「満点を取りなさい、ザルバッグ。」
 ザルバッグは父親から常日頃そう言われて過ごしてきた。満点を取りなさい。何度も何度も何度も何度も言われた。満点を取りなさい。
 満点とは何ですか、と、幼かったザルバッグは父に尋ねた。すると父はかぶりを振ってこう答えた。いまだにザルバッグはそのときのことを覚えている。
 そうだね、ザルバッグにはよくわからないかもしれない。もしも筆記試験があったなら、それでは満点を取りなさい。ひとつでも間違えればそれは全て間違えたのと同じだ。
 その極論は少年時代のザルバッグにとってはいささか荷の重いものであったが、少年時代のザルバッグにとっては偉大なる父の与えてくれた、すばらしい言葉だった。
 満点を取りなさい。満点を取りなさい。そう言われてザルバッグは成長し、数字による評価をされることが多いアカデミーに入学し、その中で常に高い数字を得て進んできた。
 ただひとつ気がかりであるのが、満点を取りなさい、そう言って息子を育ててきた父が、息子の好成績に笑顔することはあっても、息子の“満点”を褒めることは一度としてなかったことだ。息を引き取るそのときまで、だ。
 いったい父親のあの言葉は、どういう意味合いのものであったのだろう。ザルバッグは今でも時々考える。
 ザルバッグはこれまでに、自身の正しいとするところをベオルブの名の下に実行し、生きてきた。
 不正は小さなものでも許さない。間違っていると思うところは正し、正しいと思うところはよりよく実行してゆく。
 そうして自らの信ずる道を進んで頂点に登り詰めた今、ふと我に返り、思い出すのだ。父の言葉を。
 満点を取りなさい。




**




「だめっ!ぜーったいにだめっ!」
「その命令は却下だ!どけ!」
「どーきーまーせーんー!!」
 だらしなく開きっぱなしの小さな扉を境に、ひとりの男と少女が言い争いをしている。
 片方はザルバッグ。もう片方はクィン。部屋の内部に立つのが前者で、部屋の外部に立つのが後者だ。同じ隊の長年共に戦ってきた仲間である気心知れた彼らではあるが、何も事情を知らない人物から見れば、ただ父親が娘を叱っているか、それとも大の男が子供相手にむきになっているようにしか映らない。
「わたしはふくたいちょから指示を受けたのだッ!ここでたいちょを足止めなさい、とね!だからとおしません!」
「だめだだめだ、あいつの上司はこのオレだ!安心しろ、命令違反はオレが帳消しにしてやるから。」
「ぜったいにどきませんー!」
 少女が小さな身体を大きく見せようと胸を張るが、それでも迫力には非常に欠けるし何よりも背丈が足りない。ザルバッグはあくまでもクィンを見下ろす体勢でこちらは迫力ある様子で食い下がった。
「どけ!」
「いや!」
 しかし声だけならクィンも負けてはいない。
「わたしはぜったいに、どかないっ!なにがあってもどかないっ!」
 それに呼応するようにザルバッグの声も大きさを増した。
「何故だ!?」
「むっ!それはさっき言ったでしょうっ!わーたーしーはっ!…」
 そしてクィンはいちいち一息つきながら、はっきりと、大声で、先程と同様の説明をザルバッグにする。
 その説明そのものは黙って聞いていたザルバッグは、どこかむきになって事を主張するクィンを見て、静かに察した。
「嘘だろう。」
「へっ!?」
 クィンの丸い目が、まんまるく見開かれた。真っ赤な色はザルバッグをまぬけに見つめる。
 ザルバッグは途端に冷静になって話した。
「嘘だな。確かにお前はエバンナから指示を受けこの場に立っているが、お前がどうしてもこの場をどかない理由はそれがあるからではない。もっと他の、別の――」
「わー、わー!そんなのない!ないからっ!」
 考え始めたザルバッグを、クィンが両手を振り回して何とか阻止しようとする。そこで脇の壁に立てかけた杖を使用するに至らないのは彼女なりの良心だろうか。
 しかし小さな少女然とした少女の振り回す両手は、彼女の身長に比例して短い。おまけに魔法とその頭脳以外これといってとりえのない彼女が彼女の力いっぱいを出したとして、それはザルバッグにどれだけのダメージを与えることができようか。
「ないのっ!」
 振り回す。
「ないってば!」
 両手を振り回す。
「ないんだってばあっ!」
 ザルバッグに向かって、クィンは両手を振り回す。
「ないないないないないって言ってるでしょっ!」
「ああそうか、オレの誕生日か。」
 しかしそんな努力もむなしくザルバッグは納得したように頷いた。いとも簡単に、それほど悩んだ様子もなく。
 本日は、巨蟹の月9日である。ザルバッグ・ベオルブの生まれた日。
 驚きと一緒に何か大切なものまで抜けてしまったような表情をして、クィンはぽかんとザルバッグを見上げた。だがしかし、すぐにくしゃりとその表情は歪んで、彼女は今にも泣き出さんばかりに喚き始めた。
「なんでそーいうこと言うのーばかー!」
 全くやかましい大人だ、とザルバッグは内心思いながら耳を塞ぐ。魔道士のクィンの声は良くも悪くもよくとおった。
「何年お前達と付き合っていると思うんだ。さすがに行動くらい予測できる。」
「だけどーひどいーせっかくないしょにしてたのにーっ!こーいうのは内緒にしなきゃいみないって、カーティス言ってたのに!」
「またお前はカーティスか、やはり主催はあいつだな……。」
 いかにもこういうことを言い出しそうな、というよりは実際これまでにも何度かこのような企画事を主催していたカーティスに対する呆れを忍ばせながら(ちなみにこういうときはたいていクィンが共催で、皆を率いて行動に移るのがエバンナだ)、ザルバッグはひとまずこの喚くクィンをどうしようかと考える。いつまでもこの調子ではいい加減に周囲に迷惑だ。
 ひとまずは自室に閉じ込めて静かになるまで話でも聞いてやろうか、とも思うがザルバッグにもせねばならぬことがある。義務と責務と実情との間で彼が葛藤していると、廊下を歩く背の高い金髪の女性が目に入った。
「エバンナ。」
 女性はエバンナ。ザルバッグ隊の副隊長であり、クィンをこの場に使わした張本人である。たくらんでいたことが張本人に知れた今、この困った隊員を引き取ってもらおうとザルバッグが廊下に声を投げたとき、返ってきたのは言葉ではなく予想だにしなかった行動であった。
 ばたん、と、扉が無情に閉まる。クィンが扉に押されてよろけ、室内側に立っていたザルバッグの胸に飛び込んでくる。
 表情を変えずに歩み寄ってきたエバンナが扉を閉めたのだった。クィンを室内に押し込むようにして。
 ザルバッグの胸元でしばしぽかんとしていたクィンだったが(それはザルバッグも同様であった)、状況を飲み込むのは早くターンが切り替わるときには2人同時に扉に詰め寄っていた。
「ふくたいちょどういうことっ!?」
「エバンナ、どういうつもりだっ!」
 皮肉にも、口をついて出た言葉は2人共同じような内容である。
 残念ながらやはりここでも言葉が返ってくることはなく、しーんという安い無言が廊下室内両方に広がるばかり。
「…………。」
 しーん。
 しかしすぐに2人共我を取り戻して、本人に直接問い詰めようと取っ手に手を伸ばす。が、大小2つ3つの手が取っ手付近でこれまでにないコンビネーションを見せたところで外側から扉が開かれ、2人は見事にバランスを崩すこととなった。
 そうして2人よろけた先には、無表情に彼らを見下ろす端正な顔立ちの女騎士の姿が。
「ごめんなさいね、クィン。あなたの杖を廊下に残したままだったわ。」
 ザルバッグとクィンが固まっているうちに、エバンナはそのクィンの背丈よりは長い木製の杖を入り口脇室内の壁に立てかけ、次もはやり有無を言わせる余地すら残さず、無言で扉を閉めたのだった。
「…………。」
 そして2人は同時にあることを悟った。エバンナはクィンをここに残すつもりだ。
 突然の作戦変更を強いられた気分屋なクィンはぶすっとむくれ、新たな指令を言葉少なに示された有能なクィンは立てかけられた杖を黙って手に取り、背筋をしゃんと伸ばして部屋の中央まで歩いた。
 そして、他人の椅子にどっかと座る。遠慮がない。
 元より出口を塞ぐ彼女を倒して外へ出るのがザルバッグの目的だったのだから、クィンが出口をのいた今ザルバッグはさっさと彼女を無視して外へ出てしまえばよかったのだが、部屋中央でぎらりと光る赤い双眸を見ていたらそれも何だかままならなかった。ザルバッグも部屋の中央へ歩いた。
 反対側の椅子を引いて、そこに座った。
「…………。」
「…………。」
 エバンナが登場するまで、クィンの心を占めていたのは「なんでそーいうこと言うのーばかー!」という悲しみの混ざった怒りだった。だからこうしてまた2人きりに戻り、状況が再スタートした今、クィンのその怒りも再すたーとすることは決まっていた。
 先程までのように大声で喚きはしないものの、不満げに唇を尖らせ仏頂面をしている。
 ザルバッグはクィンのことはよく知っていたから、この後彼女がきっと上半身をテーブルの上に投げ出すであろうことは予測ができていた。
 案の定、クィンはそうした。おまけにだらしなく顎をテーブルの上に乗せた。
「ふーんだ。たいちょのばかばかばーか。」
「あのなあ……。まさかおまえは、オレがカーティスのようにそんな細かい気配りができる、繊細な男性だと思うのか? 最初から、そのようなことを期待したって無駄だろう。」
「……それは、そうだろうけどぉ…。しょっくなんだもん。」
「おまえはそうやって怒っているけどな。オレだって怒りたい気持ちに変わりはないんだ。どうしておまえ達はオレの仕事の邪魔をする?」
「…………。」
 クィンはちょっと目をそらして考え事をしているふうだったが、すぐに何かを「決意した」ように態度を切り替えた。そして目を動かした。ぐるりと動かしてザルバッグを見た。
「やっぱり、わたしもまわりくどいのは好きじゃないから言うね。カーティスは秘密にしろって言ったけど、たいちょが怒ってるの見るのも好きじゃないもん。
 あのね、今日はたいちょは、仕事しなくていいの。全部わたし達が肩代わりする。えらい人にも許可はとったよ。だから夜までみんな、いないの。」
 ザルバッグはこれには驚いた気持ちでクィンを、そしてどこかに居るだろう彼の仲間達を見た。さすがにそこまでは予測できなかった。
 今までは、ただばかのように誕生日を祝って、騒いで、そしてその後「ツケ」が回ってくるということが多々あったのだ。その反省があったからこそ、ザルバッグは余計に警戒してクィンを倒そうとしていたのかもしれない。
「あのね、だからね、今年はなーんにも気にしないで、お誕生日祝われればいいの。仕事が減るのも、わたしたちからたいちょへの誕生日ぷれぜんと。」
「クィン……」
 クィンは仏頂面を自然消滅させて、今度はその顔に笑みを浮かべた。それを見てザルバッグは思った。やっぱり彼女には笑顔が似合う。
「お誕生日おめでとう、ザルバッグ隊長。わたしはたいちょのことがだーいすき!
 今日も昨日も明日っからも、ずっとわたしたちといっしょにいてね!」








 ザルバッグはクィンと共に暇を持て余していた。どうやら話を聞いたところによると、クィン以外の全員はこぞってザルバッグの仕事を片付けることに専念し、その中でクィンだけが、「ザルバッグを引き付ける」という役目を担っているのだという。
 クィンは語る。
「本当はわたしだけがたいちょと遊んでたんじゃだめなんだと思うの。でも、やっぱりいっつも忙しいたいちょを丸一日遊ばせるっていうと、みんながその分忙しくなっちゃうみたいで。ほら、カーティスなんて、元々忙しかったでしょう?
 わたしも手伝うって言ったんだけどね、ザルバッグ隊長は時間の使い方が下手な人だから一緒にいなさい、って言われてわたしがここに来るように命じられちゃったの。変なの。わたしだって時間の使い方はじょうずじゃないのに。
 でも夜になったらみんな自由になれるはずだから、そのときにはたくさんお祝い事しようね!」
 察するにクィンは「時間の使い方はじょうずじゃない」から、この役目に抜擢されたのだろう。少なくはない量の仕事を片付けるには、厳選された人材が必要である。率直に言えば、クィンでは力不足だと判断されたのだ。確かにこの少女には事務仕事は――というより、魔法と頭を使うこと以外の全てが向いていない。
 クィンは、ザルバッグのこの空いた時間をより有意義なものにする役目を負っているのだ。おそらくきっと。
 クィンは黙って尚もテーブルの上に顎を乗せ続け、ザルバッグはその向かいで暇を持て余していた。だが、たまにはこうしてのんびりとした時間を過ごすのも、悪くはないことなのかもしれない。
 何よりも彼には、彼の部下達の気遣いが嬉しかった。良い部下を持ったものだと思う。普段から思っているが、こんなときには特に思う。
 比較的落ち着いた気持ちで椅子にゆったりと座るザルバッグだったが、このとき確かに彼の中には、得体の知れない不快感のようなものが渦巻いていた。言うなればそれは不安、というものか。ただザルバッグはそのことには深くは言及しないで、何となく、その「ようなもの」から避けるようにして、ゆったりと椅子に座っていた。
「ううーーん。」
 沈黙の中、突然クィンがそんな唸り声を上げた。ザルバッグはそちらに顔を向ける。テーブルの上にだらしなく顎を乗せるクィンが居る。こちらを見ていた。
「ひまだね。たいちょ、なにかして遊ぶ?」
「いや、いい。こうしているのも悪くはない。」
「でもわたしがひまだよ。」
 あまりに率直な物言いにザルバッグは軽く笑った。
「それなら、何か話すか。」
「何を話す?」
「そうだな、こんなときでないとできない話をしよう。」
 ザルバッグは細かい気配りのできる繊細な男性などではなかったが、クィンの扱いには長けているという自負があった。クィンはそれなりには興味を持ったようすでテーブルの上に顎を乗せ続けた。
「どんな話がいい?」
「……そうだな、オレは今日で誕生日を迎え、年をひとつとったわけだが……。おまえは誕生日はいつだったか?」
「てんかつの月、27日。」
「おまえは天蝎宮だったな。兄上と同じだ。…もしかしたら、優れた魔道士には天蝎宮が多いのかもしれないな。」
「そう? まっさかぁ。だいたいわたしが本当にこの日に生まれたのかだって怪しいよ。」
「え……?」
「だってわたし、生まれたときのこと覚えてないもん。成長してから、単なる情報としてこの日がそうだよって突きつけられただけ。証拠はどこにもないしわたしの記憶も伴わないから、わたしは信じません!」
「ああ、そうだな……。」
 その姿勢があまりにクィンらしかったもので、ザルバッグは思わず笑ってしまった。
 ザルバッグは軽く方向を変えて話し始める。
「クィン、オレはおまえの出自をよく知らない。せっかくゆっくり話をする機会が得られたんだ、そのあたりについて聞かせてはくれないか?」
 だが、このとき、何となく和み和らいできていた空気が、その質問によって瞬時に凍りついた。それをザルバッグは感じた。
 やはりまずい質問だったか、とザルバッグが思うも、やはりこの場に居るのは長年連れ添った仲間同士とあってか、特に関係は気まずくもならない。
 仏頂面に戻ってしまったクィンは言った。
「うそつき。知ってるくせに。」
「…知らないのは本当だ。」
「だって書類とか持ってるでしょ。わたしは何一つ隠していないし、情報の隠蔽はされていないから、隊長は知っていて当然だよ。」
「だがオレはおまえの記憶を聞いていない。」
「…………だよね。それは本当だ。」
 クィンは力を抜いて目を細めた。少々無理のある体勢を続けたままふうと溜息をつく。
 ザルバッグ隊に所属する誰よりも秘密の多いクィンだが、実はそれらの全てをザルバッグは「情報として」知っていた。幼い少女然とした彼女の年齢、身分、出身地、経歴。身分を明らかにするために必要な全ての「情報」をザルバッグは知っていたが、それをクィンの口からクィンの言葉で聞いたことは一度としてなかった。
「でも教えなーい。だって必要ないもん。たいちょは、思い出話をしないわたしは、きらい?」
「………互いの仲を深めるためには、思い出話はかっこうのきっかけになるのだがな。」
「じゃあいいじゃん、わたしたちは、もうすっごく仲いいし!」
「…………。」
 にこにこと、クィンはいつのまにか笑っている。彼女はカーティスと違って嘘笑いをすることはなかったから、彼女は今本当に笑いたいような心境なのだろう。
 しかたがないのでザルバッグは、この話題を続けることを諦めた。次はなんの話題にしようかと考える。夜になるまではまだ、長い。
「ねえ、なんでたいちょは突然そんなこと聞いたの?」
 クィンが質問してきた。思考を止められたザルバッグは一瞬面食らい、だが質問に答えることをする。
「言っただろう、こんなときにしかできない話をしたいと。」
「うそだぁ。だからってわたしの出自をたいちょが尋ねる理由にはならないもん。たいちょにはきっと、特定してわたしの出自を尋ねるような理由が、あったはず!」
「………そうかな。」
「そうだよ。」
 クィンはまっすぐにザルバッグを見ていた。丸く大きな赤い双眸がただ純粋にザルバッグを見つめていた。その目を見ていたら、ザルバッグには思い出したことがあった。
 少し前まで自分が考えていたこと。「満点を取りなさい」と、常に言い続けた父親のことを考えていたことを、ザルバッグは思い出した。
「なーんてね。」
 しかし、思い出したことを早速述べようとするザルバッグの前に、クィンのそんなのんきな言葉が立ち塞がる。
「単に、たいちょがそれを特定したってわけじゃなくて、無数の平等な選択肢の中で向かった方角が偶然それだったってこともあるかもしれないんだけどね。ちょっといじわるなこと聞いちゃった、ごめんね。」
 クィンは人の心情の変化にはこと疎い女性だ。だからザルバッグが考えて思い出したことを言おうとしたことなど、彼女には関係がないのだ。彼女はただ彼女の心の変化によって発言し行動するだけ。
 だからクィンは、ザルバッグのそれまで抱えていた不快感のようなものに勘付いたなどというわけではないのだ、断じて。ザルバッグは細かい気配りのできる繊細な男性ではなかったが、クィンは他人の機敏な感情を察する程繊細な女性ではなかった。
「いや、違うんだ、クィン。おそらく理由は、ある。」
「え?」
「……オレにはな、起きてからしばらく、考えていたことがあるんだ。オレの父上のこと。」
「…………。」
「正確には、父上が常にオレに言って聞かせていたことだ。今になって突然頭に蘇った。……“満点を取りなさい”と、父上は言っていた。」
「………ふうん。」
 ザルバッグはクィンに話す。
「幼い頃のオレには、意味がよく分からなかった。だからただ、父上の息子としてできる限りはやろうと思って――アカデミーの試験では常に高得点を保ち、満点を取ることも時にはあった。だが、大人になった今考えると、父上はオレの“満点”を褒めたことは一度として、なかったんだ。一度としてだぞ。
 …父上の望んでおられた“満点”とは、いったいなんだったのか――。この年になった今でも分からない。それを考えていたんだ。」
 だからその意識が、オレにおまえの過去のことを尋ねさせたのかもしれない。肝心のそのフレーズを口にしたところで、クィンがザルバッグの言葉を追うようにして発言した。それは反射的な言葉の返しで、論理的にものを考えるクィンは、このときは、ぱっと思いついたひらめきを清々しい顔で口に出した。
「でも隊長はほくてん取ったじゃん。」
「は?」
 ザルバッグは思わず声をあげてしまった。目の前の、白魔道士のローブを身に纏った魔道士が、テーブルにだらしなく顎を乗せてこちらを見ている。
「ほくてん。」
「北天?」
「うん。」
 机の上で頭が動く。示すのは頷き。
 ザルバッグは今しがたの彼女の言葉を考えた。ザルバッグの部下であり共に戦う仲間である少女の言葉の意味を。
 そして答えはさほど時間はかからずに出てくる。
「それは『まんてん』と『ほくてん』をかけているということか?」
「うん。」
 頷き。
「……余計なことを覚えたな、クィン。」
 ザルバッグは低く捻り出すように、クィン、見かけは10代そこそこのあどけない少女、実際はひたすらおっかない頭の切れる凶悪な魔道士に言ってやる。実際返す言葉がうまく見つからなかった。
「でも取ったじゃない。北天っていいなー。わたし満点よりもすき。」
「……あのなあ、父上の言っていたのは、そういう意味の言葉ではなくて……」
「じゃあどういう意味だと思う?」
 改めて尋ねられ、ザルバッグは言葉を今度こそ失った。
 クィンはそんなザルバッグを赤い瞳でしばらく見つめた後、言う。
「わかんないよね。まあ実際そんなもんだとおもうの。」
 目線を移動させてどこか部屋の壁を見て、言う。
「わたし父親からそんなふうに言葉を伝えられて育ったことないから余計わかんないけど、実際いろいろ伝えられて育ったとしたって、子供にわかることってあんまりないとおもうの。」
「…………。」
「実際たいちょのおとーさんだって、そんなに深い意味を込めてなんて言ってなかったかもしれない。ただそれっぽいこと言ってただけかもよ。」
「…………いや、父上に限ってそんなことはない。」
「そう。」
 ザルバッグはやっとのことでそれだけ言った。そしてクィンの返事もそれだけだった。
 ザルバッグは背中を椅子の背もたれにもたれかけさせる。体重をそこにかける。ぎしり、と木が軋む。
「いったいどのような意味だったのだろうな、父上の言葉は――」
「わたし知らないよ。だってわたしバルバネス様の息子じゃないもの。」
 溜息をつくと、その音が静かな部屋に流れていった。そして消えた。それにはザルバッグの中の得体の知れない不快感のようなものも一緒だった。