「――ああ、親父、身体には気ィつけろよ。」
「おまえに言われんでもわかっとるわ。おまえこそな。」








 ザッパ殿の背中を、どこか寂しげに見送るカーシュの背中を、私は見守る。見守っていた。
 見守るのをやめて、カーシュに歩み寄る。気が付かない。カーシュは私に気が付かない。すぐ背後に立ったのに気付かれなかったから、私は彼の背中をちょんと肘で小突くのと同時に、低い音で声を出した。

「父として接するのね、ザッパ殿と。」
「――おわァっ!?」

 意味のよく判らない瞬間の間をもって、カーシュはびくりと両肩を強張らせた。同時にこちらを向いた顔は驚きの一色に表情が塗り潰されていて、一連の動作といい現在の様子といい少々おかしかったから、私は小さく声に出して笑った。アカシア龍騎士団の四天王が、この様である。
 それを見たカーシュの表情の驚きが薄れる。換わりに入ってくるのはどこか不満そうな色だ。


「なんだよ。」
「親父、と、お呼びしていたから。思ったことを申し上げたまでよ。」
「……親父は親父だ。そう呼んで何が悪い。」
「……率直に言わせて頂くと、今のザッパ殿はあなたのお父上ではないのに、と、疑問だったの。」

 それまでの冗談めいた口調から一点、私は正直に自分の気持ちを、真摯にカーシュに述べた。
 これは私の本当の気持ち、疑問だったが、しかし彼に伝えなかった感情も、もしかしたら私の中にはあるのかもしれなかった。この胸の中で渦巻く、どろどろとした、男性に伝えるには少しばかり重過ぎる、刺激が強い感情だ。

「そうよね、カーシュ。」
「ああ、そうだよ。あのザッパはオレの親父のザッパじゃねえ。」

「でも親父にとっては違う。オレはあのザッパの息子だ。」

 私は当時、HOME世界で再開を果たしたザッパ殿とカーシュが、どのような対話を為したのかを知らなかった。
 しかし現に、事実として、現実として、カーシュはザッパ殿を「親父」と呼び、ザッパ殿はカーシュを息子として扱っている。

「世界が違うというのに?確かにザッパ殿はあなたを息子として扱われているかもしれない。それでもあなたが彼の息子でないという事実は事実として、確かにここにあるのよ。」
「……、何が言いたい。」
 カーシュの声が、いっそう暗く、重みを帯びたものになる。私は構わずに続けた。
「真実を伝えて差し上げなくても、よいの?自分はあなたの息子ではない、あなたの息子は既に死んだ。だから息子として扱うのはやめてくれ。――そう述べることが、あなたにはできるはずよ。」


 私は真実を知った。否が応でも知らされた。そのとき私は、悲しみの真っ只中へと突き落とされた。
 そして私は、カーシュをカーシュ様として扱うことを禁じられた。それならば、ザッパ殿とて。
 ……直接言葉にできるほど、この感情は生易しいものではない。そしてまた私のこの自尊心も、それをカーシュに直接伝えることに耐えられる程、弱く出来てはいなかった。


「伝えたさ。」
「!」

 カーシュから返ってきたのは、およそ私の想像の範疇にはなかった言葉。

「ならば、何故――?」
「言葉で説明したって聞きやしねーんだよ。おまえは俺達の息子だ、そう言ってな。」
「…………。」
 私は頭の片隅で、私のこの感情とは違う、親の子供に対する愛情を思い浮かべた。しかし子供など持ったこともない私にそれを理解することは難し過ぎたから、せいぜい私の両親の場合のそれに当てはめて比較してみることくらいしかできなかった。カーシュの両親の愛情は、とても深く、また、硬い。

「だから言ってやった。オレはあんた達の息子だ、…ってな。だから親父は親父だし、オレは親父の息子だ。それでいいだろ。」
「そんなことで……」
 目を伏せる。
「……ごめんなさい。勝手なことを言ってしまって。」
 視線を上げてカーシュを見た。すると彼はどこか何もないところに視線を泳がして、取り繕うように言った。
 そこには直前まで彼がまとっていた、接する者全てを圧迫してしまうような、漠然とした怒気は微塵も感じられなかった。
「べ、別に、おまえが謝ることじゃねえよ。……ほら、その、――気になったんだろ、色々と。」
「…………。」
 その言葉が暗に訴えている事実が、不謹慎ながらも私はこのときとても嬉しくて、一瞬返答を忘れてぽかんと黙り込んでしまった。
 言うべきことを思い出したのは、沈黙に耐えかねてカーシュが一度私の名前を呼ぼうと口を開いたとき。お互いがお互いに言葉を被せるように発言しかけてしまい、またお互いがお互いに沈黙を重ねる。

「…………ごめんなさい。」
 謝るのは、ひとつのことに対してではない。
「だから、謝ることじゃねえって。いいんだよ。」
「カーシュは優しいのね、ありがとう。」
 そして私はこのとき、ふと気付いた。ふと気付いたことがあった。
 カーシュは優しい。それはこうして接してきたからこそ判る、確かな事実だ。カーシュ様ではなくて、カーシュが優しい。
 もしかしたらあのとき、彼が私にした残酷な宣告は、確かに私にとっては残酷な死刑宣告に等しいものだったけれど、ただ、それだけではなかったのかもしれない。いや、それだけではなかったはずだ。
 カーシュは優しい。

「ねえ、カーシュ。」
 もう絶対に二度とこんな愚かなことは言わないぞと、内心決め込んで、カーシュに尋ねる。
「……私には、そう言って下さらないの?オレはおまえの上司だ、って。」

 カーシュは一瞬怪訝そうな顔をして、目を丸く見開いて、けれどもそれらの様子はすぐに消して、答えた。真摯に応えてくれた。

「……言わねえよ。おまえはそれで、嬉しくなんかないだろう?オレにそう言われたって。」
「……………。そうね。そのとおりだわ。」

 私とザッパ殿は違う。私には鍛治の経験などないし、店を構えたこともないし、そもそもカーシュ様の存在をこの世に生み出してなどいない。全てが違う。
 そして、カーシュ様と、カーシュも。カーシュ様は優しかったが、カーシュは優しかった。

「! ……なんだよ。何がおかしい?」
「いいえ、違うの。嬉しかったから、つい……。」




「カーシュは優しいのね。」
「…またかよ。別にオレは、優しくなんかねえっての。」
「そんなことないわ。あなたは優しい。あなたと話していると楽しい。」
「だーかーら、ちげーって!だいたいなあ、オレがおまえにこんなこと言えるのも、何となくおまえの気持ちが判るからってだけだ。」
「え……?」

 思わずぽかんとして、カーシュを見上げてしまった。
 しかしすぐに私は思い当たる。なるほど、そういうことか。女の勘は鋭いものなのである。
 気付くと同時に私は少し悲しい気持ちになって、言おうか言わまいか暫時迷って、しかしカーシュが明るく振舞って下さっていたから、そんなものはすぐに打ち消して会話を続けた。

「まだ好いていらっしゃるのね、リデル様のこと。」
「う、うるせえ!余計なこと言うな!」

 口調こそ怒りながらも、どこにも怒りが感じられない。カーシュは本当に優しい男性だ。

「でしたら、共に語らいませんこと?わたくし、戦い程度しか取り得のない女ではございますけれど、これでも女心は判るつもりですわ。そんなものがさっぱり判らないでしょうあなたに、アドバイスして差し上げます。」
「…お、おお…よろしく頼む…?…――って、余計なお世話だっつーの!」
「遠慮はいりませんわ。さ、こちらへいらっしゃいませ。」
「だーっもう、はーなーせー!あっ、おい小僧ちょうどいい、この無駄に丁寧な口調の女をどうにかしてく――って何でニヤニヤ楽しそうに傍観してんだ!!」