「…このようなこと、うまくいくのでしょうか……」
「大丈夫だ、問題ない。カーシュのことはオレが一番よく知っている。」
「あたしだって負けないんだから!…あたしも大丈夫だと思うね。あいつは先入観に捕われやすい男だから。」
「…………でしょうか。」
 マルチェラ様に髪を結われ、ゾア様の持って来られた劇団の衣服に袖を通す。
 そして私は室内に備え付けられていた鏡に自分を映して、はっと息を呑んだ。

「…これが、私……」
 鏡の面を挟んで向こう側には、私ではない人間が立っていた。装飾具のある女性の衣装――裾は足元まで長い清楚なドレスに身を包み、女性らしく髪を結い上げた人間が。
「ただ、声だけはもうあいつも聞いてるから、そこはちょっと意識するといいかもしれないね。
 ちょっと喋ってみてよ。」
 そう仰るのはマルチェラ様である。ゾア様が船内を駆けて服を調達して来る間に目を覚ました彼女は、もうすっかり落ち着かれた様子であった。
 マルチェラ様に促され、私は二言三言、女性らしさを意識して喋ってみる。するとマルチェラ様は満足したように笑って頷いた。

「上出来だ。それなら気付かれようがないよ。」
「……そうでしょうか…?」
「うん。信用してくれていいよ。」

 そう言うマルチェラ様はどことなく楽しそうである。すっかり元気になられて…と安心するものの、また別の面から私は不安になってしまう。
 果たしてこの状態で、大丈夫なのだろうか。


 ゾア様の提案はこうだった。
 船旅はまだ長い。その時間を使ってなら、応急ながらも兜を直すことは不可能ではないはずだ。
 だがそのあいだ、兜が直るまでの時間、私はいつどこでカーシュ様に会ってしまうとも知れない。それが問題だった。
 要は、男性であるはずの“四天王一行の龍騎士”と、女性である“”が、同一人物と知られなければよいのだ。
 その要点を突いた結果がこれである。私はマジカル・ドリーマーズ所有の派手な装飾の衣服に身を包み、おまけに髪型も整えられたりなんかして、全く自分でも見違えてしまうほど、別人になっていた。
 もしもゾア様マルチェラ様以外の他人に会ってしまった場合、カーシュ様には「マジカル・ドリーマーズの一員」、マジカル・ドリーマーズには「四天王一行の一員」として通すらしい。それによって生じる矛盾などは――どこまで隠せるかは、私の手腕にかかる、ということだ。
 それは数年騎士団で男性として振舞ってきた私のこと、たかがほんの少しの期間、素性をごまかす自信は無いこともない。


 ――私が手持ち無沙汰に服の装飾を弄んでいると、それを察してゾア様が言ってくださった。
「兜の破片は集めて、できる限り早く修理しよう。それまでは、なるべくなら目立たずに行動してくれればいい。」
「ありがとうございます。」
 私は頭を下げる。そちらの動作も意識することは忘れずに、昔私が教わった絶妙の速度と角度で行う。
 顔を上げると、マルチェラ様が笑っていらっしゃるのが目に入った。ゾア様の表情はこちらには見てとることはできない。
「それでは、わたくしは失礼させて頂きます。」


「終わったら呼びに行く。それじゃあな、。また会おう。」
「じゃーね、!……あ、」
 私も2人に応えて手を振ろうとしたが、マルチェラ様がふと気付いたように目を丸くされた。とんとんと二、三歩駆けて私に近寄る。
 そしてマルチェラ様は、耳元でぼそり。

「………そ、その…ごめんね、兜壊しちゃって。」

 かかる息がこそばゆいくらいだった。私はつい笑ってしまった。目の前のこの少女がとても可愛らしく思えたから。
 私は私のその反応に少々不満げな彼女の頭に手を置き、軽く撫でる。例え幼子とはいえ四天王にこのような行いをすることが大変失礼になるとは分かっていたけれど、なぜかは知れないけれど、こうすることが最も良い方法であるように思われた。
 本当はもう少し乱暴に撫でて差し上げてもよかったのだが、さすがに彼女の可愛らしい髪型を崩してしまうのはためらわれた。

 マルチェラ様がどこか懐かしそうに、けれども今度は気分を悪くはされないで私を見る。私は笑った。
 きっと、彼女が私を通してその目に映しているもの、人こそが、今回の旅で私達が見つけるべきもの、可能性なのだろう。
 私は今ようやく悟った。








「……海がきれいね――」
 あえて言葉に出してみる。どことなく、意識をして。
 そのようなことをしていたら、本当に自分がどこぞの町のおしゃれな女性になってしまったような気がしてきて、最初こそまとわりついていた恥ずかしさもすぐに薄れていった。

 ――私は私が憧れた、清楚で、可憐で、気品と情熱に溢れた美しい女性になっている!

 有頂天になるのは心の中だけだ。あくまでも私の憧れた像は、そのように喜びをみっともなく押し出してしまうような人物ではない。
 あくまでも見かけには大人しく、優雅にふるまっていなければならないのだ。

 私は船の欄干に手をかけて、海か空かのどちらかを見ていた。それはどちらでもいいのだ。ただどこか、遠くに視線をやっていさえすれば。
 青はどちらも綺麗だった。彼の人のもつよりも鮮やかで濃い青、空と海のそれはどちらも綺麗だったが、やはり彼の人の少しくすんだ青もとても綺麗だった。
 私はみな、大好きだ。


 そしてそんな自分に酔いしれながら、私は何をするでもなくその場に立つ。景色を眺め、頬を撫でる風に心を委ねる。
 だが、そのようなどこかぼうっとした意識の下でも、やはり私は私。いとも簡単に青ではない蒼を見かけた。

「(カーシュ様…!)」

 たった今船内から出て来た様子のカーシュ様は、周囲を見回しながらこちらに歩いて来ていた。
 私は期待に胸を高鳴らせるが、けれどもカーシュ様は私には正に「目もくれなかった」。
 歩いて来たカーシュ様は、私から少しだけ離れたところの欄干にもたれかかる。私は今カーシュ様と同じことをしている、との喜びも今回ばかりは沈んで消えてしまう。こんなにも近くに居るのに、カーシュ様は私に気付いて下さらない。

 そして私の静かな独り舞台は勝手に展開する。私は気付く。
「(…そうか、この格好だから……)」
 私はこの格好をカーシュ様に見て頂きたいと考えてしまっていたが、元よりこの姿は、カーシュ様に私の素顔を知られないためのものなのだ。本末転倒であった。
 私は悲しい思いで溜息をついた。あまり、恥ずかしいという気持ちはそのときはなかった。
 私は。カーシュ様は“”を、知らない。


 けれども、やはり私は私。カーシュ様に対する思いは誰にも負けはしない。
 たとえ、姿形が違っていようとも!

「……あ、あ、あのっ、カーシュさ…殿っ!」
「あ?」
 私はカーシュ様に声をかけた。私は私だが、私は今はだったので、口調も意識して変えなければならない。その結果が「殿」である。
 全くこちらを気にも留めてもいらっしゃらなかったのか、カーシュ様は最初気だるげなお顔をこちらに向けていたが、目が合うと少々慌てたように取り繕って欄干にもたれていた身体を離れさせた。その場に自身の力だけで立つ。
 私は欄干に残していた片手を引き寄せて、お辞儀をする。絶妙の角度速度、それからタイミングで。頭を上げてカーシュ様を見る。
 私の目ではない、“”の、目で。

「貴方はアカシア龍騎士団の四天王の方ですね。兼ねてより噂は耳にしております。お会いできて何よりですわ。」
「あ、ああ……」

 そう言って私が笑うと、カーシュ様は照れたように、いいや、気まずそうにと形容すればいいのか、ともあれそのような様子で頬を掻いた。
 このような反応は、私が私であったならば、絶対にないものである。私は事のあまりの新鮮さに落ち着きを失った。内心だけで。
 佇まいは変わらない。変わることはない。

「わたくしはあまり深い事情はお聞きしてはいないのですが……今回は、どのような事情で、この船に?」
「…事情、ねえ…」
 カーシュ様はあまり芳しくない様子で、言葉少なに話す。私はまだこのときは、その違和感に気付くには調子に乗り過ぎていた。

「まあ、人探しみたいなもんだ。これからこのエルニド中をまわる。」
「そうなんですか。大変ですね。」
「大変っつーか…」
 私はまだこのときは、自分のずるさに気付くには調子に乗り過ぎていた。

 そう、私は嘘をついているのだ、カーシュ様に。自身が変身できたことにうかれていて。
 カーシュ様を騙しているのだ。私はカーシュ様に不誠実な態度をとっているのだ。
 それでも、まだ、それらの事実は、私のうかれた心を覚ますには至らなかった。私にはそれよりも、理想の私の姿のほうが魅力的だったのだ。

「……一応、自分で決めたことだからな。たいしたことじゃねえよ。」
「ふふふ、素敵ですね。自分の求めるもののために、自分の足で旅をする。とても憧れますわ。」
「…………。」

 口元に手を当てて笑ってなんかみる私を、そんな私を見てくださっているのか、カーシュ様は赤い目をなぜか悩ましげに細めた。
 その目は私は今しがた目にした、マルチェラ様のものと酷似していた。懐古、不審、表面に浮かぶ感情こそ異なっていたが、カーシュ様の目は私にマルチェラ様のあの目を思い出させた。

「………風が出てきた。オレはそろそろ戻るよ。」
「あっ……お待ちになって!」

 そのカーシュ様がついと目を背けて、歩き出そうとしてしまう。私はとっさのことに思わず、彼を引きとめようと足を一歩踏み出した。
 その一歩が仇となった。私は履きなれないドレスの裾を踏んで転ぶ。カーシュ様を引きとめようとした手は何にも触れない。

「きゃあっ!?」

 女性らしく、女性らしく。そんなふうに考えていたら私は何を思ったのか、ろくに身体を庇うこともなく真正面から床に突っ込んでしまった。ぶつけた身体のいくつもの箇所が痛い。
 私は恥ずかしくてみっともなくて、もう泣きたい気持ちでひとまずその場で身体を起こした。そしてそれから、足を踏ん張って立ち上がるまでの、その瞬間に。

 私は見てしまった。困ったように、それでも心配げに、私に手を差し出すカーシュ様を。

 私は反射的に立ち上がるのにその手を取ってそれに助けられる。そう目に見えるわけでもないものの、汚れてしまったような気のする裾をぱんぱんと払う。
 けれどもその間、私の意識はどこか遠くへ飛んでいってしまっていた。行動に意識は伴わない。

「…あ、ありがとう…」
 これもまた反射的にお礼を言うと、その瞬間、やっと、私の頭に意識が戻ってきた。羞恥心と罪悪感を連れて。
 途端にそれらは私の中で膨れ上がる。むくむく、むくむくと。それでもまだ私にはとしての意地が何とか残っていたから、私が目に見えて取り乱してしまうことはない。

 小さく笑う。もう引き止めることはしない。
 するとカーシュ様も小さく笑って、最後に気をつけろよとだけ仰って、そのまま船内へと消えた。
 私はあくまでもとしてその場に立ち尽くして、その様子を見送った。見送った後私は一人になる。


 一人になって私は、今、私の為した羞恥と罪悪を思うと同時に、彼の人の像をただひたすらに頭にえがいた。まるでそれしか手段がない事実から目を背けるかのように。
 私のとった態度、私のついた嘘。ああ、恥ずかしい。自分が恥ずかしい。私はなんと恥ずかしいことをしてしまったのだろう。
 恥ずかしい。私は馬鹿だ、大馬鹿者だ。

 この世のありとあらゆる全ての負の感情に身を震わせ、私は立ち尽くす。
 そして頭に浮かぶのはカーシュ様の姿。に対する、カーシュ様の態度。
 私はそれに一種の絶望を覚えた。


 ――私は私の理想の姿になれはしない。


 その感情は、私にとっては目も背けたくなるような、嫌悪すべきものであった。
 そして私の目の前に立ちふさがる、圧倒的な現実であった。