ザルバッグとクィンはここのところ、「けんか」しどおしだった。今日もその例に漏れず、王都ルザリアで執務にあたっていたザルバッグの元を、クィンはとある要求を胸に訪ねて来ていた。
 それに対するザルバッグの返答は常に否認。だから結果として、2人は、壮麗かつ厳粛で見る者の気を引き締めるような外観の王城の、同じくそのような雰囲気漂う執務室にて、ない人目は憚らずに怒鳴りあうのだった。
「だからそれは叶わんと言っているだろう!」
「やーだーやーだー! かーなーえーてー!」
「だだをこねるな、だだを…」
「だって、別に、たいちょは誰かからきんしされているってわけでもないんでしょう? たいちょの権力だったら、誰も文句言わないはずじゃない! いったいなんのための北天騎士団団長なのよう!」
 クィンが必死にそう嘆願したことによってその場の空気が凍りついた。それまで大声で喚く彼女に合わせてザルバッグも声のトーンを上げていたが、それが、一気に下がる。
「何のための、だと……?」
 しかしそんなことはクィンには関係がなかったので、彼女は尚もわあわあとまくし立てた。
「だってだって、色んな人の上に立って、権力を行使できる身分がそれなんでしょう? なのにたいちょが自分のやりたいこともやりたいようにできないんだったら、全然いみないじゃない。そんなの一士官だったときと同じ! むかしわたしたちに言ったよね、あの高みに登り詰めて、おれはおれの戦いをするんだ、って!」
「……クィン、いいかげんにしないと、オレも本気で怒るぞ。」
「えっ、だったら今までは本気じゃなかったのっ!? ひどい、ひどい、わたしはずっと本気だったのに!」
 だんっ、とザルバッグはテーブルの手元あたりを叩き付けた。すぐ隣のティーカップはわずかに跳ねたしクィンは唇を噛んで涙をこらえた。
「いい加減、子供のように喚くのはやめろ、クィン。お前もいい年だろう。」
「年齢は関係ないもん。」
「立場は関係ある。」
 ザルバッグもクィンも互いに退かなかった。相手に付け入る余地を与えようとしない。
 だからそこには不可侵領域が生まれた。両者が絶対に交わることのない区域に線を引き、互いに相手を自分の領域に引き込もうとしている。自分は決してそこを解放しようとしないままで、だ。
 物理的に無理なのだった、ここでザルバッグとクィンが合意するということは。それを知っているからザルバッグは敢えて強く言わなかったのだし、それを知っていてもクィンは諦めなかった。
「話はそれだけか? オレはこれから会議に出席しなければならない。お前も出席すると言うのならば止めはしないが、どうする?」
「……誰がっ!」
 このときのクィンは本気で腹を立てていた。彼女は吐き捨てるように言った。
「あんなひとたち大嫌いよ。彼らに見えるのはてーぶるの上の駒と地形図だけ。内容の伴わない話し合いなんて、参加するだけむだ。」
「そうか。ならば大人しくしていろよ。今日お前にも出撃命令が出ているのだろう。それまでに無駄なエネルギーを消耗するな。」
「たいちょの会議に使うよりむだなえねるぎーなんてありませんっ!」
「………勝手に言っていろ。」
 クィンの目元には涙が浮かんでいた。ザルバッグはそれを見て言った。
 彼は生まれて約30年、特に北天騎士団団長となってからのここ数年は、人前で涙など見せたことがなかった。何が彼をそう制するのかは彼にも分からない。
 しかしクィンは、それをいとも呆気なくやってのけてしまっていた。彼女は泣くし喚くしよく笑う。それは素直な感情の露出だ。
 何が彼女にそうさせ何故彼女がそうしどう彼女が思うのか、彼女の人柄も含めそれら全てを知った上で、最終的にザルバッグは、いつもこうなったときにそうしてきたように、クィンを部屋から追い出した。
 一度扉が開いてまた閉まれば、たいてい彼女は戻って来ない。ザルバッグは会議の始まるまでの時間を、剣ではなくペンを手にして書類と過ごした。
 そのとき、エバンナがちょうど、北天騎士団本隊所属の魔道士、クィンと入れ代わるようにして入室した。彼女は表情を変えずに、今しがた怒って走るクィンと廊下ですれ違いましたよ、と言ってから、今日はいったい何で揉めたのですか、と尋ねる。
 ザルバッグは質問に答えた。今までにも何度か、同じような内容の答えをしたことがあった。
「オレも一緒に前線に出ろと。そう言って来たんだ。」
「ああ、今日はあの子の出撃の日ですものね。クィンは一人ですか?」
「共に行くのは数名。彼女の護衛につけてある。本隊の精鋭たちだ。」
「それは怒るでしょうね。あの子は未だに本隊の者達とも馴染めていない。大丈夫でしょうか?」
「選んだ者達には、ヤツの人柄と問題点は伝えておいた。任務完了においては、ヤツは優秀だから心配はしていないが……本人が大丈夫かどうかは、知らん。後でまた泣きつかれるのかと思うとうんざりするよ。」
「心中お察しいたします。」
「その前にしたって、出撃が決まったこととその内容を告げたら、『何でわたしだけ…』と不満を言っていたくらいなんだ。厳正な話し合いの結果、そう決まったのだから仕方がないというのに。それをあいつは分かっていないのだ。」




 その「厳正な話し合い」が今日も始まるので、ザルバッグはエバンナを控えて部屋を出た。建物内は広く、会議室に向かうまでには多少時間がある。
 その間にザルバッグは、エバンナに様々な質問を浴びせた。主に、執務室にこもりっきりで部下の報告を聞いてばかりだった彼には分からなかった騎士団内部の事情を聞く。
「シェルディは?」
 シェルディは本隊所属の戦士だ。彼女自身が政治に関わることをあまり望まないので、ザルバッグが団長となってからは主に城の警備や雑務にあたっている。開戦からしばらくは同様にして過ごしていたようだったが、あるときザルバッグの元へふと顔を出した、それを最後に彼が彼女を直接見た記憶はない。
「本隊の一部の者と訓練にあたっています。いつ呼び出されても出撃することが可能でしょう。」
「ウィリーは?」
 ウィリーは本隊所属の射手だ。彼もシェルディと同じく政にはあまり関わらなかったが、彼女と違って内務には積極的に携わっていた。下の者からの信頼も厚い。彼は伝達に記録にと様々な係を請け負いこなしてきたが、ザルバッグが彼と直接会う機会はあまりなかった。
「チョコボ舎の見回りに。例の事件を警戒してのことです。」
 ここで誰かルザリア勤務の者とすれ違い、エバンナは彼と二言三言何か言葉を交わしていた。ザルバッグはその内容を問うた。
「クィンが出たようです。」
 クィンは本隊所属の魔道士だ。ザルバッグにとって一番手に負えないのが彼女で、ろくに仕事もしなければ文句も多い。おまけに人柄にも多くの問題点があるため、ザルバッグとそれに近しい者以外からの信頼度はゼロに等しかった。何もしないわりには城に最も留まっていたのが彼女だったからザルバッグはしょっちゅう彼女に会っていたが、ついに指令を受けて出撃した。もうしばらく会うことはないだろう。
「非常に無理やりな体勢でチョコボに騎乗していたとか。落ちないといいですね。」
「カーティスは?」
 カーティスは本隊所属であると共に、特務部隊の責任者だ。その任を頂いてからはそれに没頭しきりで、彼はほとんど本隊に戻っていない。情報を交わすことは幾度もあったが、それはあくまでも情報のみであった。
「まだ戻って来ません。あと数日はかかると見て間違いないでしょう。」
「……そうか。遠いな……」
「ですね。」
 反射的に言ってから、ザルバッグはすぐに自身の発言を思い返した。そして隣のエバンナを見る。
 そして尋ねた。
「……お前は?」
 エバンナは本隊所属の騎士で、団長ザルバッグ付の副官だ。剣の腕も相当なものだが彼女の能力はそれだけに留まらない。速くて的確な情報処理や判断をすることができ、優れた指導力をもち、部下からもよく慕われている。そして何よりも、彼女はよく気が利きよくザルバッグを助けた。ザルバッグは彼女のことをとりわけ信頼していた。
「これから隊長殿と共に会議に出席、以降は決定に従い行動致します。」
 エバンナは小さくほほえんだ。いつもの彼女が浮かべる笑みだった。








 「厳正な話し合い」の結果、ゴルターナ公の動きも考慮に入れつつ、ザルバッグら北天騎士団を率いるラーグ公の軍勢はベスラ要塞に向かうことになった。おそらくそこで両軍は正面衝突するだろう。
 先の五十年戦争の影響で、国は疲弊し、それに伴う各勢力の衰退も起きている。金も人も食糧も、何もかもが不足している。そして人々の心は国を離れた。各地で徒党を組み、反乱を起こす者も現れている。何としても次の戦で戦争を終わらせたかった。それは両軍の願いだった。そしてそれを、両軍は互いに熟知していた。
 ベスラでゴルターナ公と衝突することに異議を唱える者はいなかった。それと共にベスラ戦線に全ての戦力をつぎ込むことも決定し、ザルバッグやダイスダーグ、さらには総司令官であるラーグ公までもが遠征に直接出向くこととなった。
 当然、各地に出撃している部隊にはベスラへの収集がかかる。それを聞いて、ザルバッグは心中で皮肉っぽく笑った。
「(よかったな、クィン。お前の願いは叶うぞ。戦争が終わる今になってやっと、だ。)」
 クィンの願いはザルバッグの願いでもあったのか、どうか。それを彼は知ってはいけない。
 戦場を知らない貴族達の言葉を耳にしながら、彼は自分の中だけでの考え事をやめない。そして彼は思い出した。
『戦争をやめることはできませんか?』
 そう嘆願しに来た弟のことだった。
 勝っても、負けても、次の戦いで獅子戦争は終わる。ザルバッグはそう確信していた。彼は戦争をやめに行くのだ。
 戦いたがっていた仲間達と共に。
 獅子戦争が終わった後の社会の変化に思いを馳せながら、あくまでも自分の中だけでの考え事をしながら、ザルバッグは内容の伴わない話し合いに参加していた。