夜に紛れて兄を討つのも、手段として考えられることではあった。しかしザルバッグはそれをしようとはしなかった。
 実の兄を討つ。そうと決めた今となっても、ザルバッグは、兄自身からの言葉を聞きたくてしかたがなかったのだった。
 それが審判に関わることは決してないのだから、何でもいい。自身のしたことに対する言い訳でも開き直りでも、何でも。
 時間は既に真夜中を過ぎていたが、兄が時間を問わず起きているのは珍しくないことだったので、ザルバッグはイグーロス城の門の前に立った。
 夜の番をしている兵士に、用件を述べる。実際これがザルバッグでなければ、真夜中に城を訪れるなど非常識なことであったから、簡単に門前払いを食っていただろう。
 けれどもこれはザルバッグだったので、用件を聞いた兵士はそれを中に伝達させた。しばらくして返事がくる。兵士は言った、ダイスダーグ卿は既にお休みなさっていると。
 用件の達成はすぐには無理なことになったが、門は開く。中に入って、夜が明けるまでを待てばよいでしょう。兵士のその申し出にザルバッグは首を振った。
 また明日来る。そう言ってチョコボを引いて歩き去る。
 城の外周に沿ってしばらく歩いて場所を探す。最終的には、往来を外れたところに腰を落ち着ける。
 チョコボは、主を夜の寒さから守るかのように、彼に寄り添って足を折った。長い時間戦場を駆けて戦ったために羽毛は堅くなってはいるが、だからこそ温かい。
 ザルバッグは目の前の黄色の毛を撫でた。チョコボは、小さく鳴いた。
 彼がいったい何と言っているのかが、たとえ魔獣の言語を解する技術を持っていなかったとしても、よく分かる。
「………そう言うな。」
 目の前に居るのが人間の仲間達だったらきっと、ザルバッグはこんなこと言えたものではないだろう。だが現実はそうではない。だから言った。
「オレだって、死にたいわけではない。
 お前達とずっと一緒にいられたら、どんなに素晴らしいだろうかと。ここに来るまでの間だけでも、何度も何度も思ったよ。」
 人間は言語を操り気持ちの表面を形作ろうとするが、魔獣はそうではない。チョコボはただ一声、クウと鳴いて、それだけで気持ちの隅々までが表現された。
「お前はオレの亡き後は、好きにするといい。自然に帰るでもザルバッグ隊に戻るでも、他の関係ない誰かを新しい主にするでもいい。お前は自由だ。」
 ザルバッグは空を見上げた。夜だった。当時を思い出す。小さな声で、囁くように語る。
「あのときを思い出すな。お前が乗せていたクィンもろともゴブリンにさらわれたことを。
 まさか昔は、こんなに長い付き合いになるなんて思ってもいなかった。お前はよく戦ってくれたよ。」
 チョコボの返事が間延びする。長く細く声が続く。要約すれば、もっと長く一緒にいたいと、彼はそう言ってくれていた。
「……ありがとう。」
 会話はそれで終わった。主に忠実なチョコボはそれ以上何も言わない。朝日が昇ってから城の門に着くまで、喜んで同行してくれるだろう。








「何の用だ、ザルバッグ。このような早朝から。」
「話があって参りました。お時間よろしいですか?」
 ダイスダーグは一見すると不機嫌な様子でザルバッグに応じた。けれどもこのような対応は彼にはよくあることで、ほんの少し彼と接したことのある人物なら、よほど勘が悪くなければこれが彼の常なのだろうと納得できる。
 ダイスダーグは現に、ザルバッグのはた迷惑な申し出に二つ返事で頷く。さらにここでザルバッグは、城内を歩きながら話しませんかとまで言ったが、ダイスダーグの返事は変わらなかった。
 ここでザルバッグは、兄の聞き分けの良さに不審すら感じる。彼は、彼の謀略を目の当たりにしていたはずの弟の言動に疑いを抱かないというのか。それともそれはザルバッグが過敏なだけか。それともダイスダーグは、あくまでザルバッグなど手中の駒に過ぎないから、全てを察した上で駒の動きを眺めているだけなのか。
 思えばいつからか、ザルバッグには兄の考えていることが分からなくなっていた。いつからか、そう考えることすら傲慢なのかもしれない。ダイスダーグの思考は高みに在り過ぎて、生まれたときからザルバッグなどでは、それを慮ることすらできないのだ。
 ダイスダーグは椅子から腰を上げ、先導するザルバッグに付いて歩き始めた。部屋を出て長い廊下を歩き、そのすがら、いろいろなことを話す。
「ラーグ公亡き今、北軍は我々ベオルブの下にあります。我々が率いていかねばなりませんね。
 これからのことについて、戦の面からだけでなく、お考えを尋ねてもよろしいでしょうか?」
 話せば話す程、彼の計画には問題がないということがよく分かる。問題がない、落ち度がない、欠点が短所がない。
 ダイスダーグがこのイヴァリースを統べるようになればきっと、史上希にすら見ない程の善政が敷かれるだろう。ザルバッグにはそれがよく分かった。
 しかしそれは、彼が仲間達を信じるときのような、根拠のない自信に基づく確信ではない。
 ただ、たかがうん十年兄を見てきて彼の所行や口に出す考え方、行動の仕方を統計して導かれる答えがそれなのだ。明確な理論、原因と結果があり、納得ができる。
 だからザルバッグは、兄を信じる自分は疑いようがないのだ。疑えるはずがないのだ、考える頭があるならば。
 今だってそれは変わらないはずだ。けれどもザルバッグはここに立っている。
「それでは戦いのほうは、具体的にはどう運ぶおつもりで?」
 ザルバッグは尋ねた。ちょうどこのとき2人が歩いていたのは渡り廊下で、ザルバッグは視界にイグーロスの城下町を見た。城から町を見下ろすのは久しぶりな気がする。どちらにせよそれは彼が昨晩見たはずの景色とはまるで違っていて、ザルバッグは同伴者に気付かれないようひそかに驚いた。ダイスダーグは答える。
「今は互いが疲弊し、また総司令官を失い、立て直すのに必死だ。トップが死んだ穴は、たがだか数週で埋まるものではない。完全に立て直すのを待つのなら、戦の再開はずっと先だ。
 そしてだからこそ、先手を打つことが重要になる。互いが手を引いている今だからこそ、だ。しかしそれは先走るのとは違う。だから今戦いは鎮静化しているのだ。」
「…………。」
「我々はなんとしても、敵よりも先のところに立たねばならない。そしてそれができる力を、北軍は所有している。それこそが私とお前、ベオルブだ。」
「…………。」
「だから我々は先手を打つ。
 ラーグ公とゴルターナ公の違いは、ベオルブのような強力な剣があるかないか、だ。ゴルターナ公は愚かさのあまり、その強力な剣になりうる者を自ら食い潰してしまったが。」
 ザルバッグは思った。ラーグ公は、その剣の強力なあまり、それに食い潰されてしまったが、と。
「……何か言いたそうだな。」
「!」
 気付くとダイスダーグに視線を向けられており、ザルバッグは驚いた。その目はザルバッグの心の底を見透かそうとする目だったので、こうなったときに勝ち目はないと知っていたザルバッグは素直にそのまま言った。
 ダイスダーグは少しおもしろげに笑う。彼の笑ったところをザルバッグはあまり見ない。これにもまた驚いた。
「お前にしては、中々凝ったことを言うではないか。その通りだ。ゴルターナが剣の鋭さに怖じ気付きそれを折ったのなら、ラーグは剣を扱いきれずに自滅した。互いに君主としては力不足だったのであり、現在北軍と南軍の差を形作っているのは、彼らの遺した力の差ではない。あくまで我らベオルブの力だ。集団の中に、優れた人間がいるか否か。どれだけ優れているか。それが勝敗の理由だ。」
 ダイスダーグは話している相手の顔を見ない。わざわざそれを覗き込むのもはばかられたため、ザルバッグには彼がどんな表情で話しているのかが分からない。
「考える頭は私だ。実行する身体はお前だ。そして動くための手足はお前の北天騎士団だ。我々は完全無欠な軍隊として、敵を打ち倒しイヴァリースを平和に導くことがきっとできる。
 ……お前直属の、通称はザルバッグ隊、といったか。それは非常に大きな戦力となるだろう。活躍を期待しているぞ。」
「…………。」
 ザルバッグは、いつのまにか彼の前を歩いているダイスダーグの背中を見た。そして少しの、短い間だけ、ためらった。徹底的にためらった。腕が動かない。足が動かない。頭だけが動く。
 けれどもためらいはほとんど本能的なものだったから、時間がそれを打ち破る力が勝った。ザルバッグは震える足をふんばり、ダイスダーグに肩をぶつけた。
 ダイスダーグが大きく前によろけて膝をつく。しかしすぐに振り返って立ち上がろうとするのを、ザルバッグは、剣を抜いてその目の前に突きつけることで阻止した。
 文字通り眼前に突きつけられた剣を見て、ダイスダーグは目を見開いた。ザルバッグの見る前で視線が動き、剣ではなくそれを持つザルバッグ自身を捉える。
「…………。」
 ダイスダーグは、口元で何か呟いた。それが早口だったのと小さかったのと、そんな場合でなかったのとで、何を言ったのかが分からない。けれどもザルバッグにはそれが、昔、大きな間違いをしでかしてしまった少年ザルバッグを兄ダイスダーグが叱ったときのような声に聞こえた。
 少しだけ間が空く。その間にザルバッグは兄の呟きの意味を確認しようとしたが、その前にダイスダーグは忌々しげに声をあげた。
 それによって、ザルバッグの意識は現世に引き戻される。気が引き締まる。そして戦いが、
「いったい何のまねだッ、ザルバッグ!!」
 ザルバッグの最後の戦いが始まった。