ザルバッグはボウガンを背負い、今度は城を目的地にしてベオルブ邸を出ようとした。
「おーい、エバンナ。エバンナはどこだ。」
 しかしその前に、エバンナを探す。彼女もこの屋敷に呼んでおいたのだった。
「何でしょう、隊長。」
 いったいどこで何をしていたのかは知れないが、エバンナがそんな声を共にひょっこりと顔を出す。ザルバッグは、ああそこにいたのか、とか何とか言って、そちらに歩み寄った。
 上司がいつもの剣のみならず、ボウガンまでもを装備していることに気付いているのかいないのか、気付いていて敢えて何も言わないのか。エバンナはあくまでも表情を変えずに、「何でしょう、隊長」と今一度繰り返した。
 単刀直入にザルバッグは言う。短剣を返してくれ。
 エバンナは目を瞬いてザルバッグを見た。わざととぼけているのでも、気付かないで呆けているのでもなさそうである。単純に驚いているらしい。そしてそれを、露わにしているらしい。
 ザルバッグはさらに踏み込んで言った。
「短剣を返してくれ。それは、本来ならばオレが持つべきものだ。」
 しかしエバンナはすぐには答えなかった。彼女は無意味な間などは決して会話に持たせない人物であったから、まさに、考えあっての間だったのだろう。その間も彼女はザルバッグから目を離さずにいて、そして口を開いた。
「これを……」
 腰に吊った剣のうち、彼女が主に武器としているもの、彼女がその他の用件に使用している小振りのもの、ではなく、それ以外の、ここ数日のうちに現れた小さなものを、エバンナは留め金から鞘ごと外す。
「ずっと持っていたんだな。」
「ええ、私が預かると申し上げましたから。片時も離さず身につけておりました。」
 エバンナは淡々と言った。そして短剣をザルバッグに手渡そうとして、落とす。
「申し訳ございません。」
 エバンナはそう言ってすぐに落としたものを拾おうとしたが、その前に彼女が一度頭を抱えて表情をしかめたのを見ていたザルバッグがそれを断った。かがんで短剣に触れる。そしてそれを掴んで顔を上げたところで、
 眼前に剣が迫る。ザルバッグはそれを視認するより前に、手にした短剣で剣を防いだ。
 長く交錯することもなく、エバンナは剣をすぐに弾く。小さすぎる刃はいとも簡単に弾かれる。そして間髪入れずに第二撃。真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに構えられた剣による真っ直ぐな突きだ。
 エバンナは青い双眸にザルバッグのみを映して、そこから一息つく間も与えずに攻撃を加え続ける。ザルバッグは基本的にはそれらすべてを短剣で防いだが、ついにエバンナが剣を大きく振りかぶったときに、それを放り捨てて剣を抜いて応じた。
 金属音が力いっぱい、静かな屋敷内を満たす、何度も何度も。しかし勝負は長くは続かなかった。
 隙を突いたのではない。力で上回ったのではない。ただ純粋に剣で相手を超えて、ザルバッグはエバンナの首に切っ先を突きつけた。
「…………。」
 刃は寸前で止められたので、白い肌を傷つけることはいっさいない。しかしそれで勝負が決まったことは、ザルバッグにもエバンナにもよく分かった。
 だからザルバッグは剣を収める。エバンナも、抜いたときと同様に音もなく剣を収めて──ザルバッグを見て、笑った。
「また、負けてしまいましたね。」
「当たり前だ。剣でお前に負けてたまるものか。」
「不意を突かれたときの反応も迅速で的確でした。相変わらずすばらしい。」
「お前が短剣を落とした時点で察したよ。やすい演技をしおって……」
「そこまで見抜かれるようになってしまったとは。さすがは、ザルバッグ隊長です。」
 その言葉を聞きながら、ザルバッグは短剣のことを思い出す。放ってしまった短剣を取りに行く。
 短剣を手にエバンナに向き直ったところで、彼女は肩をすくめて見せた。
「毒で体調が優れないのは嘘ではありませんけれどね。」
「…………そうか。」
「して。出発はいつ頃ですか?」
「今からだ。」
 エバンナは驚いた様子も見せなかった。
「早急ですね。準備をして参りますので、しばしお待ち頂けますか。」
「…何だって?」
「準備をして参ります。時間はかからせません。行く先が地獄であろうと、お供致しましょう。」
「待て、待て! それはならん!」
「何故です?」
 エバンナはあからさまに疑問を表して眉を潜めた。
「何故、と言っても……」
 ザルバッグは言葉に迷う。何を何と言えばいいのか、それがただ分からなかった。
 エバンナはザルバッグの発言を待たずに言った。
「一刻を争うと仰るのであれば、私はこのままついて行きますが。」
「…違う……そういうことでは、ないのだ。」
「では何故。」
 青くきれいな色の瞳がザルバッグをじっと見つめる。
「………オレは一人で行く。」
 ザルバッグはやっとの思いでそれだけ言った。すると次の言葉がつられて出てきた。
「お前を連れて行くことはできない。察してくれ。」
「…………。」
 しばらく沈黙。エバンナが言った。
「それは、我々には迷惑をかけられないとかいう類の、責任感からですか。」
 ザルバッグは首を横に振って否定する。
「では、何故。私では不足ということでしょうか。」
 同様に、ザルバッグは首を振って否定しようとした。しかしすぐに思い当たって、首肯した。
「そうだ! お前は、まだモスフングスの毒で体調が万全ではないのだ。そのような者を連れて行くことはとうてい無謀だ。」
「そのとおりですね。」
 エバンナもこれには頷くほかなかった。しかしこれで彼女が引き下がるかといえば、そうではない。
「ですが健常時と同様のはたらきをしてみせることは、保証致します。私が自身の調子を把握することもできずに失敗するような愚か者であるとお思いなのであれば、私を置いていって下さい。」
 裏を返せば、エバンナのその賢者たるを分かっているのであれば、連れて行けというわけだ。
 ザルバッグは言うまでもなくエバンナをよく知っていた、そしてエバンナも。だから言葉の上ではまた、ザルバッグは彼女を置いてゆくことができなくなってしまった。
「違うんだ、エバンナ……。分かってくれ。」
「違う? 分かる? 私はこれ以上ない程貴方のことを理解し、発言しておりますが。私に理解できていないことがあるのであれば、それを私に言葉で説明して下さい。」
「オレは兄上を殺しに行くわけではないのだ!」
 ザルバッグは言ってしまった。ここで初めて、エバンナは驚いたような表情を見せた。
「違うんだ……オレは、お前の思うような、正義感義務感に溢れただけの良い隊長ではない。オレにはオレの、為すべき目的がある。だから行くんだ。」
「…………それを行うには、私は邪魔ということですか。」
「そうなるな。」
 ザルバッグは即座に答えはしたが、内心では腹を切る思いだった。
 長年連れ添ってくれた部下を、最終的には邪魔と言って切り捨てる。これのザルバッグにとってつらくないことがあろうか!
 ザルバッグは部下の勘の鋭過ぎるところを呪った。エバンナはすぐに納得して、頷いた。
「そうですか。それでは私は、何も言えませんね。」
 ザルバッグは短剣を腰に帯びた。エバンナに謝ろうと思ったが、それらしい言葉が浮かばなかった。
「……後のことは、お前に任せた。」
「私に? それは、光栄ですね。」
「お前に、あれらがまとめられるかは知らんがな……。無責任な隊長で、すまん。」
「いいえ。」
 エバンナは首を振った。いいえともう一度繰り返す。
「貴方は立派な隊長です。私達の、私の、かけがえのないザルバッグ隊長。」
 ザルバッグは例え言葉の上だけでもその言葉に救われる思いだった。しかし少しだけ持ち上がった心は、次のエバンナの発言でいとも簡単に蹴落とされる。
「ですが、貴方は無責任です。」
「え…?」
「シェルディが可哀想。」
 エバンナはそう言った。ザルバッグは返す言葉が見つからなくて、ただ何となく頬を掻く。
「……お前は、何も言わないんだな。」
 しかし落ち込んだ気持ちは落ち着いていた。ザルバッグはエバンナに言った。
「シェルディには散々言われた。」
「私とあの子は違いますから、当然です。」
「そうか…」
「私にできなかったことを、あの子がしただけのことでしょう。そして貴方にできなくなるだろうことを、私が致します。」
「心強いな。ありがとう。」
「礼を言われることではありません。私は貴方の部下ですから。」
「では、…」
 ザルバッグはエバンナに命じた。
「命令だ。ここで待機していろ、エバンナ。お前は私について来るな。」
「了解致しました。」
 金髪の女騎士は、片手をぴっと額に示して敬礼の体勢をとった。そして歩き出すザルバッグを引き止めもせず送り出しもせず、そこで待機する。








 実は一瞬だけ、エバンナを同行させてしまおうかとさえ思ったことがあった。いいや、そればかりではない。ザルバッグは、ウィリーでも、カーティスでも、クィンでも、できることなら呼び寄せて全てを見届けてもらってよかったくらいだ。
 けれどもそれはしなかった。選ばなかった。ただ、それだけのことだ。
 さらば、夢よ。屋敷の前に止めてあったチョコボに近付いたザルバッグは、今一度ベオルブ邸を振り返り、ルザリア方面を見やり、心の中で呟いた。
 しかしそれが仇となった。彼の心の中で今まで抑えてきたものがついに溢れ、気持ちが涙に変わって頬を流れる。
「……うっ、」
 それでもそれをまだこらえようとすると、むしろ嗚咽が漏れて逆効果となる。ザルバッグは慌てて、兼ねての進行方向に向き直る。
 眼前のチョコボの黄色い羽が、確かな熱をもって、まるでザルバッグをあやすかのように揺れた。彼もザルバッグと共に戦場を駆けてきた仲間の一人だった。チョコボは悲しげに鳴いた。
 ザルバッグは泣いた。大の男がみっともないと、仲間達ならそう言って、その上で一緒に泣くかむしろ笑うかしてくれただろう。
 そう考えるとさらに涙は濃くなった。
「うっ、うっ、……」
 夢はもう終わるのだ、ザルバッグの生の終わりをもって。
 とても楽しい夢だった。思えばなぜ、自分のような単なる傀儡人形に過ぎなかった人間が、あのようなすばらしい仲間達に囲まれてすばらしい戦いをしてこられたのかがザルバッグには分からない。
 せめて、彼らと共にいたあの一時一瞬だけは、『ザルバッグ』でいられていたら、と思う。ザルバッグは切にそう思う。
「(さらばだ、仲間達よ……)」
 しかし夢は夢だから終わりがくる。終わりがくるから夢なのだ。
 だからザルバッグは走り出した。彼の彼個人の彼自身の、ザルバッグの、最後の戦場へと向かって。