ボウガンを構え、しかるべき手順を踏んで矢を放つ。それには弓で矢を射るときのような集中も覚悟もいらない。ただ狙うだけだ。
 要する時間はほんの一瞬だった。その一瞬の間に、ザルバッグの心をとある少女の姿が駆け巡る。
 名はティータ、性はハイラル。ベオルブ家に引き取られて、ザルバッグ達とはまるで実の兄妹のように育った少女だ。
 向こうはどう思っていたのかは知らないが。実際は我々に対して引け目しか感じていなかったのかもしれない。思えばいつも、ザルバッグと話すときのティータの声はか細かった。元からそんな性格なのだろうとずっと思っていたが、実は違うという可能性にこのとき初めて気が付いた。
 それでもザルバッグは、ティータを2人目の妹のようにかわいがった。そのつもりだった。彼女が元骸騎士団に人質として攫われたとき、アルマの無事を喜んだのは事実だが、彼女の不幸を心底から呪ったのも嘘ではなかった。
 思えば彼女は薄幸の少女だった。そしてそこに終止符を打ったのは、他でもない、ザルバッグだ。
「(すまない、ティータ……)」
 ザルバッグが彼女にしてきたことが単なる自己満足だったのなら、彼女が死ぬときも、死んだ後も、ずっと変わらない自己満足だ。ザルバッグは兄として、そのときだけ、心の内でティータを思った。
 そして矢が飛んだ。それは少女の胸を貫いたときと同様に、今度は兄の胸に、今度はザルバッグ自身の手によって直接、突き立った。








 ダイスダーグの膝が落ちる。胸から生えた矢を彼は信じられないようなものに対する目で見たが、すぐにその目はザルバッグらに向いた。
「そ…、そんな……おまえたちが邪魔さえしなければ…このイヴァリースは……ベオルブ家の……ものに……なったのだ…ぞ……」
 ダイスダーグは倒れ、絶命した。逝く間際に「愚か者どもめ」という言葉を残して。
 ザルバッグはダイスダーグに歩み寄り、首元に手を当てて確かめたあと、小さく呟いた。
「終わったか……」
 すぐに立ち上がって、ラムザとその仲間達に向き直る。けれどもラムザ以外の人物は満場一致で場の処理をラムザに任せているらしく、ザルバッグは改めてラムザに向いた。そして言った。
「ラムザ、久しいな。こんなところで会うとは思わなかった。」
「……僕もです。ザルバッグ兄さんは、絶対にダイスダーグ兄さんの側につくと思っていましたから。」
 そこに含まれるのは呆れか侮蔑か。しかしこのとき、ザルバッグにはどちらにも思われなかった。ただ純粋にラムザはそう信じていたのだろうと判断した。
 むしろ呆れたように言ったのはザルバッグだ。その呆れが覆うのは、他でもない自分自身である。
「愚かな兄を笑っておくれ。真実を告げたお前を、オレは現実を見ようとせずにただ否定してしまった。すまない。」
「…もう、過ぎたことですから。」
 いいとも悪いともラムザは言わなかった。ただ、過ぎたことだからとそれだけ言った。
「それよりラムザ、お前は何をしにここへ?」
「聖石を探しに来ました。おそらく教会がダイスダーグ兄さんに渡したはず。」
「確かに、神殿騎士団がゾディアックストーンを渡しているのをオレは見た。あんなものを探しているのか?」
「はい。」
 ラムザは頷いた。ザルバッグはこれから先のことを憂いながら、とにかくラムザに尋ねた。
「……お前は、それを見つけた後は、どうするんだ?」
「アルマを探しに行きます。教会に連れ去られてしまったから……次の目的地は、ミュロンド寺院です。」
「何だって!?」
 自負するほどの敬遠なグレバドス教信者であるザルバッグは驚きこそしたが、さすがに、もう前のようにラムザを疑うことはなかった。彼が疑うのはまず自身の認識だ。
 ラムザはその驚きに対し何とも言わない。代わりに驚くべきことを口にしたが、ザルバッグはそれに対しては驚きを露わにはしなかった。
「…兄さん。一緒に行きませんか? もう戦争をすることには意味がない。僕達はそれよりも重大な危機にさらされている……。僕達はそれと戦っているんです。」
「ラムザ……」
 ザルバッグは正直、途方に暮れた。ラムザのその申し出は今のザルバッグにとって、喉から手が出る程魅力的なものだった。
 罪を償えるかもしれない……。そんな思いが浮かぶ。実にそそる。けれども、贖罪をただ自身の命を絶つことにしか見出せなかったザルバッグにも、突然目の前にぶら下がった光に縋ることは許せなかった。
「すまない。オレはお前達とは、共にゆけないんだ。」
「どうして?」
 ザルバッグは苦しんだ。とてもではないが、実の弟の前でこんなことは言えない。これから死ぬから共にゆけない、だなんて。
 それにしてもザルバッグは、自身の中である気持ちが芽生えるのを感じていた。一人の騎士でも、兄の傀儡でもない、もうひとつのザルバッグの顔。ラムザやアルマ、かわいい年下の兄妹達を守るべき“兄”としての顔だ。
 かわいい弟の前で、死ぬ、などとは、口が裂けても言えるはずがない。
「……オレには、やるべきことがあるんだ。」
 ザルバッグは言い訳を始めた。
「戦争をすることに意味がない、とお前は言ったな。だが、オレは北軍の指導者だ。ラーグ公も兄上も亡き今、たった一人の、な。だから、この戦争を終わらせなければならない。」
 ラムザは納得しているのか、口を挟まずに黙って耳を傾けていた。
「それに、オレには仲間がいる。ザルバッグ隊の仲間が……。お前だって、あいつらの手に負えないことはよく知っているだろう。オレがいなければ、あいつらは駄目なんだ。
 だから、お前とはゆけない。」
「………確かに、そうですね。分かりました。」
 ラムザは少しだけ寂しそうに、けれども聞き分けよくそう言って頷いた。そういえば昔から彼はこうだった。
 ザルバッグは、最後に一度くらい、良い兄として彼に接してやれないだろうかとふと思って、背の低い金髪を撫でようとした。
 しかし、基本的には静かな広間の中で、突然音がした。音、というよりは気配か。それで、伸ばされかけたザルバッグの手は引っ込む。
 その気配は妙な存在感をもってザルバッグらの感覚に訴えかけた。その元を振り返る。赤黒い、まるで凝固した血のような色をした石が、ダイスダーグの懐からまるで意志を持ったかのように出てきて──浮いていた。
 ラムザがはっと息を呑む。事情を聞こうとザルバッグがラムザを見やったときに、変質が始まった。
 事態を飲み込む前にそれは終わる。先程までダイスダーグという人間の居たところには何か形容しがたい、獣のようないわば怪物が立っていた。
 怪物の口が人語を話す。
「ククク…、そういうことか……そういうことだったのか……」
 怪物はまだ喋る。
「愚かな弟よ……。冥途のみやげに教えてやろう…。」
 まだ事態は飲み込めない。けれどもザルバッグは、とてつもなく嫌な予感だけは何とか発生させた。怪物の言う「弟」が、いったいどちらか分からない程に焦る。
 だが、怪物のかつての弟は、兄は、とっさに口にした。
「ラムザ、聞くなッ!」
 意味はない、意味はまるでないのだ。それで耳を塞ぐ程弟は愚かでも従順でもない。
「そうだ……。バルバネスはこの私が殺した…。私が殺したのだよ……。」
 低く地底から響くような声ではっきりと告げられた内容に、ザルバッグは総毛立った。ラムザも衝撃を隠せない。そしてザルバッグはさらに続く言葉を聞いて、ついに怒りに我を忘れた。
「せっかく、ベオルブが君臨するチャンスがやってきたというのに、あの戦争バカめ……。だから、殺してやったのさ……。クククク…、どんな剣の達人でも毒には勝てんというわけだ……。」
 そして怪物の懐で光が――聖石が輝いた。それを瞬間早く察知し、怒りに燃える心でザルバッグはなぜか、真っ先に身体を弾いた命令に従った。
 ザルバッグはラムザを、懇親の力を込めて突き飛ばした。思ってもいなかった通り、彼の頭上に邪悪な白い光が煌めき──ザルバッグの視界は真っ白になった。