(お前は今までに、いったい何人を殺した? 何のために誰を殺した? その誰かが何をした? その誰かは何をする? お前は何をする? 何をしたい? 何をしたかった?)
(おいで。おいで。お金もある、家もある、地位もある、権力もある、名誉もある。ないものはない。おいで。抱きしめてあげるよ。)
(痛いよー。痛いよー。足が痛い。手が痛い。胸が痛い。痛いよ。苦しいよ。痛い。痛い。痛い。)
(これでもか、これでもか。これでもこれでもか。これならどうだ。それならこれは。それでもか。まだか。ならば、ならば。まだ先は長いぞ、これは永遠なのだから。)
「ザルバッグ兄さんッ!!」
(弟、お前の忌み嫌う平民の腹より生まれた弟。弟がお前を呼んだ。果たして本当にそうか? 誰がお前を呼ぶ?)
「この男は貴様の兄にして、我がけんぞくの一員として生まれ変わった…。この男と戦えるかな…? ハッハッハッハッ…。」
「なんて卑劣な…!!」
 ザルバッグは声を聞いた。聞いたのだろう。聞いたでいい。言葉が意味を成し彼の五感に訴えかけたのだから。
「ザルバッグよ…、目の前にいるその小僧を殺せ…! 生かしてこの寺院から出すな!!」
「兄さん、ザルバッグ兄さんッ! しっかりして、僕だよ!」
「…そこにいるのはラムザか……?」
 ザルバッグは言った。口を動かしたら声が出たのだから、言ったということになる。しかしもしかしたら動かしたのは目であって口でなかったのかもしれない。しかしそれなりにはすぐにラムザの声がまた「聞こえた」から、やはり言ったのだろう。
 ザルバッグは話す。ひとつ話すと同時に疑問がひとつ心に浮かぶ。ザルバッグは疑問を尋ねるのではなく、尋ねたことを疑問に思った。
 ここはどこだ。オレは何をしている。立っているのか。座っているのか。感覚がまるでない。
「兄さん、兄さんはヴォルマルフに…、ルカヴィに操られているんだよッ!!」
 戦う相手が違う、という思いがザルバッグに沸いた。胸か頭か心か魂か、それのどこかに沸いた。自分がどこにいるのかさえ分からないザルバッグに、思いの浮かぶ場所が分かるはずがない。
 どうやらザルバッグはラムザと戦っているらしかった。どうして戦うことができるのかが分からない。手段も理由もない。
「オレは……おまえと…戦っているのか…? なぜだ…?
逃げろ…、ラムザ…、でないと…オレは……オレは…おまえを…殺してしまう……。」
「兄さんーッ!!」
(人を一人殺した。人を二人殺した。もう一人殺した。もう二人殺した。殺さない。まだ殺さない。次は殺す。今は殺さない。あとで殺す。)
 人の生き死にということが突如としてザルバッグを襲った。ザルバッグはあるとも知れぬ義務感に駆られて言った。
「頼む……ラムザ……このオレを…殺してくれ……苦しいんだ…手足の感覚もないのに…ひどく…いろいろな部分が……痛むんだ……」
 言ったつもりになると、突如として全てが明らかになる。真実味をもってより深くザルバッグを抉る。抉る、抉るとはいったい何だったか。どういう意味の言葉だったろうか。言葉だったか。
 恐怖。恐怖は忘れなかった。それは感情の名称だ。名称。めいしょうだ。
「そして…なによりも…怖い……記憶が少しずつ…あいまいに…なっていく……」
「大丈夫だよ、兄さんッ! きっと何か…、何か方法があるよ! だから、あきらめないでッ! お願いだから、あきらめないでッ!」
(諦めないことは、難しい。諦めることは、難しい。何もしないことが一番簡単だ。)
「兄さんはいつも、最後まであきらめずに戦ってきたじゃない! その姿が僕の誇りだったんだ。ザルバッグ隊の武勇伝だって、聞き足りないよ! もっと話を聞かせて、聞かせてくれたみたいに戦ってみせてよ!」
「いや…もう…オレはだめだ……」
 心がないのだから届くわけがない。ザルバッグは、「だめだ」と言った。ラムザが「ザルバッグ隊」と言ったはずだった。
 言葉は近くか遠くか分からない。せいぜい自分で言っていることが分かる程度だ。しかし自分が言っているのかどうかは分からない。
「早く…殺して…苦しい…」
(名誉がほしかったのか、本当にそうだったのか。名誉、名誉とは何だ。名前か、誉れか。どう思う、ザルバッグ。考えろ。考えろ。)
「誰かが…耳元で…喋ってる……」
(我慢しなければいい。自分に嘘をついてきたからこうなった。どうなった。そうなった。ああなった。全てに原因があるのだから、それは原因がないのと同じ。何もしなくていいよ。)
「誘ってる……」
(悲しいから泣くわけじゃない。嬉しいからでもない。苦しいからでもない。涙が流れる、それは単なる生理現象。感情もきっかけもいらない。何もいらない。)
「泣いている……」
(追いかけろ、早く! 速く! 立ち止まるな!)
「脅している……」
「なんとかしてくれ……助けてくれ……早く、早く楽にしてくれ……」
 楽。らく。raku。どうやら、自分は楽にしてほしいらしい。既に欲すらザルバッグからは離れた。
 自分は言った。何を? 疑問が疑問でなくなる。
(本当の姿だ。自身を偽ることなかれ。自身を疑うことなかれ。疑わなければ自ずと信は生まれてくる。)
「くそッ!! ヴォルマルフめッ!!」
 上か下かも分からないから頭も足もない。心もない。ザルバッグはラムザが舌打ちしたような気がした。それからしばらくして身体が断続的に揺れたような気分になって、








 痛みが。腹部を痛みが貫いた。あまりに突然のことだったので、ザルバッグにはそれが熱さか痛みか、すぐには判別できなかった。そもそもそれを形容する単語すらなかなか見つからなかった。
 しかし一点から急に感覚が鋭敏になり始める。上下左右自分を保つために必要な方向の感覚が取り戻され、ザルバッグは自分が立っていることをやったと理解する。そしてザルバッグには、自身の腹を破り刺し貫くものが剣だということはもちろん、それを持つ者の手の震え、あまつさえは彼の流す涙さえもよく分かった。
 このときには、ザルバッグの記憶はほとんどない。ついでに言えば痛みも苦しみもない。何もない、「今」しかない。
 ザルバッグは今に立ち向かった。そしてラムザの流す涙から思い出したことを何とか口にした。自分の発言はラムザにも聞こえただろうし、ザルバッグ自身の耳にも届いた。
「すまない……ラムザ……つらい…思いを…させたな……」
 ラムザが涙を流すのは悲しいからだと予想した。間違ってはいなかったらしいことは今でも何とか分かる。
 ザルバッグにはまだ話す余地があるようだった。刺された腹からは血も出ないのに、少しずつ寒くなっていく。だが何も感じないよりはよほどよかった、それがせめての救いだ。
「アルマを」
 ラムザによく似た、年の離れた妹の姿が頭に浮かぶ。この世に残されたたった2人の肉親のうちの1人。
「……アルマを…助けてやってくれ……おまえだけが…頼りだ…」
 ラムザはおそらく頷いただろう。もはやそれを視認することは不可能になっていたが、ザルバッグはそう予想した。
「(……おや、)」
 と、ザルバッグは思った。余地が消える。そう思った。
 ザルバッグはもう何も思い出さなかった。ただこれから自分が消えるように思われたので、別れの挨拶を口にする。
「…いくよ…、ラムザ……さらばだ……。」
 それから、ザルバッグは自分がラムザの「おかげで」こうなれることを理解していた。こういうときに言うことはひとつだ。言う。口を開く。その実感がザルバッグには確かにあった。
「…ありがとう…」
 そしてザルバッグは消滅した。