誕生日を祝うのは、気持ちだ。そしてそれを抱くのは、他の誰でもない、ザルバッグ自身だ。
 徐々に近づいてくる足音と気配を背中で感じ、ザルバッグは息を吐いて拳を握った。
「兄上。」
 廊下を曲がって姿を現した男性に、手の中の花束を差し出す。どこぞのシーフのように、無駄に大仰な動作で。最初は直接本人と目を合わせないのがポイントだとか、なんだとか。
「お誕生日、おめでとうございます。もう日も暮れてしまっていますが、お祝いに参りました。」
 大切なのは、祝う気持ちだ。
 でも、そこに、気持ちを形にした品物、そして気持ちをより良く伝えるだけの工夫があれば、もっと素敵な誕生日祝になる。
「この花はオレの気持ちです。我らのベオルブ家の庭より摘みました。受け取って下さい。」
 ここで、ザルバッグは顔を上げた。そして兄、ダイスダーグの顔を見る。驚き目を丸くする青年の顔がそこにあった。……ん、青年?
「………や、悪い…俺にはそういう趣味はないから……アンタの気持ちは嬉しいけど、無理だわ。」
 表情に不快感をあらわにして、青年、カーティスは言った。その手の中には、ちゃっかり花束が納まっていて、どちらかといえばザルバッグよりも彼に似合っていた。
「なんでお前がッ!?あ、兄上っ!」
 慌てて振り返る。遠ざかる背中。あの後ろからでもわかる特徴的な頭髪は、紛れも無くダイスダーグのものだ。
「ちょっとキンチョーし過ぎじゃありませんー?俺と卿を間違えるだなんて。」
「元はと言えばお前が気配を消して歩いてくるからだろうがっ!紛らわしいんだよ!」
「えーそんな身に覚えのないことをー」
「やかましいっ!」
 即座にまた方向転換、相変わらずのダルそうな様子のカーティスの胸倉を掴んで詰め寄る。全く目を合わせようとしない彼をがくがくと揺さぶる。
 そうこうしているうちに、目的の人物はどこかへと姿を消してしまっていた。








「だから最初っから無茶だったんですって。いったい俺の行動から何を学ばれたのかは知らないッスけど……たいちょーがお兄さんにお花プレゼントなんて、ぜったいよっぽど単身ドラゴン撃破のほうが簡単ス。」
「う、うるさいっ!オレなりに必死に考えたんだ!」
 言っている内容は冷静になって考えてみれば至極自然なことだったのだが、どうにも、やけに楽しそうに話す人物のせいでその真実味を薄めてしまっている。ザルバッグには信用することができない。
「ま、この花は俺がもらったものですし。花じたいは俺は嫌いじゃないですから、部屋にでも飾らせてもらいますね。」
「おいッ!」
 止めようと伸ばした手は今度はいともたやすく避けられる。別れの挨拶とばかりに花束が揺れて、緑色の背中が小さくなった。
「…………。」
 やりきれない思いで、ザルバッグは立ち尽くす。
 不意に、その背中に声がかかった。
「ザルバッグ。」
「!」
 慌てて振り返る。
「兄上!」
「…騒々しいぞ。いったい何時だと思っている。」
 有無を言わせない口調だ。ザルバッグは気付かれないように気を落として、それでもはいと頷いた。すみませんと言った。
「……。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。」
 もう一度謝った。それだけだった。
 ダイスダーグは何を言うでもなく踵を返して、ザルバッグはそれをただ無言で見送る。その手にはもう、花束はない。
 何もない手の平を見て、ザルバッグはそれを消し去るために拳を作った。拳を作ったまま、両手をしっかり振って、兄に向かって歩き出す。
 今度はこちらから声をかけた。慌てた様子もなく振り返られた。
「お誕生日、おめでとうございます!」
 “大声で”言って、腰を折る。反応はない。つまり、継続して歩く気配もなかった。
「…………。」
 立ち去る気配すら感じられない。どうにも不安になって、ザルバッグは顔を上げてしまった。
 ダイスダーグの、まっすぐにこちらを見ていた瞳とかち合ってしまった。
 数秒にわたる、いい年した大人の男の兄弟の見つめ合いの終了は、兄のほうが目をそらしたことによって告げられた。
「……お前は本当に、真っ直ぐに人を見つめるのだな…」
「……え?」
 何も判らずに語尾を上げる。ダイスダーグの呟きは誰に届くこともなく消えた。
「………明日も早いのだろう。あまり遅くまで起きていないように。」
 代わりとばかりに届いたのは、そんな言葉だった。ザルバッグはきょとんとしてダイスダーグを見た。
「…は、はい……」
 ひとまず頷いて、そしてそこはかとなく感じた違和感に首を傾げる。
 そうだ、今のはオレを心配した言葉なんだ。
 少し考えた後にそこに辿り着いた。
「ありがとうございます。」
「……は?」
 今度はダイスダーグが語尾を上げた。ザルバッグの言葉は彼に届いたようだった。
「あ、あの…」
 ザルバッグは、何かおかしなことを言ってしまっただろうかと不安になる。
「どうしてお前が礼を言う。」
「え、」
 思わず、まじまじとダイスダーグを見てしまった。今度は目は背けられない。どうやら真剣に疑問を抱いているようだった。
「どうして、って…。心配して下さったのでしょう?」
「馬鹿なことを言うな。礼を言うのは私のほうではないか。」
「……え?」
「誕生日を祝われたのは私なんだぞ。」
「ああ……」
 なるほどと思って相槌をうつ。なんだそういうことか。ザルバッグは、妙に納得してしまった。
 それと共に、なんだかおかしい気持ちになって、つい小さく笑ってしまった。
「どうした、何がおかしい。」
「いいえ、何でもありません。おやすみなさい、兄上。」
 半ば一方的に挨拶を告げると、どこか納得のいかない様子でダイスダーグは黙り込んでしまった。
「………。」
 結局言葉は返らない。それでもザルバッグは、小さくなる背中を明るい気持ちで見送った。