スウィージの森。チョコボがクィンもろともゴブリンに取られた。
 足と戦力を一気に失った即席のパーティ、ザルバッグ、エバンナ、カーティスは陰鬱な空気に包まれた。だがしかし相手は凶暴な森のモンスター、助けに行こうとすればこちらまでもが命を落としかねない。
 真っ赤な瞳に緩くウェーブがかった色の抜けたような茶髪、あどけない表情がかわいかったクィンちゃんには悪いが、彼女とはここでお別れだ。
 カーティスは泣く泣く諦めることにした、心にずきずき刺さる棘を無視する、のに。なんとザルバッグはこう言ったのだ。
 クィン殿を助けに行こう。
 これはそれに対するカーティスの返しである。
「分かってんのか? アンタの言うのは、ただ目の前のかっこいいっぽいことに目を眩まされた無謀なことだ。冒険ものの本や英雄の武勇伝の中ならそれでいいだろうが、これは現実なんだ。こっちは命がかかってんだよ。
 戦いがお遊戯お稽古の坊ちゃんには付き合ってらんねーな。」
 カーティスはちらりとザルバッグに視線を送る。次から次へと言葉を作り披露するカーティスに、彼は、何も言い返せないでいるようだった。ただ口をもごもごさせている。
「で、肝心のことをアンタは分かってんのか? 全部の現況は、ザルバッグ・ベオルブ、アンタだ。アンタには、オレらを無事にイグーロスまで帰す義務がある。できないなんて言わせねえ。」
「ああ…」
 ザルバッグは何とかそれだけ頷いた。まだその程度の義務感は辛うじて残っているらし。カーティスには余計その態度が癪だったので、まだ言った。
「だったら、……彼女を助けに行こうなんて、バカなことは口にするもんじゃない。ゴブリン…あいつらは群れる生き物だ。その巣に乗り込むのは死にに行くようなもんさ。今のオレらの戦力で勝てるわけがない。むろん、彼女を助け出すことだって。
 ………彼女だけで済んだことは、まだ幸いだったんだ。全滅するわけにはいかねえ。生き延びてここを脱出することだけを考えるんだ。いいか、それだけだ。」
「…………。」
 ザルバッグは何も言い返さなかった。カーティスは言い返されなかったが、殴られた。そして言われた。
「御託はいい! どうせまたオレには理解できん類のことなんだろう。何でもいい。それでオレ達“全員”が無事にイグーロスに帰ることができるのか、実際にやってみせてくれ!」
 カーティスは唖然として、殴られた頬をか弱い女性みたいに押さえながら、ザルバッグを見上げた。
 どこか気取ったような、カーティスが『坊ちゃん』と呼んで嫌う彼ではない。等身大のザルバッグを初めて見た気がして、カーティスは感動しすらした。
 そして驚く。初めて怒られるのだったので、驚く。
 カーティスは、マクレイン家のいわば箱入り息子だった。手塩にかけて育てられ、誉められ、甘やかされてここまで成長した。
 それが怒られる、それも殴られるなんて、初めての経験だった。
 ザルバッグの大きな手が拳を作り、カーティスの白い頬を強く打つ。その刹那から、カーティスの世界は稲妻に打たれたかのようにがらりと変わった。今まで一対一で真正面から単にそれ単品で燃え輝く情熱を訴えられたことのない貴族の坊ちゃんは生まれ変わった。
 ちなみに彼が女性に対する考えを改めたのもこのときで、彼は自分の性癖の実は異常なことを同時に悟ったのである。これは余談だ。
 カーティスは脱力したように笑ったが、実際は胸の中で何かが芽生え燃え始めるのを感じていた。
「はは、おもしろいな……全員、か。確かに無理だ。チョコボが死ぬ。」
「クィン殿は。」
 ザルバッグは強い目でカーティスを睨み、凄みのある声
でカーティスに尋ねた。
「………考えたくもねーけど、死ぬんだよな。」
 ぽつりと漏らしたカーティスとカーティスの声を見聞きし、ザルバッグはほら見たことかと言いたげな表情をした。実際にそう言った。
「ほら見たことか。本当は助けに行きたくてしかたがなかったのだろう。」
「死にたくないのも逃げたいのも本当だけどな。でも、助けに行こう。そのほうが後味が良い。」
「ああ。」
 そうは言ったが、本当は、カーティスにとっては後味が良かろうが悪かろうがどうでもよかった。死にたくないし生き延びたい、ただそれだけだ。最優先のその事項の前にはカーティスの考える後の味などとるに足らないことなのである。他者を助けたいという気持ちこそ他の男以上に一人前にあっても、そのためにできもしないことをするのはごめんだったのだ。
 しかし不思議なことに今のカーティスには、「クィン殿を助けに行く」ということができるような気がしていた。
 理由はない。強いて言うならカーティスができるようになっただけ──ではなぜ「できるようになった」のか、それは結局分からなかった。
 ただ、カーティスは人生で初めて殴られた。両親にはもちろん怒られたことはなかったし、姉は皆彼を甘やかすだけ、誰かと揉めごとになりそうになったら必ずその前に逃げてきた。アカデミーの教官は彼を叱りこそすれ、それは単に不真面目な生徒に対するステレオタイプの対応をしていただけで、彼の心底に染み渡るようなことはまるでなかった。
 カーティスは初めて殴られて、怒鳴られた。真正面から挑戦じみたことも言われた。じゃあ、実際にやってみろ。できるわけがない。カーティスはいっつも口ばかりなのだ。彼にできることはあまりない。
 けれども今の彼には「できる」ような気がしていた。なぜ、もなにが、も分からない。それでも。
「(この人と一緒なら──)」
 それがザルバッグ隊カーティスの始まりである。








「……夢か…」
 カーティスは目を覚ました。ここは、ルザリア城内で彼が寝泊まりしているいつもの部屋である。
 首とか腰とかが痛いのは、昨夜作業をしていたまま机で寝てしまったためだろう。うーんと伸びをして、身体のいろいろなところのコリをほぐす。
 昔の夢を見るだなんて、自分もいやに感傷的になったものだ。そんな自分を笑いたくもなるが、まあ、場合が場合なのでしかたがない。
「(エバンナ副隊長は……今回も、問題はないんだろうなあ。それは確かに安心だけど、一回くらい起こしたっていいのに。)」
 例えザルバッグが先走って事に及ぼうとしても、彼女なら止めてくれる。それは信頼というよりも、もはや認識に近いものだった。カーティスはよく知っているのだ、エバンナのことを。だからその点については何ら不安には思っていない。のだが、それだけでは人生つまらないというわけだ。それくらいのくだらないことを考えることができるのは、彼女の根本がしっかりしているが故だ。
「(クィンは……隊長がくたばる前に、ちゃんと正体バラすんだぞ。違うか。あいつが正体バラす前に、くたばんなよ、隊長。)」
 カーティスは彼女のことを、全部知らないまでも、全部分かっていた(こういうことを本人に言うとファイガかもしれないが)。一応、彼と彼女は「相棒」という間柄らしかったから、それが理由なのだろう。彼女は彼女なりのやり方で、この動乱の世からザルバッグを救おうとしているのだ。けれどもかわいそうに、それを誰も、カーティス以外は、本当の意味では分かっていない。彼女の大好きなザルバッグたいちょもだ。それでも一人でがんばる彼女は本当にかわいいやつだとカーティスは思う。
「(シェルディは、かわいそうにな……。ルザリア飛び出してって、今頃なにやってんだか。想像できるようで、できん。こっちは不安でしかたがない。)」
 だから今一番気にかかるのは、彼女のことである。ルザリアに残ってこれからのことを共に考えザルバッグを待つ予定だったのに、耐えられなくなったのかチョコボに乗って飛び出してしまった。痛い目を見るのはごめんだったので、騎乗は下手なくせにそれで飛び出した彼女を止めることはできなかった。
 カーティスだけがクィンのことを分かっていたが、シェルディに関しては、彼だけでなく、隊のみんなが分かっていることだった。そう、シェルディやザルバッグ隊長でさえも。その理解は隊の全員で暗黙のうちに共有していることだった。
 分かっていて、誰も何も言わずに約10年。みんなで馬鹿みたいにこの均衡を保ってきた。カーティスは、珍しくも、その均衡が壊れることはとても怖い。
 ずっと見てきたから知っている。分かっている。だから怖い。
 彼女本人がそれを壊すことは考えられないことだったが、ここ数日で考えられないことばかり起きた。予想外は予想外を産んで混沌の元となるものだ。具体的な例を出すならば、ラーグ公暗殺をダイスダーグ卿が実行に移し、総司令官を失ったガリオンヌの軍勢は鬱蒼とした混乱に満ちている。今でこそダイスダーグ卿やザルバッグ隊長の力で形は保っているが、それさえも、不穏な動きを見せるダイスダーグ卿の前にいつ崩れさるか分かったものではない。
 それと同じように、この小さな集団の中で保ってきたものが、壊れることが、ひょっとしたらあるかもしれない。それも、誰も望まなかったような最悪の形で。
「(いいか、シェルディ。愛を戦いの中で、あの人に語るんじゃねえぞ。それがその中でも可憐に強く咲き誇るならそれでいい。だが、ただそれに代わる手段として見せびらかすだけなら、誰にとってもつらいだけだ。)」
 空を共有することができるだけの距離にいるシェルディに、カーティスは祈る。同時にそんな自分を馬鹿だと思ってまた笑った。




 実際は、思考の時間はそれほど長くなかった。作業の途中で眠ってしまったカーティスは、幸いにも朝起きてからまた何か準備をする必要もなく、そのまま作業に取りかかる。これが机で寝る利点だ、なんて思う。
 ほんの少し前から始めただけの作業だったが、すでにもう終わりは見えていた。まあ、それくらい迅速なものでなければ意味がないのでもあるが。
 ダイスダーグを告発する材料は、もう少しで揃う。彼のこれまでしてきた所行と、その原因や結果は今ここにまとめられた。あと必要なのは、たったひとつ、全てを明らかにする証拠だ。全てはある目的の下ひとつの線として行われてきたのだから、終着点さえ明らかにされればそれ以前の行いは自明の事実となるだろう。そしてその必要な証拠は、おそらくエバンナ副隊長が持っている。だから彼女の帰還を待てばいい。
 ベスラでカーティスらを襲ったような奴らの対処は、クィンに任せた。カーティスはこちらを何とかするのが役目だ。彼は内部で抱えている、きっとザルバッグ隊長にはどうすることもできない問題を取り払ってやるのだ、ザルバッグ隊長のために。
 後は、ザルバッグ隊長になら、どうすることもできる。戦うことも平和に導くことも、それこそまたイヴァリース全土を争いの地にすることだって。
「(アンタにできないことが、俺の仕事だ。そうだろ? ザルバッグ隊長。
 俺にできることはやっとくから、後は俺にできないこともできることも、アンタがやってくれ。俺も手伝うから、さ。)」