「私は貴方に、私の味方になってほしいと思っています。」
 クィンは説明を開始した。目の前にはガリオンヌの軍師、ダイスダーグ卿が、どこまでも隙を見せずに座っている。
「私は教会と戦います。しかしそのためには力が必要です。貴方が今渡されたその石、ゾディアックストーンを使えば、それが可能です。
 ですからお願いです、私と共に、教会と戦ってください。」
 見ると、ダイスダーグ卿は腑に落ちないような顔をしていた。説明が足りなかったか、とクィンは反省し、今一度話す。
「教会はそれを使い、畏国を手中に収めるつもりです。そうなっては貴方の意にも反するはず。
 ですからそれを阻止するために、私と共に戦いましょう。」
 クィンは、目的と理由を明確にし、非常に分かりやすく言ったつもりだった。今の彼女の要求はただひとつ。ダイスダーグを、ひいてはゾディアックストーンをこちらの陣営に引き込むことだ。
 それを言った。しかしダイスダーグは尚も表情を崩さず、堅く閉じられた口を開くことなく、場面は一向に展開しない。
 クィンは途方に暮れた。必要なことのみを伝えきってしまった今、これ以上どうやって訴えればよいかが分からない。
 しかし、保たれていた無表情がついに崩れ、彼女がおそらく不安げな面もちになってしまったとき、ついにダイスダーグが口を開いた。
「それで私に要求をしているつもりか?」
 ただそれだけだった。クィンははっとした。そして慌てて言う。
「そうだ、利益……。貴方に及ぶであろう利益はもちろんあります。第一に、貴方自身が心を聖石に奪われなくて済む。第二に、畏国の覇権を奪われなくて済む。
 損得を考える限りは、私と貴方が手を組むことが、もっとも有効な道なのです。今、貴方の手に、ゾディアックストーンがあるということ、それは絶大な力になります。」
「私が聞きたいのはそういうことではない。」
「え……」
「分からないことが多すぎる。聖石とはいったい何だ。教会はそれで、要するに何をしようとしている?」
「ですからそれは、順を追って──」
「全ては貴公と手を組んでから、ということか?」
「…………。貴方と私が、敵対する理由も必要もありません。」
「それは貴公にとってだろう。分からないことが多いまま判断をするほど、私は愚かではないぞ。」
 ダイスダーグはクィンに言った。
「私がこれから尋ねることに、答えろ。その答え次第では考えてやってもいい。」
「…分かりました。」
 そしてクィンは様々な質問を受けた。聖石とは何たるか、に始まり、教会の目的やスパイであるクィンをも含めた内部事情、北天騎士団が置かれている状況、など。クィンは尋ねられる度に答えた。いろいろなことを話した。
「私は教会に信用されています。信用、というと言葉がおかしいかもしれません。教会は私が裏切るとは微塵も思っていません。それは、彼らが、私の利己的で論理的なところをよく知っているからです。」
「私は教会に所属してはいるけれど、味方ではない。これは確実に言えることです。」
 けれども、話した中には、曖昧にごまかしたこともあった。それに対してダイスダーグは勘付いているようでもあったが、敢えて追及はしないようだった。実に頭の良いひとだとクィンは思った。
 最後の質問は、クィンの目的は何か、ということだった。
「貴公の目的は何だ。何故、教会を敵に回そうとする。せっかく教会の陣営にいるのだ、利己的で論理的な貴公ならば、それを裏切ることのいかに愚かであるかをよく理解しているだろうに。」
 クィンは、まるで、心臓を槍で一突きにされた気分だった。この男性は実に頭が良い。かつては北天騎士団の頂上に立って騎士達を率いていたこともあって、人心の掌握の仕方もよく心得ている。
 要するに図星を突かれたクィンは息苦しさをも感じた。けれどもそれが約束だったので、悲しい気持ちになりながら彼女は答えた。
「無謀であることは承知しています。けれども、例え勝機の薄い、利益の低い戦いであっても、私はそれをせざるを得ないのです。
 私は、大好きな人達を、ザルバッグ隊長を死なせたくない。」
「…………。」
「それだけです。私の目的は、それだけです。他には何もありません。
 例え彼らに非難されるような卑怯な手を使ってでも、私は彼らが死んでしまうのはぜったいにいや。」
 クィンは言った。
「説明したとおり、聖石は、恐るべき力を秘めています。それが解放されてしまったら、人間では太刀打ちができない。
 けれども、今、そのうちのひとつがここにある。これは大きな力になります。これを、貴方が、使いこなせれば、教会に立ち向かうことも不可能ではない。幸いにも教会は、私が裏切るとも、貴方が教会側に引き込まれないとも思っていません。これは好機です。ですから、私と一緒に──」
「まあ、待て。」
 半ば興奮しかけていたクィンの言葉はそれだけで止められた。しかしその声は凄みを含んでおり、有無を言わせない強さがある。クィンは黙った。
「(さすがはたいちょのお兄さんね。)」
 そんなことを考える。クィンは黙ってダイスダーグの言葉を待った。
「それで貴公は、教会を裏切ることにより自身に降りかかるであろう全てを理解した上で、あれを助けたいと言うのか。」
「はい。」
「私にはそれが分からない。あれに、……ザルバッグに、どうして貴公はそこまで肩入れする?」
 クィンはその質問に、予想外だと感じた。彼女はダイスダーグと直接関わったことは少ないが、それでも長年見てきたのだから、それに非常に身近な人の肉親であったのだし、ある程度人となりは知っている。その性質も理解していた。
 だからこそ、予想外だと思ったのだった。クィンは違和感のようなものも抱く。彼女の思う「ダイスダーグ卿」は、他人の心情など意に介さない、非常に合理的な人物である。
 けれどもクィンはすぐに答えた。質問に答えることが約束だったからだ。事実クィンに他人のことなど分かりっこないのだから、自身の予想と相違が出たって何ら不自然なことではない。
「私が彼を好いているからです。好きな人に死んでほしくないと思う、それだけです。」
「…………。」
 ダイスダーグは思案するように押し黙る。何を考えているのか、何かを考えているのかは分からない。しばらく無言で時間が流れる。そこでクィンは、ふと、とあることを思考の引き出しに見つけた。これも言っておかねばならないことだった。
 最初に発言の許可をとってから言う。ダイスダーグは長く深かった思案を止め顔を上げて聞いた。
「ダイスダーグ卿。だから、隊長を殺さないで下さい。もしかしたら彼は、貴方の思想には反するかもしれないし、貴方の目的には邪魔かもしれませんが。お願いします。」
 頭を下げる。ダイスダーグは淡々と言った。
「それをしないことによって、私にどんな利点がある?」
「ありません。」
 クィンは即答する。
「これは私からのお願いです。例え教会に勝ったとして、貴方の謀略の下命を落としてしまう可能性だってないとは限りません。私はそれだって嫌です。お願いします。」
「………考えておこう。」
 クィンは、ダイスダーグのこれまでしてきた諸行を知っていた。彼もそのことを知っているのだろう。お互いがよく知っていたのだが、お互いにそれを口にはしなかった。
 ダイスダーグはそのようには言ったが、まだクィンは安心できないでいた。それが表情に表れていたのだろう、彼は小さく付け足す。
「今は、あれをどうかするつもりはない。理由がないからな。それに、ラーグを失って少なからず混乱している中、騎士団を束ねるあれの存在は大きい。戦争が終わったにしろ、英雄というものはどんなときでも必要だ。今のところ、私は、あれに手を下そうとは思わないだろう。」
「………!」
 途端にクィンは笑顔になった。ダイスダーグの言葉は、論理的な分、信用するにたやすかった。
 だが。ダイスダーグが逆説を口にした。
「今のところは、だ。例え弟であろうと、私は、私の覇道に邪魔だと思えば、容赦なく殺す。そのことは忘れるな。」
 しかしクィンはもう不安げになることはなかった。むしろ強気な笑みを浮かべて、はっきりと言う。
「ええ、もちろん。ですがそのときは、我々ザルバッグ隊が貴方の敵になることをお忘れなく。ただでは殺されません。」
「…………。なるほど、今は単に、利害が一致したから協力するだけのことか。」
「当然です。わたしはあくまでも、ザルバッグ隊長の部下ですから。」
 クィンは続けて言う。
「ですが、利害が一致している間は、わたし達は味方同士です。共に協力し、諸悪の根源を叩きましょう!」
「断る、と、言ったら?」
 しかし、ダイスダーグの返事はそれだった。その瞬間にクィンの表情は消える。ここでクィンはほんのしばらく前までずっと貼り付けていた無表情を取り戻して、淡々と、論理的に述べた。
「いいえ、それはできないはずです。わたしはあなたの利己的で論理的なところをよく知っている。今、いったい何を選び何を行うべきかを、貴方は、筋道立てて考え合理的に判断することができるはずです。
 そしてその結果生まれる判断はたったひとつです。わたしはそれを確信しています。」
「………そのとおりだ。」
 ダイスダーグはそう言った。クィンは嬉しくなるのを感じた。涙はもう止まっていた。
 今この場で為されるべき話が終わったことを、その場にいた2人ともが感じ取った。クィンは部屋を出ようと歩き出す。
 退室する間際に、クィンは、ダイスダーグに言った。
「良いお返事を待っています。貴方にとっても、わたしにとっても。」
「…………。」
 ダイスダーグは答えなかった。しかしクィンには分かっていた。そこには確かな論理があるからだ。
 クィンは、せめて一目、ザルバッグ隊長に会いたいと思った。これからまたしばらくは会えなくなるだろうから。戦いにいく前に、もう一度だけでも。








 わたしは、捨て子だ。両親にいらないので捨てられて、教会にいるので拾われた。どちらもわたしの魔法が理由だった。
 まあ、それは、この際、どうでもいいや。わたしは教会に拾われたけれど、北天騎士団に派遣されて、今こうして騎士団に所属している。
 なぜか、って。それは、丁度、ベオルブ家の次男が部下を募集していて、わたしが彼と同年代だったからだ。力はみんなある程度くらいならあるので、なんでわたしが特定して選ばれたのかは、それが主な理由。あとは偶然。
 最初は、ベオルブ家の長男の要請で、なにもなく次男の部下になることが決まっていたのだけれど、前途有望な彼がそれを断ったらしい。自分で見て自分で決める、とか言って。
 だから予定は急きょ変更されて、わたしは、ベオルブ家次男の部下の一般公募に応募してまで、彼の部下になろうとすることになった。うまくなれるか、ここで少し心配になった。
 わたしは、騎士団に派遣されることには何にも思っていなかったけれど、彼に実際に会ったら思うことがあった。彼と一緒に戦いたいなって思った。
 わたしは、ベオルブ家の次男に実際に会ったら、彼のことが好きになった。だから彼と一緒にいたいと思った。
 あんまりよくない事件とかが起こって、まあそれはどうでもいいや、わたしは無事に彼の部下になることができた。やった! って思った。教会からは誉められた。
 基本的には移籍ってことになって、わたしは騎士団に入団した。
 でも本当は移籍なんてしていなかった。わたしが派遣された目的は、騎士団の動向を探ることだったからだ。
 わたしは表向きは騎士団所属、けれども実は教会に名前を置いて、いろんなことを指示された。騎士団内部のことは、なんでも報告しろってまず言われた。決まった期間があったので、その期間に私はいろいろなことを報告した。嘘ばかりを言った。
 わたしはわたしの報告させられた情報が、なにに、なんのために、どういうふうに、使われるかをよく分かっていた。だから、わたしは本当のことを報告したことなんて、一度もない。
 嘘を言っているのが知られるとそこでおしまい、わたしの首は文字通り切られちゃうから、嘘だってことがぜったいに分からない程度に、ちょっとだけ事実と違うこと、結局は事実じゃないことを伝えた。
 だからなかなか、教会は、騎士団に手を伸ばすことができなかった。そのことについても、わたしは、有能な軍師や団長のおかげだって報告した。あ、これだけは本当のことだったかも。
 わたしはわたしの境遇についてなんとも思わない。ただそれだけってだけ。うまく嘘をつくのは難しいなあとは感じた。
 教会は畏国の覇権を狙っていたから、いつか教会が本格的に行動を始めるときには、北天騎士団と戦いになるのかなあとずっと思ってた。でも、戦いになったら絶対に騎士団が勝つから、そんなに心配には思ってなかった。
 でも、状況が変わった。教会の目的が変わるのと同時だった。教会が教会でなくなった。
 だから、わたしはずっと、嘘をつくのは教会に対してだけだったけど、みんなにも嘘をつくって決めた。
 しかたがない。たいちょの嫌いな、卑怯でずるいやり方だけど。

 たいちょは、わたしのこと、気づいてるのかな。わたしのやってること、知ってるのかな。
 わたしのこと、信じてくれてるのかな、疑ってるのかな。知らないのかな。
 何も分かんないや、わたしにはそれが悲しい。
 だから、たいちょ、たいちょ、わたしの大好きなザルバッグ隊長。ぜんぶ終わったら、
 ぜんぶ終わってそのときわたしも生きてたら、たくさんお話しようね。知らなかったこと、分からなかったこと、たくさん。それで、知って、分かろうね。
 そしたらまた、わたしのことしかってね。卑怯なことするなって。いつもみたいに。