ザルバッグはザルバッグの役目を果たすためにここに立っていた。
 断罪の剣を突きつけて、裁かれるべき大罪人を見下ろす。
「気でも狂ったのかッ!!」
 声を張り上げるダイスダーグに、ザルバッグは負けないくらいの大声をぶつけた。
「兄上ッ、兄上はそれでもベオルブの名を継ぐ者かッ!」
「ラーグ公のことを言っているのか? 私が討たなくとも死んでいたよ! 考えてもみろ? 他人の力を借りなければ戦うことのできない奴だったのだ! そうした奴が戦争を始めたこと自体が大きな間違いだったのだッ!!」
 ダイスダーグは悪びれる様子をいっさい見せなかった。いや実際彼は、悪いことなど何一つしていないのだろう。彼は彼の目的のため必要な犠牲を払ったまで。
 それを思うと、ザルバッグは尚更腹が立ってくる。
「主君殺しも恥だが、私が許せないのは父上のことだッ!」
 ザルバッグは言った。
「何故、父上を…父上を暗殺するような卑劣なマネをしたのだッ!!」
 それは許すべからざることだった。騎士として、人として、男として、息子として、決してしてはならない行いをダイスダーグはした。
 ザルバッグには、偉大な騎士を、父を失ったことが、純粋にひたすら悲しかった。今改めてそれを思う。
 なぜ父は死なねばならなかったのだろう。あの素晴らしい父が、なぜ。数年前に何度も問いかけたその疑問が今心に浮かぶ。なぜだ。死んだ原因の分かった今でもその問いは止まらない。なぜ父が死なねばならなかった!
 騎士としても人としても男としても息子としても、どんな面からそれを受け入れても、ザルバッグはバルバネスの死を悲しく思う。そして彼を殺めたダイスダーグを憎く思う。罪を犯した彼を許せない。だから、ザルバッグは、今この場に立っているのだ。
「何のことだ? 私は知らん! 知らんぞ!!」
 ダイスダーグがしらばっくれたことは、ザルバッグの怒りの炎をさらに激しくする要因となった。もはや彼は兄の言葉に耳を傾けることもしない。低く唸る。
「ラーグ公の最期の言葉…、聞き違いかと思ったが……!!」
 思い出せば思い出す程、悔しい。その悔しさは自分自身にすら起因する。
「何故だッ、兄上ッ!! 何故、父上を殺したッ!!
 しかし相手と会話する気の失せたのは、ザルバッグだけではなかった。激しい複数人の足音がしたかと思うと、ダイスダーグの背中の向こうに見える扉が開き、城の騎士が入ってくる。
「ダイスダーグ様ッ!!」
「ザルバッグが乱心したッ!!」
 ダイスダーグは入ってきた騎士達に言った。その瞬間からザルバッグは、兄に剣を向けた謀反人として彼らに認定される。彼らが目の前の事態を信じられないような表情をしていたのはほんの短い間だけで、すぐに目の色は変化する。
 またも複数人の足音がした。今度はザルバッグの背後の扉から。
 ザルバッグの注意が背後に向いたそのときだった、ダイスダーグが体勢を持ち直したのは。すぐに彼も自身の剣を抜いて構え、ザルバッグは完全に取り囲まれた状態となる。
さらにダイスダーグは、ザルバッグの決死の覚悟を知っていたのだろう。様子を伺いながら後退し、騎士達の背後に隠れた。
 そして指示する。
「ザルバッグを捕らえよ!」
 謀反人は圧倒的多数の騎士に取り囲まれ、完全に不利な状況にある。これが単に数だけの問題なら、ザルバッグにも勝利の自信はある。だが敵の中にはあのダイスダーグがいる。かつては北天騎士団団長として剣をふるった魔法剣士が。
 彼の力は他でもないザルバッグ自身がよく知っている。だから彼はよくない状況に歯噛みした。
 そして怒りは留まるところを知らない。戦略を考えて後退したダイスダーグを見て、ザルバッグは怒りと嘆かわしい気持ちとで咆哮した。
「兄上ーッ!!」




 確かに人数ではこちらに圧倒的に不利であったが、そこは大した問題ではなかった。ザルバッグは自分の力は信じている、この場にわらわら集まってきた騎士達など、その前には烏合の衆に過ぎない。
 しかし彼はダイスダーグの強さも知っていた。そしてそれは、前線を離れた今も決して衰えてはいないことを。また彼の強みはその剣の腕だけでなく、磨き抜かれた魔法でもあった。多対一で戦うには荷が重すぎる相手である。
 だからザルバッグはボウガンを持ってきた。リーチの短さを補えるように。遠くからでもダイスダーグの命を狙えるように。例えザルバッグが命尽きても、討ち取るべき者だけは殺められるように。
 例えか細い一本の矢でも、確実に急所さえ射抜けば簡単に人間を殺すことができるのだ。ティータのように。
 ザルバッグは広間の真ん中に立ち、敵の来るのを待ち受けた。前からでも後ろからでも、確実に受け止めてやる。
 余裕を与えないために連続して繰り出される剣は、隙を作らないでひとつずつ受け流す。多方向から同時に降ってくる剣は、たったひとつ空いたところを狙って避ける。相手が多数でも、攻撃を加える剣は有限だ。絶対に見逃してはならない点はほんの少しだけで、かならずどこかに穴があるはずで、ザルバッグはその判断をして決断をして動くだけだった。
「がッ!」
 一人の騎士の額に剣の柄をぶつける。気絶する程度の強さだったために彼の力は失われ、その身体を蹴飛ばしてザルバッグは前方の敵の動きを一時だけ止めた。
 その一時だけで十分なのだ。ザルバッグは剣を縦に構えて呪文を結び、術を発動させた。
「時の流れの法を消し去れ──スピードルーイン!」
 しかし術の成功を確かめるよりも速く、ダイスダーグの剣技がザルバッグを襲った。
 もちろんその程度のことは予想していた。ザルバッグは術発動後できる限りすぐに跳びすさるが、鋭敏で繊細な集中の必要な術使用直後の隙は小さくはなかったし、何よりも稲妻の速さは人のそれを超えていた。
「(腕をやられた…!)」
 痺れて動きが悪くなったのは、幸いにも利き手ではない。ザルバッグはただ添えるように右手に左手を重ね、唯一の目的であるダイスダーグを見やった。
 元よりそうではあったが、もはや数は問題ではなかった。動きを制限する破壊魔剣の効果により、それを食らった数人の動きは目に見えて悪くなっている。戦いは格段に容易になる。あとはダイスダーグさえ討ち取れば、他の者を殺傷せずに事を収めるのは簡単だ。
 しかし、例え多対一であろうと、一対一であろうと、ダイスダーグが脅威であることに変わりはない。それはどうあっても変わらない。
 ザルバッグは援軍の可能性すら浮かんだために旋律した。そしてその全身を満たす恐怖を彼が感じ取った直後、
「(――馬鹿か、オレは!)」
 ザルバッグはやっと我に返った。目的はただひとつ、ダイスダーグを殺すことだけなのだ。自身の安全など考えている場合ではない。
 この期に及んで生きることを考えていた自分に反吐が出た。ザルバッグは両手で剣を握った。
 そしてそのとき突如、一本の矢が視界を横切る。それは寸分違わずダイスダーグを狙い、しかし彼の持つ剣によって弾かれた。
「ザルバッグ兄さんッ!」
 ザルバッグは耳を疑ったが、新たに広間に現れたのはラムザだった。ラムザとその仲間達と。今しがた弓を放ったのは仲間の弓使いの少女だ。
「ラムザ!」
 なぜここに、という質問よりも先に出てきたのはこの言葉だった。ほとんど反射的に飛び出してきていた。
「ラムザ! おまえの言っていたことは本当だった!!」
 ザルバッグは夢中になって話す。敵からの攻撃はなぜか止んでいた。
「兄上はおのれの野心のために戦争を引き起こし、さらにはラーグ公をも謀殺したッ!! ベオルブの名を汚し地に貶めるその行為、許すわけにはいかんッ!!」
 ラムザはザルバッグを見て何か言いたげだった。しばらくは言葉を探していたようだったがすぐにやめる。そしてただ、ザルバッグの名前を呼び返した。
 ラムザがこちらに駆け寄ってくる。彼の仲間達は城の騎士達に立ち向かい、実質上ダイスダーグの相手は弟2人になった。
 自身に剣を向ける、かつてはただ忠実だった弟達を見て、ダイスダーグは激昂した。
「愚か者どもめ! 何故、私に従わん! 何故、私に逆らうのだ! 力を持つ者が持たざる者を支配するのは当たり前! それは持つ者の責任なのだ!!
 かつて力を有していた王家も今では堕ちるところまで堕ちてしまった! 力を持つ我々が王家に取って代わるのも当然のことではないか!! それが正しい力の使い方だ!! 何故、それを理解せん!!」
 ザルバッグは胸が詰まる思いだった。言葉の全てが彼の過去を抉る。けれどもザルバッグは、誰よりも道に外れないで戦ってきた弟の前で、ザルバッグに全てを捨てさせてここまで連れてきた思いを口にした。大声で叫んだ。
「兄上は“正義”という心を持っていないのか!! ベオルブは正義のために剣を振るう者にのみ与えられる勇者の称号! 兄上にはその資格がないッ!!」
 ただひたすらになって、互いに思いのたけをぶつけ合う。本来厳粛な場の中で大の男が大声で怒鳴り散らすのを咎める者は、もはやどこにもいなかった。
「“正義”だと? そんな言葉、口に出すのも恥ずかしいわッ!! そんな奇麗事で民を治めることなどできるものかッ!! お前がそうやって剣を振れるのは誰のおかげだと思っている!? 英雄と呼ばれるのは誰のおかげだ! すべてこの私だ! この私が手を汚しているおかげで、お前はその立場にいられるのだ! 感謝されることはあってもお前に恨み言を言われる筋合いなどないわッ!!」
 最初から、言葉での交渉など意味を持たないことだった。それでも互いにそうせずにはいられない。互いが互いの主張を言葉でぶつけ合わずにはいられない。
 しかしすぐに言葉は剣にとって代わった。自身のなすべきことをなすためだけに、ザルバッグは剣を振って戦った。