様のお傍に入られることを望むのだけれど。

 それは私自身も気付いてはいけないことだから、絶対に外に露呈することはない。カーシュ様に知られてしまうことはない。
 …………。




 私はそれ以上何も言うことはせずに、黙ってカーシュ様には背を向けて、休憩時間を思い思いに過ごす兵士達から、少々距離を取った場に移動した。
 木陰に腰を降ろし、息をつく。一拍おいて、汗が頬を滑る。風が冷たい。

 カーシュ様のことを考える。
 具合が悪いのだろうか。何かよくないものでも召し上がったのだろうか。風邪を引かれたのだろうか。お疲れなのだろうか。
 様々な可能性が頭を巡る。
 けれどもそれらは結局は私の推測であって、何一つ確実な答えになり得はしないのだ。

 それでも、カーシュ様のことを考える。
 どうしたらいつものカーシュ様に戻られるだろうか。私は力になることはできないだろうか。私ではカーシュ様のお役に立つことはできないだろうか。私では駄目だろうか。私では、私では、私では、…




 私は立ち上がった。休憩時間はまだ終わっていない。考えるよりも前に手が出てしまう私の思考時間は非常に短かった。
 そうだ、私は。私は、考えるよりも前に手が出るのだ。先に行動してしまうのだ。
 テルミナの町の、おしゃれで華やかな女性のように、しおらしく、いじらしく、可愛らしく振舞ってみるなんてことは、私にはとてもできない。私は女性らしさなんてものは、当の昔にどこかへ忘れてきてしまった。今の私にあるのは、必要最低限の「女性としての教養」のみだ。

 私はカーシュ様の元へと走った。走る必要もないくらい短い距離を走って、大好きな蒼と赤の傍に行く。
 カーシュ様、と呼ぶ。やはりいつものようではないカーシュ様がこちらを向いて、しばし逡巡する様子を見せた後、言った。その言葉は私のものと同時だった。

「わたくしと手合わせ致しましょう!」
「シャルルワーヌ、あとで話がある。オレの部屋に来てくれ。」




 けれども私ははっきり聞いた。カーシュ様のその言葉を。
 大好きな人のものだ、聞き違えることがない。

 私の安い思考は一瞬停止して、直後に私はがしゃんと自分の両頬を手で押さえていた。間は頑丈な鉄板が2枚隔てているわけだが。
 そしてそのまた直後に、私はその動作の持つ、男性である龍騎士としての不自然さに気付き、慌ててすぐに直立不動の姿勢を取った。
 そしてそしてさらに直後に、直立不動のその姿勢は一種の疑惑のようなものに揺るがされる。私は最後の力を振り絞ってカーシュ様の名前を呼んだ。

「カーシュ様ッ!」
「あ?」
「……い、今、カーシュ様は何と仰ったのですか……?」

 聞き違えることはない。たった今カーシュ様の仰ったことは、一字一句違えることなく復唱することができる。自信がある。
 けれども私はそう尋ねてしまった。確かに自信はあったが、あまりに事実が私にとって魅力的過ぎたのだ。


 カーシュ様は少々面倒くさげに、それでも答えて下さる。
「あとで、この訓練が終わったら、オレの部屋に来いと言ったんだ。無理か?」
「いえそんな滅相もない!ございません!」
「そうか、ならいい。」
 カーシュ様がそう仰ったときには、先程から一転二転しきりの私の感情は今度はどこか遥か遠くに飛んでいってしまっていた。

 カーシュ様が!わたくしを!お部屋にお呼び下さった!!

 内心だけで有頂天になって、けれども表面には絶対にそんな様子は微塵もおくびも出さない。私はこのときは本当に本当に私の偽りの象徴とも言える甲冑に心から感謝した。

「訓練が終わりましたら、すぐに参ります!」
「……まあ、たいした話じゃないんだ。そんなに急いでくれなくてもいい。」
「いえ!わたくし全力でカーシュ様のお部屋に参ります!」
 私のその言葉を聞いてか、カーシュ様はそれまではどこか心もとなげだった表情を和らげて、小さく笑われた。おまえは相変わらずだな、と仰った。
 その事実がまた私の心をときめかす。




 騎士団兵として、カーシュ様をお慕いして早3年。その私がカーシュ様から部屋に呼ばれた!
 私はその日は、その日も、もちろん誠心誠意自らの剣を鍛えていたのだけれど、頭はカーシュ様のことでいっぱいになっていた。
 カーシュ様、どんな用事があるのかしら。どんなお話があるのかしら。何を話して下さるのかしら。
 カーシュ様のことで思考をいっぱいにして、私の剣を握る手を鈍らせるのは、私が絶対に存在に気付いてはいけない感情だ。だから私は鈍る手を叱ることもできなかった。
 ただとにかく、カーシュ様のお部屋に参るのが楽しみで、そればかりを愚かに考え続けていた。
 …………。