「あげないのー?」




「ふくたいちょはあー、あのひとにー。」
「あら何のことかしら?」
 大切なことの抜けた質問に質問でエバンナは返した。この時期、それもこんなときにこんなことを尋ねられたというのだから彼女には何となくでもその真意は解ってはいるのだが、しかし敢えてそうした。
「今ちまたで女の子たちの間で流行してるやつ。」
「あの人、って誰かしら?」
 エバンナは尚も目は本に向けたままで、だからクィンにはその表情は伺うことはできない。表情が一切見えない。例え見えていたのだとしても、その真意を伺うことなどできはしないのだけれど。
「ふくたいちょの大切な人。」
「もうあげたわ。」
 言った途端にエバンナにはクィンがぷっと頬を膨らませたのがよく解った。その表情を見ずともいとも簡単に判断できる。「あげちゃったのー。」と彼女が不満たっぷりに言ったのは、俗に"バレンタインデー"と呼ばれる日の前日である。
「はやくない?」
「善は急げというものよ。」
 どんなにクィンが不満な様子を見せてもエバンナは口調を変えない。彼女はどこまでも判らない人だと思う。少なくともクィンにはさっぱりわからない。
「でも今日はそれ読んでどうするの?」
「あら。」
 その質問で初めてエバンナは本を降ろしてクィンを見た。少し赤色の混ざった珍しい色の目で見つめる彼女がそこにいる。クィンは表情を変えずに、そのどこか心配したような表情でエバンナを見ていた。
「読書は個々の自由であるはずだけど?」
「それに疑問を抱くのも個々の自由、です。」
 エバンナは本を手近な机の上にしおりを挟んでから置いた。「バレンタインチョコ100選」というタイトルの本だ。表紙にはラッピングされたハート型のチョコレートがあしらってある。
「何でもうあげちゃったのに見てるの?」
「まだあげる人がいるからよ。」
「え……」
 薄い赤色の瞳がぴくりと唇と共に震える。
「だれ?」
「うちの男共。」
「ああ……」
 クィンの脳内に、素早く2人の男の姿が浮かんだ。女々しいシーフと、男らしい弓使い。本当はそこにもうひとり浮かぶはずの隊長の姿は、今はどこを探してもこの世界にはない。クィンの心の中にさえも。
「カーティスと、ウィリーと、それともうひとり。」
「え?」
 わざわざほのめかすように言ってやると、律儀にも疑問符でクィンは返してくれた。エバンナはそんな彼女に向けて片目を瞑って答えてやる。「うちの一番厄介さん。」
「…ふくたいちょ……」
 エバンナはいつものあの不適な笑みを浮かべて言ってくれた。民衆の前で見せるようなものじゃなくて、隊長の前で見せるようなものじゃなくて、クィン達ザルバッグ隊のみんなだけに見せてくれるあの笑みで。
「あの人の好きなもの、全部入れてあげましょう。」
「……うんっ!わたしも作るっ!」
 クィンは満面の笑顔だった。エバンナも笑った。
 クィンの心の中に、ぽっ、と、しかめっ面の「うちの一番厄介さん」が姿を現した。やっぱりいつもの表情でいるのは、今日もまた他の「厄介さん」に困ったことがあったからだ。