とある昼下がり。北天騎士団本部、団長執務室にて――








「隊長、こんにちは。お疲れのところ恐縮ですが報告があります。
 クィンが前庭で暴れているとのことです。その場に居た者では手がつけられず、また本人も、北天騎士団団長を出せと要求しているようです。
 あまりお時間がないようでしたら、僭越ながら私が現場に参ります。いかがなさいますか?
 了解致しました。それでは、その件については私にお任せ下さい。ありがとうございます。早急に前庭へ。
 ――あ、そうだ。これはシェルディから。こちらに置いておきますので、全てが片付いたらお召し上がり下さい。」








「あ、隊長。全く何やってんすか。アンタがさっさと来ないせいで俺がいい迷惑ですよ。見て下さいこの焦げ跡。良い男が台無しだ!
 だいたい俺は、あいつと違って忙しい身なのに……ぶつぶつ。あ、そうかあいつ暇だからイライラしてんのか。てきとーにあしらってやってくれ。アンタにならできる!
 よし、この際だからちょうどいいだろ。アンタに渡すはずだった書類。……大変なことになっているが、これはあくまでも俺のせいじゃないからな。俺は不測の事態に遭遇したんだ。俺のせいじゃない。俺は悪くない。
 それじゃあばよ、たーいちょ。健闘を祈る!」








「たーいーちょー!もう、やっと来てくれたあ!わたしずーっと待ってたんだからね!この人たちぜーんぜん相手にならないしぃ!
 だってね、わたしのせーしんせーいのファイガ一発だけで倒れちゃうんだよ!ううん、もしかしたらファイアでもいいのかもしれない。矢だってぜんぜん速くなーい!わたしにだって簡単に撃ち落とせちゃうよ。黒魔法なんて論外。リフレクじゃ跳ね返せないくらいのおっきいのほしかったのに、こんなんじゃいつまで経ってもホーリー撃てなーい!
 やっぱりわたしのこのたぎる情熱を受け止めてくれるのはたいちょだけ!さあいくよ、北天騎士団ザルバッグ隊所属魔道士クィン、いざ参るっ!」








「ああザルバッグ、こんな所に居た!クィンが暴れてたって言うから、どうせまたあなたが駆り出されたんじゃないかと思って心配していたのよ!
 せっかく温かいもの作ったのに、これじゃすっかり冷めちゃったでしょうね。まったくこの子ったら――。起きたらきつーく叱っておいてあげるんだから。ほら、後のことは全部私に任せて。クィンも部屋に運ぶわ。
 そんなの駄目よ!あなたにはあなたの仕事があるでしょう。そういうことは私がやっておくから……。
 駄目よ譲らないわよ。あなた最近無理してるの、知ってる?残念ながらあなたが知らなくても、私が知ってるんですからね!クィンは私が連れて行く。
 ……。……――もう、言い出したら聞かないんだから!
 ああもう、そこ、やけどしてるじゃない!待って、その程度ならすぐに治せるから――」








「クィンの身柄、引き取りに参りました!
 隊長、ごめんなさい。僕のせいです。僕がきちんと見張っておかなかったから……クィン、お前は黙ってろ!
 次からはこんなことしないよう、言い聞かせておきます。駄目です!こんなところで使うのもなんですけど、こいつは隊長と共に戦ってきた魔道士なんですよ!?並大抵のことじゃあ、自分の主張は曲げません。だから僕からも言っておきます。
 ほら、クィン。ちゃんと隊長の傷は回復させたか――って、いたいいたいいたい、ごめんごめん、わかってるって。余計なこと聞いた。
 それでは隊長、失礼致します!また今度、ゆっくりお話しましょう。」
















 入室してきたエバンナからされたのは、とんでもない報告だった。まさにこの淡々とした日常を壊す、しかし実際には我々ザルバッグ隊隊員には日常の範囲内でしかない、刺激的な報告だ。
 そんな他人が聞けば驚き卒倒してしまうような、実際何人かの部外者が被害を被っているのだろうそんな報告を、あくまでも事務的に、冷静に、淡々とエバンナは言ってのけた。その手の中の、わずかに温気を漂わせる、焼き菓子の乗った可愛らしい小皿とのギャップが少々おかしい。
 自分が行くこともするとの提案は受け取らない。長い間共に戦ってきたのだから、現在彼女が起こしているこの騒動において、いったいどのような手段が最も有効で効率的なのか、ザルバッグは判っている。
 そしてそれはエバンナも同様なようで、彼女はザルバッグの、彼女の気遣いを無下にする言い出しにも特に表情は変えずに、了解致しましたとだけ言って頷いた。そして現在ザルバッグが途中で放置しようとしている仕事については、彼女が請け負ってくれるという。もちろん、彼女自身に元から課せられている責任についても、完璧にこなした上でだ。それは言うまでもない。
 ザルバッグはエバンナを残し、頭を抱えたくなる思いで執務室を出た。暴れる隊員を抑えるために執務室を出る。このような動作は久しぶりだった。……いや、初めてか。








 途中、中庭に向かう廊下でカーティスに会った。気に入っているらしいピンクバンダナもぼろぼろで、それを手にぶつぶつ不満を呟いているところだった。どうやら買い換えなければならないらしい。
 彼は不満げに、実際不満だらけなのだろう、ザルバッグにピンク色をほぼ失ったピンクバンダナを投げつけると、今度は直接愚痴を言い始めた。
 俺はあいつと違って忙しい身なのに。戦争が終わった今、特務部隊隊長としての責任も持つようになったカーティスは、実際件の中心人物よりも任される仕事の量が多い。しかし彼は、それについての不満を明言することも、仕事を失敗することもなかった。カーティスは彼の仕事場にこもって仕事をすることが多かったから、その関係で会うことを除いては、彼と会うのは実に久しぶりのことだった。
 しかしそれも、戦時中に比べてのことである。
 そしてそんな彼はおそらく、周囲から見てもそれと解る程にザルバッグ隊の魔道士と仲が良かったから、彼になら止められるかもしれないとの判断のもとに、城の誰かに呼び出されたのだろう。気苦労の多い男だ。
 大量の書類を渡しカーティスは立ち去る。不敵な笑みを浮かべて片手を上げ、長い緑の裾を翻すが、その裾もあちこちが焦げ水に濡れずたずたに引き裂かれていた。にも関わらず彼自身には特に外傷がなかった。さすがはクィンだ。そしてさすがカーティスだ。








 中庭に出る。ザルバッグはそこにひとつの戦場と、ひとりの魔道士を見てしまった。
 中庭の中心には、1人の白のローブを身にまとった少女、魔道士が。そして彼女の周囲には彼女を崇め称えるかのように放射状に広がる焦げ跡が。そしてさらにその周囲には、累々と横たわる、決して死んではいない死屍が。よく見ればまた少し離れた場、ザルバッグの足元にまでも、同様のものがあった。
 どうやら戦時中はことあるごとに行った、いわく「一対一」というものを彼女――北天騎士団本隊隊員にして、ザルバッグの直属の部下の魔道士、クィンは所望のようであった。手っ取り早く事を片付けるにはそれが一番であるとザルバッグは判断したから、その希望を受け入れた。
 中庭に横たわるのは、中庭で暴れる魔道士を止めに入った城の兵士達や、騎士団の者達だ。剣を手に直接相手と交える前衛の戦士から、弓を手に遠くの相手を射止める後衛の戦士、果ては魔法攻撃を得意とする黒魔道士まで。
 己に近づこうとする者にはそれよりも早く火炎を見舞い、遠くから矢を射てくる者にはその矢を雷撃で射た後ピンポイントで氷柱をぶつけ、黒魔法を撃ってくる者にはその魔法を防ぎ反射し、これらの惨状を作り上げたのだろう。
 ザルバッグが剣を構えると、クィンは楽しそうに、そして嬉しそうに、けれども真剣な表情で杖を構えた。ザルバッグは彼女の魔法を直に見るのは久々になる。その猛威を想像し剣を握る手の力が弱まったが、しかし今一度自らを奮起させ、握りなおした。









 ザルバッグは力尽き倒れたクィンを背負って、城内にて彼女の普段使用している部屋まで運んだ。室内にところ狭しと設置された本棚と、謎の器具が並べられた恐ろしいデスクと、たっぷりと埃を吸い込んだ絨毯が全くザルバッグには心地の悪い、クィンの私室まで。
 その途中シェルディに会った。どうやらザルバッグを探して駆けていたのだろう、息があがっている。
 しかしそんな状態でも構わずに、彼女は後は任せたと言ってクィンの処遇を引き受けようとする。ザルバッグはそれはきっぱりと断った。これは自分のすべきことだったからだ。クィンの上司として、また彼女と戦い、倒した者としての。
 しかしシェルディもやはりいつものシェルディで、敵に向かうときのあの強さはこんなときでも健在で、私がやる、あなたは自分の仕事を、と止まらなかった。
 だが彼女はそれと同時に、ザルバッグを心底まで理解した、引き際を知っている人であった。こちらも頑として引き下がらないのを見ると、深く溜息をついて言葉にした。言い出したら聞かないんだから。
 それでも目聡く、隠していた火傷を見つけ治療してくれるのだから、シェルディは本当に面倒見の良い、気配りのうまい女性だ。ありがとうと礼を言っても、腰に手を当てむっとした様子で仁王立ちしていたが、別れる間際、彼女がいつものあの笑顔を浮かべて手を振っていたのをザルバッグは知っていた。母親が言うことを聞かない子供に向けるような、呆れと思いやりと慈愛の詰まった笑顔だった。








 説教すること、話すこと、数十分。クィンがちらりと部屋の扉へと視線を向けたとき、その直後に勢いよくそれが開きそこからウィリーが飛び込んで来た。
 ウィリーは部屋に入ると真っ先にこちらに視線を固定した。そして口が二度三度と開閉したが、彼は首を振って今度はクィンに顔を向ける。クィン!と彼女の名前を怒鳴るように呼んで怒った目で彼女を見て、そうしてからまたザルバッグを見て、今度は言葉を発した。
 ごめんなさい僕のせいで僕が見張っておかなかったから、とやはりいつもの様子でウィリーは言う。心底申し訳なさそうな、悲しそうな、そして困ったような、止まらない彼をザルバッグは逆にたしなめようとするが、やはり止まらない。
 最終的には自分がまた彼女に言い聞かせる、と言い出したのにはザルバッグは大変困った。際限なく魔法を撃ち、戦い、さらに長く説教をされた後なのだから、さすがにクィンも疲れているだろう。ザルバッグとて彼女の信念の固さは理解していたが、いや、していたからこそ、これ以上の説教は無意味だと思っていた。
 しかしウィリーも食い下がらない。クィンに叩かれしがみ付かれされつつも、結局はウィリーがクィンを抱えて部屋を出て行った。「また今度、ゆっくりお話しましょう!」との最後の活き活きとした言葉が、室内に妙な余韻として残る。
 ザルバッグは出て行く2人の様子を見守って、そして他人の私室に取り残され、そして妙な余韻に浸され、思った。












「(――……ああ、なるほど。あいつはウィリーをオレに会わせたかったのか。)」