結局、グレバドス教会からの使者にはダイスダーグのみが応対することになった。度重なる葛藤や板挟みの末、ザルバッグはその件については兄に全てを任せるということで落ち着く。
 ただ、ダイスダーグは言っていた。戦争をやめるつもりは毛頭ないと。戦死なされたラーグ公の意志を受け継ぎ、これからは我らベオルブが白獅子の旗を背負っていくのだと。腐敗した王家に代わってこのイヴァリースを統べるのだと。
 戦争をやめるつもりはない。ザルバッグもその点には賛成だった。だから今彼が考えるべきことは、以降の戦局をどう運ぶかについてであって、和平を唱える教会の相手をすることについてではない。教会を相手にしない。彼は断腸の思いでそう決断した。








 用があったので、ザルバッグは隊員らを探し回っていた。最近特にこそこそしているクィンはともかく、ウィリーくらいなら比較的すぐに見つかるだろうと思ったのが、大間違い、一人として見つからない。
 城内に誰か見かける度に、シェルディかウィリーかカーティスかの所在を尋ねる。誰もが一様に首を振る。ザルバッグは次第に苛々を募らせていった。
「おい、お前たち!」
 既に見つけ出すことを諦めた頃に、探していた彼らは見つかった。実に呆気なかった。城内を東から西へ探していって、一番西の階段脇の物置じみた部屋に居た、3人共。
 シェルディとウィリーは「しまった」という感情をそのまま表情に表して、ちょうど扉に背を向けていたカーティスは背中を反らして逆さまの無表情で、それぞれザルバッグの姿を確認する。
 ザルバッグはそれまでの苛々を別の種類の苛々へと変化させた。いつもの怒気がふつふつとこみ上げてきて彼は思わず怒鳴りそうになったが、直前で思い止まった。
「…………。」
 黙って扉を閉めて、部屋に入る。するとザルバッグは何も言わなかったのだが、部屋の中央床で輪になって話していた3人は、自然と人一人分のスペースを空けた。
 尚もザルバッグは何も言わないが、その空いたスペースに入って腰を下ろす。
 誰からともなく溜息が漏れる。そのまま場がなあなあに再開されようとしたところで、
「お前たちはいったい、何をやっていたんだ!」
 ザルバッグが怒鳴りこそしないものの声を張り上げて、途端に空気がぴんと張りつめた。やり過ごそうとしていたのが失敗した、そのことにカーティスが小さく舌打ちをする。
 ザルバッグの質問に答えたのはシェルディだった。
「話し合いよ、話し合い。作戦会議。」
「何の。」
「これからの私達のとるべき行動について。」
「何だ、それは……」
 目を見る限り、嘘はついていないようすである。シェルディは即興の嘘の苦手な女性だったから、ザルバッグはそれがよく分かった。
 ちなみに、ウィリーはさらに嘘がつけない。と、いうよりは正直で人柄が真面目だから、ザルバッグに対し大きかれ小さかれ偽りを見せることを潔しとしないのだ。だから彼は意識的に口をつぐんでいた。何とその様子までもがザルバッグにはよく分かった。
 代わりにこういうところで器用なのがカーティスである。彼は表情を変えずにけろりと言った。
「隊長は、平和について、どう思います?」
「……は?」
 隠すのでもなく、ごまかすのでもなく、嘘をつくのでもなく。あまりに突拍子もないその質問に、彼自身の突拍子もない行動に慣れているはずのザルバッグもさすがに面食らった。
「平和ですよ。今俺らが戦って得ようとしている平和。」
 カーティスは尚も質問を重ねる。しばらくザルバッグが相手の様子を伺うために黙っていると、あろうことかカーティスは自分から語り始めた。
「俺は、平和ってのはすばらしいモンだと思いますね。辞書で引けばとんでもなく良い意味が出てくる。きっと、誰もが望んでやまないもんでしょう、平和ってヤツは。
 でも、」
 そう語ったときのカーティスは少し笑った表情を作っていたが、それがこのタイミングで真顔に戻った。
 ザルバッグはまだ黙って聞く。少し話題が興味のあることになった、例えその場を流すためだけの茶番だとしても。
 カーティスの言葉は嘘偽りばかりなくせに尊い。そうだ、以前彼が言った、「火のないところに煙は立たない」が正に当てはまる。彼の心はわりといつも燃えていた。
「でも、そのすばらしさに比較すると、手に入れるのがすげー難しくて、俺はワリに合わねえって思いますよ。だいたいそれが、他人を巻き込まなきゃいけないもんだから、いけない。自分一人で平和平和って叫んでも、どうにもならないもんだからね。平和は面だ。2つ以上点があって初めて成立する。」
「ふむ……」
 カーティスはザルバッグがすっかり興味をもって聞いているのを確認し、満足げな様子を見せながら、他の2人に話を振った。
「シェルディは? どう思う?」
「わっ、私……? 私は…
 ……私は、……」
 シェルディは見つからない言葉を探す。しかしすぐに見つけた。
 そして彼女はザルバッグが予想もしなかったようなことを言った。
「私は、五十年戦争が終わってから今までみたいなのが、平和、なんて言うんなら、そんなの絶対にごめんだわ。
 平和って何なのかしら。分からない。争いのないこと? 人の死なないこと?」
「分からないなら辞書ひけよ。」
「うるさいわね。」
 カーティスの茶々への反撃で飛ぶ肘鉄砲。彼は肘を受けた顎をさすりさすり、シェルディはすぐに気を取り直して言う。
「……分からない、けれど。最近は、教会の言うとおりにしたら、それが本当に手に入るのかって悩むわ。」
「オレは手に入らないと思う。」
 ザルバッグは言った。その場に居た誰もが驚いた様子でザルバッグを見た。
「平和が何なのか、それはオレにも分からない。だが、少なくとも、今教会の手をとることではないと、オレは思う。
 一度始めた戦いは、自らの手できちんと終わらせねばならない。それを、他者の手を借りてなあなあに済ませるなど、言語道断だ。これまでに払われた尊い犠牲も無駄なものとなってしまう。我々には、我々の手で戦いを終わらせ、その後の未来を担うという義務がある。
 ……それに、」
 3人は3人共、ザルバッグの話に聞き入っていた。ザルバッグは彼らの顔を一度見回して、続ける。
「戦争で国の均衡が保たれているということも、否定はできない。少なくとも、オレ達のような戦うことが本職の人間は、戦争が終われば行き場を失くしてさまようことになる。武器職人や、傭兵など、戦場を大きな稼ぎどころとしている職業の者も少なくはない。
 かといって、長く続く戦争は国を疲弊させる。オレとてこのまま戦いがずっと続けばよいなどと思ってはいない。だが、今は戦いを止めるそのときではない。オレはそう思うのだ。」
 ザルバッグは思っていることをそのまま言った。気付かず結果として言わなかったことはあるかもしれないが、それは今言うべきではなというだけのことで、彼は嘘偽りなく自身の気持ちを表明したのだった。
「……でも。」
 ここで声をあげたのはウィリーだった。3人分の視線がその瞬間から彼に注がれ始める。
 彼は緊張した面持ちで、それでも話し始める。ウィリーはザルバッグに対し従順なよくできた部下だったが、しかし例えばこのような場では、ザルバッグに対しただ頷くだけではなかった。
「それは、あくまでも戦える者の意見だと思います。それも、特に、僕達のような、平和を選ぶことのできる者の。」
「平和を、選ぶ……」
「そう。『平和』を決めるのに欠かせない条件……戦争を、始めるのか続けるのか終えるのか。それを選ぶのはいつだって、国民ではなく僕達です。
 そしていつだって、国民にとって戦争は理不尽だ。理不尽に始まり理不尽に終わる。僕はそういうものだと思います。」
「…………。」
 一同、黙り込む。少なくともザルバッグはウィリーの発言に感銘を受けたからだった。
「ねえ、それって、」
 するとシェルディがとうとつに口を挟んだ。素直にさらりと言ってのける。
「戦える私達が言うと、なんだか変な感じだわ。じゃあ結局、あんた自身の意見はどうなのよ、ウィリー。」
「え? そ、それは…」
 それまでいつになく饒舌に話していたウィリーも、その追及によってついにはしどろもどろになってしまった。
 するとまるでそれを埋め合わせるかのように、次はカーティスの発言がある。彼は自信ありげに演技めいて顎──先程シェルディから肘を食らっていた──をさすりながら言う。
「そうだな、確かにお前の発言は衝撃的なものではあったが、突き詰めて言えば全く今回の論点からは外れているな。俺は要するにここに居る人間の意見が聞きたいんだ。」
 すると次に言ったのはザルバッグだった。自然と言葉が溢れ出していた。
「だが、ウィリーの発言が衝撃的であることに変わりはないぞ。オレは大変感銘を受けたぞ。」
「へえ。ザルバッグが。」
 そう相槌を打つシェルディは、どこか信用していないようだ。ザルバッグはそれで少しムキになって言葉を重ねる。
「立場によって、平和の定義はおろか、価値すらも変わるということだ。きっと民は平和を、単に戦争のない状態と捉え、それを待ち望んでいるに違いない。だが、…」
 力みながらもまだ語ろうとすると、カーティスが大げさな身振り手振りで「いやいやいや」と割り込んできた。
「いやいやいやいや、ちょっと待って下さいよザルバッグ隊長。ウィリーはそーいうことを言ってるんじゃないでしょうよ。こいつは単に、ザルバッグ隊長、アンタに対して『金持ち・権力者がえらそーなことほざくんじゃねえ!』って言ってるんだ。だから論点からはズレてんだよ。」
 真顔に言うカーティス。ウィリーはとっさに力を取り戻し、強い声で反論する。
「ええーっ! 僕はそんなつもりじゃなかったぞ! ただ、ザルバッグ隊長の意見を聞いて、思ったことを言ったってだけで…」
「そうなの? ちょっと気に食わないけど、私にもカーティスの言うように聞こえたけれど?」
「それは極端すぎる! 僕がそんなふうにザルバッグ隊長に意見するわけがないだろ!」
「いや、お前は正直だから、…!」
「ウィリーのことはよく分かっているつもりよ、だって、…!」
 最終的にはぎゃんぎゃんと3人で、既に論点には関係ない言い争いを始める。ザルバッグはしばらくはそれを見守っていたが、やはりこらえきれなくなって大声をあげた。
「ええい、静かにしろ、お前達! 重要なのはそこではないだろう。おかしなところにこだわるな!
 ウィリー! オレとてお前自身の意見が気になるのは同じだ。さあ遠慮なく語ってくれ!」
 大声の矛先を瞬間的に3人全員からウィリー1人に向ける。ウィリーは驚き目を丸くして肩を跳ねさせた。
 半ばやけになったように、彼は尚も大きな声で言った。
「ぼっ、僕にだって、そんな漠然としたものはよく分かりませんよ! 少なくとも戦争さえなければ、『平和』ということになると思うだけです!」
「てゆーかさあ。戦争のないときって言っても、俺ら生まれたときから戦争やってるから、そんな状態っていまいち分かんなくねえ? 戦争が終わってまだ国も安定しない頃に、また獅子戦争始まっちまったし……」
「あっ、それは私も思うわ! 生まれたときから今まで戦時中のほうが時間が長いものね。戦争がないことのほうがずっと平和でずっと良いって思ってたけれど、結局それって、単なる、ないものねだりみたい。なかったらなかったで、さっきザルバッグが言ったみたいなこともあるわけだし。」
「戦後に誕生した逆賊などもいる。結局民の心にも不満は残るということだ。」
「じゃあ、獅子戦争を終わらせても、同じことでしょうか?」
「…………。」
 突然言葉の応酬が止まった。きっかけはウィリーの素朴な質問だった。これもまた、ほとんど議題には関係がない。
 ザルバッグは考える。おそらくそれは他の3人も同じだろう。獅子戦争の終わった後のイヴァリースについて。おそらくそれは3人が3人共、微妙に違う視点から、全く異なる内容を考えているだろう。
 ザルバッグが言った。
「……分からないな、それは。だが、戦争が終わった後は、我々も我々以外の者も『選ぶ』ことができる。どうするのかは皆で変えていくことだ。」








 部屋を出て、出てから、ザルバッグは自分が、すっかり当初の用事どころかその他多くを忘れていることに気がついた。
 すぐに戻って用事くらいはやり直そうかとも思ったが、その考えをすぐに思い直す。
 そうしなくともザルバッグはたくさんのものを手に入れた。そして思った。
「(教会の者との会談には、オレも立ち会わせてもらおう。)」
 どうするのか、を自分で選ぶために。