「酷い臭いだ……」
 ザルバッグはほぼ反射的に腕で嗅覚を塞いだ。それでも漂う悪臭は、目から耳から肌から、あらゆる感覚器官から人の脳内への侵入をもくろむ。
 彼のすぐ後ろで、控えていた女騎士が彼同様に口元を布で多い、少々こもりがちの声で言った。
「全員焼死しています。それも周囲の状況から察するに、相当の高熱で、抵抗する間もなく焼かれたのでしょう。これは人間の為せる技ではありません。」
「魔法だな。」
 エバンナが頷く。
「私も同様に推測します。おそらく、クィンに見せればさらに具体的なことまで分かるでしょうが、おそらくこれは、相当術に長けた者のしわざでしょうね。」
「心当たりは?」
「我が軍には、クィン以外には。南軍には、私の知る限りではいません。これほどの使い手ならば、我々の耳にも情報が入ってくるでしょうに。」
 死体は身元確認が不可能な程に焼かれていた。かろうじて残る人体の骨組みから、死んでいるのは「人間」であるだろうということだけが分かる。
 ザルバッグは、身体も衣服も武器も焼けるか溶けるか消えるかしてしまっている死体とその広がる区画を見た。死体は味方か、敵か、それともまだ見ぬ第三勢力のものか? 彼にはその判断はつかなかった。彼は目を離した。
「行こう。これ以上ここに居ても得られるものは何もない。時間の無駄だ。」
「クィンには調査させるかそれとも、本人を問い詰めるということはなさらないのですか?」
「いや、いい。どちらも無駄だ、それこそ後者はな。それに、既にイヴァリース全土は戦場も同然だ。人死にでいちいち手を煩わせていては、キリがない。」
「…………。」
 エバンナはしばし、その真意を測ろうとするかのように、ザルバッグを見ていた。しかし返答もその後の切り換えも早い。
「了解致しました。今後の作戦展開はどのように致しますか?」
「現状維持だ。可能な限りの速度をもってベスラに向かう。あちらの動向……特に、雷神の陣営の警戒は怠るな。」




 野営地には多くのテントが立ち並んでいた。その隙間を縫うようにしてザルバッグは、自らの寝泊りするひとつに向かって歩く。
 彼の後ろをエバンナは無言で付いて来ていた。双方会話もなく進んで、しばらく歩いていると目的地に着く。
 火を囲んで座る3人のうち、最初に顔を上げたのはシェルディだ。おかえりなさいとの囁きの後に、何かったかと尋ねた。
 ザルバッグは首を振って答える。死体以外は、何も。
 死体という単語にかそれともザルバッグの答えにか、シェルディは一瞬だけ怪訝そうな反応を見せた。だがそれも一瞬のことに過ぎない。あとはただ火が燃えて薪がはえる音が、ぱち、ぱち、と、一箇所からだけでなく聞こえてくるのみだった。
「で、手紙のことなんだが。」
 カーティスが囁くように口を開く。彼はテントに下半身を留まらせたまま上半身だけで火に当たっている状態だったが、その上半身が動いてテントに一度引っ込んで、手に何か紙を持って戻って来た。
「届いてるんだよ。一応、隊長宛だ。読んでくれ。」
 どうやらそれは、2人が席を外している間になされていた会話の続きらしかった。カーティスは「手紙」である紙きれをザルバッグに手渡し(カーティスはあくまでもテントから出たがらなかったため、ザルバッグが取りに行く形となった)、言われたとおりに紙きれに目をとおして読み上げる。
 みみずののたくったような汚い字は、クィンのものだ。彼女は現在もまだ主力部隊に合流することができていない。
「『クィンより、ザルバッグ隊長へ
 護衛の2人とはぐれて、わたしは今単独行動をしています
 おそらく合流はベスラになるでしょう
 両名がそろそろ到着する頃なので、詳しい事情は彼らに尋ねてください
 必要であれば、合流した際にわたしからもお話します』」
「…………。」
 ザルバッグは呆れて言葉を失う。エバンナは沈黙を守り続けた。
 そしてこのとき最初に発言したのはウィリーだった。
「な、なんだそれ! いったい何をやっているんだよ、クィンは……」
 他の者もそれに続いて、頷いたり首を振ったりする。
「そろそろ到着する頃、って……意味わかんない。予言でもしてるつもりなのかしら?」
「いや、待てよ。あながちこれは…」
 カーティスが何かを思いついたように顔を上げたときだった。
「ザルバッグ様!」
 2人の騎士が入場した。彼らの顔を見とめてザルバッグは唖然とする。彼らは正に、文面に示されていたその人、2人の護衛の騎士だった。
 彼らの表情は言うなれば恐れに満ちていた。それははぐれた仲間の境遇に対するものでもあり、これから受ける罰に対するものでもあった。
 一同が見守る中で、ザルバッグが代表して騎士達に問いかけた。
「いったいどうしたんだ。」
「クィン殿とはぐれました。」
「それは知っている。どうしてそうなった?」
 護衛の騎士は、重い動作で首を振る。
「私にも分かりません。ただ、突然何者かに襲撃されて……クィン殿は、我々を庇って敵に捕まったのです。彼女は我々に、自分のことは構わず部隊に合流しろと言い残しました。」
「…………捕虜ということか?」
 ザルバッグは何とかしてその言葉を捻り出した。しかしそれには現実味がなかった。あまりに危機感のない手紙のせいである。
「おそらく……。我々の至らなかったせいです。彼女を護衛すべきは我々であったというのに。逆に庇われてしまった。誠に申し訳ございません!」
「いや、それはいい。」
 腰から上半身を倒して謝罪する騎士に、ザルバッグは即答した。騎士が目を丸くして顔だけ上げる。
 ザルバッグは問題の「手紙」を騎士に見せたが、騎士がそれをすぐに読み終えてしまったのですぐに手元に引き寄せた。それだけ内容の薄い手紙だった。
 内容の薄い中に、ありったけの謎が押し込められている手紙だった。
「必要事項しか書かれていないが、これは紛れもなくクィンの字だ。実際に危機に合っているのならばそう書くだろう。問題はない。」
「は、はあ……。いや、しかし、敵側に無理やり書かされているという可能性も」
「それについてはだな、」
 ザルバッグは紙切れの裏面、字の書かれていないほうを見た。そしてそこにやはり何も書かれていないのを確認すると、無造作にそれを焚き火の中に投げ入れた。
 紙は燃えた。そして燃え上がる炎に紛れて見えなくなった。
「なっ……何をなさるんです! 貴重な情報源を…」
「そんなもんはさっさと処分しちまったほうがいい。足がつく前にな。」
 戸惑って怒って怯えて、中途半端に激昂する騎士に対し、カーティスが相変わらずの気の抜けた調子で言葉を投げた。
 その目はずっと焚き火の炎を見つめていたが、やはりそこから何も現れてこないのを見て、彼は諦めたように目をそらした。
 ザルバッグが続きを話す。
「問題はない。この手紙はクィン独自の手法で送られてきた。いわゆる、彼女が普段研究しているような技術を駆使したやり方で、だ。」
 それを聞きながら騎士は、今までに何度か目にしたことのあるクィンの研究室もとい私室を頭に浮かべた。山のような本と薬とに囲まれて、そこで彼女は熱心に何事かを研究していた。ちなみに彼はその後、部屋を覗いたことでこっぴどく叱られたものだった。
「昔はよく、燃やした後に何かメッセージが出るように工夫もしていたらしかったが、これはそれもない。ただの手紙だよ。」
「ですが…」
「問題はない。」
 ザルバッグは有無を言わさない。それでもまだ「でも」「ですが」と繰り返す2人の騎士に、彼は班に戻るようにと言い渡した。
「クィンがお前達を庇ったのは、彼女の意志だ。お前達が気に病む必要は一切ない。明日からは我々と共に行動だ、懸念のあるままでは置いて行くぞ。」
 頭を下げながら歩いていた2人は、一度立ち止まって振り返り、ザルバッグに敬礼した。それから彼らの背中の小さくなるのは実に速かった。
「嘘ね。」
 そしてまた静かな空間が戻ると同時に、シェルディがぽつりと呟く。
 ザルバッグもそれを理解してかつ同調した。
「嘘だな。」
「嘘だろうよ。あいつが何の理由もなしに他人を庇って身代わりになるわけがない。」
 そう解説したのはカーティスだ。
「何か目的があるのでしょうね。味方を騙してまでも、単独行動をしなければならない程の大切な目的が。」
 補足をするのはエバンナ。それに続けてウィリーが、
「さらに言うと、ザルバッグ隊長に会うのを遅くしてまでも、だ。」
 と付け加える。
 うーんと唸って考え事をし始める隊員達に向けて、ザルバッグは言った。
「お前達、考えてもどうせ無駄なことだ。ヤツの考えていることなど、オレ達には分からないのだから。それより早く休みなさい。」
 各々それで納得したようなそぶりで就寝の支度を始めるが、その中で一人、シェルディだけがじっとして黙り込む。そしてぽつりと呟いた。
「でもザルバッグ。もしも、もしもよ。もしもクィンが、私達に何か隠し事をしていたら……」
「そんなものヤツの勝手だ。今更どうにもならん。」
「…………。だって、クィンは、最近は調子が変だったわ。私はよくあの子と会っていたから分かるんだけど……。日が経つにつれて、目に見えて、変わっていくの。どこが、とは言えない。言えないけど…」
「それは初耳だぞ。」
 ザルバッグはここで初めて驚きを露わにして言った。シェルディはそれには当然のように頷いて見せる。
「それはそうよ。だって、あなたはここのところずっと忙しかったから、話す暇もなかったの。それにこんなことを言ったところで、あなたは果たして取り合ってくれたかしら?」
 言葉の最後には少しだけ、皮肉めいたものが込められていた。
 ザルバッグはそれを聞いてしばし黙って考えていたが、すぐにまた発言した。
「まあ、いい。元々感情的なヤツだ、戦いが近付くにつれ情緒不安定になってもおかしくはないだろう。いいな、この話はおしまいだ。これ以上考えるんじゃない。」
「…………。」
 それでもまだ納得しない様子のシェルディに、ザルバッグは最後にひとつ告げた。
「確かにクィンは近頃は様子がおかしかったな。オレともよく口論をしたものだ。
 …もしもヤツが何事か企んでいるとしても、オレ達の敵ではない。オレはお前達のことは信頼している。」




「クィンが何か考えている?うーん、 また何か、新しい魔法でも開発するんじゃないですか。」
「あいつが企むことって言ったら、あれだ。ザルバッグ隊長、アンタの誕生日でも祝いたいんだろう。それは内緒にするもんだって俺が教えたからな。」
「もしかしたら、チョコボに乗る訓練をしているのかもしれないわ。ベスラで合流する頃には、騎乗した状態で颯爽と現れたりして。」
「…………あの子が何を考えているのか、確かに私達には分かりっこないわ。それはあの子自身の持論でもあるし。でも、だからこそ、心配していいと思うの。あの子が裏切るとか、そういうことを言っているわけじゃなくて…」
 エバンナも、カーティスも、ウィリーも、クィンのことを信じている。彼女に疑いを向けるのは、たった一人、シェルディだけだ。
 だから、とでも言うべきか。シェルディがそういう人物であったから、ザルバッグは彼女を入隊させた。彼女だけは「仲間」を見る目が違う。
 ザルバッグは知っていた。彼女だけは、シェルディだけは、仲間達を仲間として見ていないのだ。その視点は何と形容すればよいのか、友人恋人親兄弟仇、とにかく「仲間」以外の全ての単語で表される。
 だからシェルディは常日頃から、疑いの目をザルバッグ達に向けて過ごしていた。その目が必要だと思ったから、ザルバッグは彼女を「仲間」に引き入れた。
 しかし同時にザルバッグは、その目を、馬鹿らしいと思う。
 疑うものではないのだ、仲間というものは。特に今のようなときには力を合わせて敵と戦うべきなのであり、そんなときに仲間内で疑り合っていては団結もままならない。
 疑ってはいけない。懸念は隙や油断を生み、そしてそれらは敗北を生み出す。
 そう、勝つためには、それそのものすらも疑ってはならないのだ。自身の腕を、仲間を、上司を、部下を、勝利を。一切疑わない。ザルバッグはそうして勝ち進んできた。
 疑うこと、それは自分すら疑ってしまう愚か者のすることだ。ザルバッグはそうとまで思っていた。
 ザルバッグは、自らの腹違いの弟を思い浮かべた。弟は偉大な長兄にすら疑いの目を向けた。ベオルブの名から逃げ出した、愚かな弟だ。
 ザルバッグはチョコボに乗り、走った。
 ベスラは近い。