広大な大地、その上の青い空、砦。時も記憶も定かでない空間の中で見る幻に用意する背景など、それで十分だ。
「敵だーッ!」
 砦を目的地にして走る騎乗用チョコボを数体見つけ、見張りの兵士は叫んだ。
「その数、一、二、……五?」
 確認してもしなくても、数は五である。見渡す限り他に敵の軍は見当たらず、砦ひとつに攻め込むには少なすぎる数に思われた。
 兵士は思わずぽかんと口を開けた。そしてその口から、
「うっ!」
 空気の抜けるような声が漏れた。そのとき彼の肩には誰か男性が乗っていて、首がその男性の腿にきつく絞められている。
「残念六だ。」
 男性がそう言ったときには兵士はもう「落ちて」いた。彼が倒れると同時に、男性も身軽に床に足をつける。
「ヤローに肩車してもらうなんて、シュミじゃねーんだけどな。クィンめ……テキトーなところに飛ばしやがって。」
 カーティスはぽつりと呟いた。
 そして彼は砦内部に繋がる塔の扉まで走って、よくよく聞こえがよいように叫ぶ。
「敵だッ! ザルバッグ隊が来たぞーッ!」
 異変に気付いたのか気付かなかったのか、とにかく兵士の走って上ってくる音が2つ3つ聞こえてくる。それに耳を傾けながら、今度はカーティスは景色を見渡せるほうまで歩いて、こちらに近付きつつあるチョコボを見下ろした。
 さらによく見ると、一糸乱れぬ連携でこちらに走る一塊が、実は一点だけおぼつかないものとなっている。それはクィンの乗るチョコボだ。彼女は騎乗が異様に下手である。
 今もロクに手綱も握れずにチョコボの首にしがみついて彼を苦しめていることだろう。かわいそうに。
「だいじょうぶか、あいつ……また落ちないといいんだが。」
 心配げに呟いたところで塔の扉が開き、3人の兵士が現れる。彼らはまず先にカーティスの姿を捉え、そして足下に倒れる仲間を捉え、驚愕した。
「3人か。まあ、俺はだいじょうぶだよな。」




 クィンがチョコボから降りられない。
 手筈では、砦前に敵が集まるはずだから、そこで一度全員がチョコボから降りて白兵戦を行う。しかし直前の今になって問題は表面化した。ただひたすら黄色の鳥にしがみつくだけのクィンがそれから降りられるはずがなかった。
「いいかクィン、合図したら手を離すんだぞ!」
 隊の戦闘をゆくザルバッグは後方に振り返って声を張り上げる。彼はそれでも方向は見失わずに皆を先導できるというのに、当のクィンといったら。
 彼女は必死にチョコボの首にしがみつき、死に物狂いの形相でぎゃんぎゃん喚いた。
「いやだいやだいやだーっ! 落ちちゃうーっ!」
「落ちるんじゃなくて降りろと言っているんだ!」
「だって、だって、むりよう! この鳥がわたしを安全に降ろしてくれるはずがない! この手を離したら私は重力に従って落下し石畳に頭をぶつけておおけがするにちがいない!」
「そんなふうに首を絞めるからチョコボが暴れるんだろう!」
「だってここ持たないとわたし乗れないいいいい」
 クィンも死にそうだがチョコボも死にそうだ。苦しそうに声をあげてそれでも走るのは、彼自身の誇り故だ。
「ザルバッグ隊長。目的地に到着します。残り10秒、9秒、」
 隣で副隊長エバンナが正確無比な秒読みを始めるのを聞き、クィンではなくザルバッグが腹をくくった。問題はさておいて前を見る。
「いくぞ、お前達! ザルバッグ隊の力を見せてやれ!」
 軽快な3つの返事にそうでないもう1つと同じくらいのタイミングで、秒読みが0を迎えて砦の門に到着する。4人はチョコボを止めるという隙もなく飛び降り、待ち構えていた兵士らと戦い始めた。
 しかしその真ん中を、一体のチョコボが駆け抜けていく。上に小さな少女を乗せて。
「落ちるうううううううう──」
 声が尾を引きそれも消える。チョコボの大爆走によって兵士の陣形はちょうど2つに割れ、一瞬だけその場にまるで嵐の通り過ぎた後のような静けさが満ちた。
 しかしそれも、すぐに人々の声にかき消される。正面から突入する役目の彼らの戦いは、1人を完全に取り残して、というよりは1人に完全に置いて行かれて始まった。




「あああう……ひとりぼっちになっちゃったよう。どうすればいいのかなあ。」
 するとその存在を誇示するように、後ろからチョコボが鳴く。階段をひとりでとぼとぼ上がりながらクィンは、彼に恨みがましい目線を向けた。
 1人と1羽は今、どこか上へ向かうそれなりには広い塔の螺旋階段を上っている。正門に戻って皆と合流しても別によかったが、だだっ広い砦を中から外から攻めて落とすのが今日の作戦の主旨だ。カーティスだって単独行動をしているのだし自分だってしてもいいだろう。
 それにクィンは、──
 クエ。チョコボがまた鳴く。
「うっさいわねえ。わたしあなたのこと嫌い。なんでたいちょが、わたしを、あなたに乗せたのか分かんない。」
 チョコボが抗議の声をあげるが、しかしクィンの赤い目は何か他の存在を捉えて見開かれた。周囲を探るように見回し、そしてすぐに平時の色を取り戻し、今度はその目をチョコボに向ける。
「あなたは、脚が早いんでしょう。わたしのことは放ってどこかに行って。」
 言葉が通じるのかは分からないが、クィンは諭すように続けた。
「戦うには、じゃまなの。走ると速いけど。だから、どこかに行って。
 ここまで運んでくれて、ありがとうね。」
 チョコボはすぐに振り返って走り行く。基本的には戦闘要員ではない彼らは、本来ならば砦には入らずに外で待機する予定だったのだ。
 クィンは階段を降りる敵の数を数えた。10だ。
 彼女は背中の杖を前に構え、まず自身にヘイストをかけた。そしてプロテス、シェル。他にも続けざまにいくつかの呪文を自身にかけるが、全てがまるで呼吸のように、自然に滑らかに行われる。
 そしてクィンは走り出した、階段を上るほうへと。




 砦全体がびりびりと揺れる。とりわけ屋上へと続く塔の中で何かいやな音がしたが、それはきっとザルバッグの気のせいだ。
「ザルバッグ!」
 ザルバッグの視界を剣が一閃する。彼は膝を折ってそれを避け、目の前の敵の足を足で払った。
 バランスを崩した敵を、剣で切り上げる。倒れる。次は裏に気配を感じたが、ザルバッグは振り返らずに前へと進んだ。
 ザルバッグの居た跡を、振り降ろされた剣が叩く。そしてすぐに倒れた人間の身体が続いた。背後からザルバッグを狙い攻撃をしかけた彼は、さらにそのずっと背後のウィリーによって倒された。
 ザルバッグはどんどん前へ進んでいく。その前に立ち塞がる敵を、左右の騎士と戦士が叩く。
 正に獅子の突撃だ。敵が敵でない、見る間に数が減っていく。
 多人数が少人数に、5人が4人に、4人が3人になる。そしてついにはザルバッグが最後の一人を斬り伏せた。
 戦闘不能にさえなってしまえば深追いはしない。ザルバッグは少なくとも敵がこれ以上戦闘を続行できない程度に痛めつけられていることを確認し、剣を収めた。
 部下達を目を合わせて頷き合う。そして4人は走り出した。




 その様子を上から確認し、カーティスはほうと溜息をついた。
「問題なくらいに問題ないな。スムーズすぎる。正面の配置が問題だったんだなー。」
 石の欄干に身体をもたれかけさせて、ぼんやりと外を眺める背中がひとつ。彼に倒された敵のうち一人が地に腹をつけたままそれを静かに見上げ、時を見計らって音もなく立ち上がった。
「それともあっちが弱すぎるだけ? それとも、」
 カーティスは独り言を続ける。彼の心臓の位置を背中側から敵が刺そうとするが、
「こっちが強すぎるだけ?」
 それよりも先にカーティスは身体ごと振り返り、裏拳を敵の鼻先に当てた。声をあげて敵が仰け反ったので、その腹だか股間だかを蹴り上げて追い打ちをかける。
 今度こそ敵は倒れた。
「あぶねー。心臓刺されるとこだった。」
「おまえ……やっぱり猫被ってやがったのか!」
「あ?」
 声をあげたのは敵だ。倒れて動くこともままならないまま、口だけは一丁前に動いて憎まれ口を叩く。
「思えば、弱いヤツがザルバッグ隊にいるわけがなかった!」
「おいおい、なに言ってんだよ。誤解してんじゃねーのか。」
「簡単に殴られるわ蹴られるわ、とんだ弱いヤツを送り込んだもんだと最初は笑ったが……そんな中でも味方がどんどん倒されていく。全部わざとだったんだな!」
「もしもーし。聞いてるかー?」
「うるせえな聞いてるよ!!」
 カーティスはふうと溜息をついた。男と話すのは趣味じゃねーんだけど、と前置いて説明する。
「悪いが俺は本当に弱い。サシでやったらうちのやつらには全敗する自信があるくらいだ。いるんだよ、俺みたいな弱いのがザルバッグ隊にもな。
 俺は生き残りたいっていう願望だけは人一倍だから、それで実際生き延びてこられたんだろうな。ま、それだけだ。」
「そんな話を、こちらが信じるとでも…?」
「さあな。アンタ次第さ。」
「…………。」
「さてと。」
 カーティスは歩き出す。中で適当に暴れて、敵を混乱させなければ。




 ザルバッグは敵の剣と剣を合わせ、押し合う。ぎりぎりと刃が交錯する。
 単純な力では、体格のよろし過ぎる相手のほうが強かった。しかしザルバッグは剣の競り合いに打ち勝ち、相手の剣を弾き飛ばした。
 ザルバッグは知っている、どうしたら力の勝る相手に打ち勝つことができるのかを。知っている、力だけでは相手に勝つことができないということを。
「立ち止まるな、進めッ!」
 声は数多くの敵の頭上を飛び越え、その先の女性に届く。シェルディは二度と振り返ることはなく、長い髪をなびかせ走っていった。




「ザルバッグ隊長。」
 瓶を渡す。ザルバッグはその栓を抜いて中身を浴びるように飲んだ。
「傷の手当を…」
「いい。どうせまた増えるんだ。」
 ウィリーはにべもなく提案を跳ね除けられて、役に立てない自分を責めるでも、今この場にいない魔道士を恨むでもない。すぐに、他に何かできることはないかと探し始めた。
 ザルバッグの怪我は確かに今すぐどうこうということはないが、放置しておくには大きすぎた。それは同時に、治療しきるのに時間を要するということでもある。
 魔法の使えないウィリーでは、速攻性に長けた治療はできない。
 このまま先へ進むとなると、心配な点が多すぎる。
「…………。」
 そして、轟音が空間を貫いた。突然のことに、ウィリーは思案から突如解放される。
 角を曲がった先から炎が噴き出し、たくさんの敵兵が逃げていくのを見て悟った。
「クィンだ! 隊長は待っていてください、呼んできます!」




 クィンは大暴れしていた。しかし、その手になぜか杖を持っていないことが分かる。いや、だから、か。
「わたしの杖を、かえしなさいッ!!」
 ウィリーはそこかしこを埋める炎に阻まれながらも、何とかしてクィンに近付いていく。
「クィン! 僕だよ!」
「弓使い君!」
 クィンは嬉しそうな表情の後に悲しそうな表情をした。炎の出が弱まったので以降は簡単に彼女のところまで到着できたが、ウィリーはそんな彼女を見て戸惑う。
 さらにクィンは血塗れだった。白魔道士のローブを三角でない赤が彩る。返り血かと思ったら彼女自身も血を流していた。
「……杖…取られちゃったの。ごめんなさい。」
「いいんだよそんなの! それより聞いてくれ。隊長が怪我してるんだ! お前に治してほしい。」
「ほんとう!?」
 クィンは何らためらわずに炎を消した。しかしそのときを敵は待っていたのだ、何人もがクィンとウィリーめがけて走って来る。
 しかしそのうち全員が、2人の元まで来ることは叶わなかった。ウィリーは弓を構えた手を降ろし、クィンを連れて元来た道を駆ける。足を撃たれてうずくまる敵の間を縫って。




「何で助けたのよ!」
 シェルディが鬼のような形相で怒鳴りつけるのは、敵ではなく味方、それも上司のザルバッグだ。
「私一人でだって何とかできたわ! それを勝手に来て勝手に助けて……2人もいたら動きづらくなるでしょう!」
「さっきのは、なかなか良い連携だったな。」
「邪魔だったのよ、邪魔! あと一歩であなたを殴りつけるところだったわ!」
「実はオレの背後の敵を狙っていたんだったな。」
「それに、あなただって危ない目にあったし…」
「結局、お前はオレを助けてくれたな。」
「…………。」




 女騎士は剣を手に戦っていた。だというのに、その空間だけまるで外界から切り離されたかのように静まり返っていた。
 騎士が地に足をつく。音がしない。騎士が振り返る。音がしない。それにつれて剣が振られる。音がしない。
 対峙する者達も皆一様に口をつぐんでいた。そして彼らが音を立てる前に、彼らは音を立てなくなっていた。
 しかし彼らの目に移る世界は輝いていた。女騎士のまっすぐな金髪の輝き、青いそうぼうの輝き、そして刃の白銀の輝き。輝きに満ちていた。
 エバンナは敵を斬る。振り返って斬る。飛んで斬る。落ちて斬る。
 そしてその時間を体験した者は彼女をこう呼ぶのだった、「無音の剛剣」と──。






 とん、と。男の目の高さのすぐ隣の壁に、一本の矢が突き立った。
 彼は絶句する。そして気付かないうちに周囲に目を這わせるが、弓矢を持った者の姿は見つからない。
 しかし矢は飛んできた。どこからともなく、確実に彼の命を狙って。
 けれどもそれは数センチずらされた。だがそれだってきっとわざとだ、いつでも自分は貴様を殺せるぞ、という意志表示だ。
 男は脱力し、壁をずずずと滑って床に尻餅をついた。そして言った。
「……降参します。」




「えーではー、今日の反省会を始める!」
「誰のせいよ、こんな流れになったの…」
「俺のせいだって言うの?」
「私語は慎め! ではまず、カーティスから!」




「隊長は、それらしい人とかいらっしゃらないんですか? あんまりそうだと、そっちの人だと思われちまいま」


「ローブが汚い。そんなふうにずってたら擦り切れちゃうでし」


「昨日、ザルバッグ隊長が」


「誰か、ここに置いておい」

「できればそ」

「ちょう」
「あ」
「ザ」
「ね」

















 そしてザルバッグは目覚めた。