「おもしろそうなもの」
「みーつけた!」




「解説しよう、この妙に分厚くて重くて古めかしい冊子の正体は――」
「うわあああッ!!」
 解説が大声によって遮られる。そして終了。その続きの意味するところはなんとなーくでも部屋に居る全ての人間に伝わったのだから、もうそれがなされる意味はない。
 カーティスは実に面白そうな笑みを貼り付けて、冊子を取り返そうと迫ってくる北天騎士団団長の攻撃を軽く避けた。どうでもいいことだが、軽々と冊子を持ち上げているように見える片手は実はぷるぷると震えている。要するに重いからだ。
 北天騎士団団長、いわゆるザルバッグ・ベオルブ、つまるところのカーティスだけでなくこの部屋にいる全員の上司である男の大声によって、彼自身の意思には反して全員の注意は彼らに、ひいてはカーティスの手の中の冊子に集まる。
「どうなさったのですか?」
 手にははたき、口元には叩けば出てくる埃から喉を守るためのピンク色の布、完全にその場に溶け込んでいつものように見事なまでに仕事を遂行していたエバンナは本棚の正面に立ったまま、部屋の中央でもめる2人に冷静にそう言った。聞きようによっては「白々しい」ともとれる。少なくともザルバッグにはそうとれた。
 そしてその直後、どたばたばたんとか何とか、ともすればそれまでの短くはない時間の労働を無に返してしまいそうな程の音を立て事態を引き起こしながら、扉を壊さんばかりの勢いでウィリーが隣の部屋から飛び込んで来た。
「どうしましたか、隊長っ!まさかまたカーティスが何か壊したんじゃ――」
 元々いた部屋にて散々埃を立ててきたため、言葉のほとんどで咳き込みながらの物言いである。げほごほごほごほ。それと尚も隣の部屋で崩れる何かが立てる物音とでほとんど言葉は聞こえない状態だったが、しかしそんなものを打ち破ってしまう程に彼の執念は強かった。
「全く、ぎゃあぎゃあとやかましいわよ。騒いでないで手を動かしなさい。」
 そんな中、この場における臨時のリーダー、シェルディが毅然とした態度で廊下側から入室して来た。頭にバケツを載せ、片手にはまたこちらもバケツ、もう片方の手には清掃活動に使用するためのものではないホウキを持っている。
 そう、もう既にお察しの通り、現在は北天騎士団ザルバッグ隊メンバー総出で、清掃活動をしていた。場所はここ、イグーロス城にて騎士団団長、いわゆる以下略に与えられた執務室である。まったくどうして大の大人が6人がかりで、一人の男の汚い部屋の掃除などせねばならないのか、それはとりあえず、部屋を使用する人間の人柄、それと共に現在の、そしてこれからの状況を鑑みてくだされば察するにたやすいだろう。
 清掃活動においての、最高責任者、最高権力者、最高指導者、3つのKどころか3つの「最高」の役割を担うビッグな人物の登場により、その場は自然と静まり返る。必死に冊子を取り返そうと騒いでいたザルバッグすらも、だ(というよりは、元々主に騒いでいたのが彼であっただけなのだが)(そしてもうひとつ、清掃活動をせざるを得ない状況を作り出したのが彼であったことも理由として挙げられる)。現在彼女に逆らえばどのような末路を辿るのか、皆が皆察していた。


 しかしそれでも動かねばならぬときがカーティスにはあって、勇敢にも、決して無謀ではなく、彼は動き出した。掃除を再開するためにではない。
 こっそりと震える片手を内心で叱咤激励して、彼は3つの「最高」の元へと歩み寄った。
「……何よ。」
 手の中のホウキが獲物を求めるかのようにさまよう(語弊有)。
「これ、なーんだ。」
 口の端を上げて目を細めて、カーティスはさも楽しそうな不敵な笑顔を作って言った。持ち上げる手がそろそろ限界だがそれは内緒だ。
 そんな彼の背後でザルバッグが遠慮がちに声をあげる。ついでに片手も上げる。しかしその声は2人の耳には届いてもどちらの興味もそそらなかったし、上げられた片手はそのまま力なく落ちた。
 おそらくは問題の中心に居たであろう人物を差し置いて、シェルディとカーティス、2人のやりとりは続く。
 シェルディは頭のバケツを落とさないまま頭を軽く傾けて、目を細めてカーティスの手の中のものをざっと一瞥して、彼の問いに答えた。
「本ね。それも相当古い。また、ページの材質が分厚く、ただの紙であるようには見えないことから、単なる書物ではないと思われる。何かの記録をまとめたものかしら?」
「さすが、素晴らしい観察眼をお持ちだ。」
 片手を降ろしてこっそり冊子を持ち替えてそして本と手とで拍手をする。ぱちぱち、ではなくてばしばし。ただ場の空気を冷やすだけの寂しい音がしばらく沈黙した中に続いた。
 エバンナははたきを手に我関せずといった様子で本棚に向き直り、ウィリーはしばらく場の様子を見守った後、自身の出る幕ではないと察してまた自分の担当の場所へと戻っていた。だから部屋に残るのは、3人のみ。


「…で、それがいったいなんなの。」
 あくまでも興味を示さないシェルディの様子に、カーティスは笑みの中に何かをたくらんでいるような怪しげな色を混ぜた。楽しそうな、は尚も健在である。
「お前も興味あるだろう?隊長の、幼いときの――」
 中途半端に間を取ってから、カーティスは背中に突き刺さる「隊長」の視線にも負けずに最後まで言い切った。言われなくはなかったことを言われてしまって、ザルバッグはわなわなと唇を奮わせる。
「アルバムだ。」
「あ、そう。」
 しかしその言葉に意図的に持たせた重みに反して、相手の返事はどこまでも軽かった。シェルディは暗い色の瞳を細めたままバケツを頭に載せたまま。時たまそれで首が疲れたとでも言うように、わずかに頭を傾ける。
 ほんの少しの間沈黙が流れて、カーティスは鳩が豆鉄砲どころか水鉄砲を食らったような間抜けな顔をして間抜けな声を出した。
「は?」
「馬鹿なことやってる暇があったらさっさと働く!」
「いや、ちょっ……おい、待てよ。」
 隙のない雰囲気を作って見せることはもうそっちのけ、カーティスはどこまでも重かった冊子を床に置いてからシェルディに詰め寄る。
「興味、ないのか?」
 顔を覗き込む。
「隊長の小さいときだぞ?」
 鼻と鼻とが触れ合ってしまいそうな程、顔を接近させる。
「お前のだいすき、なっ」
 その言葉は不自然に途中で切られた。シェルディの足先(装甲に覆われている)がカーティスのすねにぶつかっていた。
 悶絶。
「――隊長の幼いときだってッ!?」
 そして扉が勢い良く開く。1人の戦線脱落のタイミングを見越したのかどうかは誰にも判らないが、また一人新たな戦士が清掃活動をなげうって戦場に乱入した。今度もやはり、その背後の室内では必死に積み上げたのだろう書物が崩れているのには構わない。
「見たい!僕、それを拝見したいです!」
 しかし今度は舞い上がる埃の量は先程よりはずっと少ない。ほとんど咳き込まずに、無事ウィリーは自身の意思を言い切った。
 しかしその場に居た当事者は、事態に全く興味を示さない最高権力者と、すねの痛みに悶絶する仕掛け人と、大きく出られずその場に立ち竦む人物だけだった。言葉は誰に受け取られることもなく寂しくこだまする。しかし、本来はそれまでは真剣に清掃活動を行っていたことも理由となり、最高権力者からの説教を受けなかったのは幸いだった。
「……えーと、」
 一拍置いてから、ウィリーは改めてザルバッグに目を向ける。かち合う。きらきらと未知のものへの興味に輝く瞳と、事態をうまく収集できずに頭を抱えていた者の疲れた瞳とが。
「………勝手にしろ。見ても楽しいものはないぞ。」
「いえ、そんなことはありません!」
 渋々といった様子でもザルバッグがそう言うと、ウィリーは瞳だけでなく、少年のような笑顔をぱあっと輝かせた。
 そして惨状を広げる部屋の扉をぱたんと閉め、やっと痛みのピークから抜け出したカーティスの足元に置かれる冊子に駆け寄った。


「あら、アルバムを見ているの。隊長、私も拝見してよろしいでしょうか?」
「構わん。」
 既に敵わないことは知っていたから、ザルバッグは顔を向けようともせずに二つ返事でエバンナの申し出を了承した。はたきがその場に置かれピンクバンダナが外され、清掃戦線を離脱した彼女もアルバムの傍へと歩み寄る。
 結果として、今度は大の大人が3人でひとつの冊子の周囲に座り込む状況となっていた。
 その場に立っていた残りの2人、ザルバッグとシェルディの視線が、3人の頭の上でかち合う。
「…………。」
「…………。」
 しばしの沈黙の後、シェルディは少しだけ悲しげな色を含んだため息をついて、ザルバッグはいかにも気まずそうに俯いた。
 その様子が他の3人に疑問に思われることはない。
 しばらく、言葉のない時間が流れる。3人は興味深そうにアルバムに見入っていた。
「ああ、そういえば、シェルディ。」
「………。」 
 シェルディがちらと目を上げて、ザルバッグを見やる。気まずさから脱出する手段その1、全く関係ない話題を振る。
「クィンがいないじゃないか。」
「知らない。」
 一刀両断。ザルバッグの表情がわずかに引きつる。
 しかしシェルディは、彼のそのような意図すら飲み込めない程勘の悪い女性ではなかった。彼女は特には表情は変えずに、淡々と言葉にする。それはザルバッグにとってひとつの救済であった。
「それなら探しに行って来たら。あの子なら少し前に何か用具を取りに行ったっきりだから。」
「あ、ああ。」
 それを受けて、ザルバッグは部屋を出るほうの扉に歩き出す。そしてその背中を力強い手が力強く叩いた。
「ひとつ言っておいて。どうなるか、解っているかって。」
「……解った、言っておこう。」
 先程とはまた違った意味合いで表情を引きつらせたザルバッグは、それでもその後押しを受けて部屋を後にした。








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