「聞いたか? ザルバッグ殿がまた活躍したって!」
「凄いよな……あの若さであれだけの功績。近々大隊長になる話も挙がってるとか?」
「らしいな。でも蹴ったらしいぜ。まだあの、通称ザルバッグ隊でやっていきたいんだと。」
「はあ……さすが、エリートは言うことが違うな。」
「でも実際、ザルバッグ隊ってすげー仲良いもんなあ。あのメンバーだからこそ、あれだけ勝ち続けることができるんだって思うぜ。」
「うんうん。」




「ウィリー、だっけ。何であんなのがザルバッグ隊に入れるんだよ。」
「だよな。ずっとあのメンバーでやってきてたって言うのに。どれだけ強い奴なんだ…」
「それが、そうでもないんだと。たぶん俺らでも簡単にのせる。」
「そうなの? だったら何で!」
「そう、それが疑問なんだ。あれも相当ぼっちゃんらしいからな……コネを使ったとか。」
「でも、ザルバッグ殿は実力主義なんだろう。よく知らないけど。」
「何にせよおかしい。」
「おかしいよな。」
「あんな弱いのが、ザルバッグ殿の部下なはずがねえ。」








 目を開ける。張り詰める空気を感じる。すぐ前にザルバッグ隊長がいる。
 ウィリーは剣をしっかりと握って、隊長に向かって走り出した。
 気合いを入れるために「ええええい」だか「やあああ」だか叫び声をあげた。気合いが入った。集中も瞑想によって高めた。
 なのに、負けた。ウィリーの剣は手から離れ、彼は実戦なら確実に命を落としていたであろう一撃を受ける。
「参りました。」
 言う声は情けない。ウィリーはそれだけ言ってすごすごと剣を拾いに行き、再度ザルバッグに向き直る。
 何も誰も、一度でおしまいだとは言っていない。ザルバッグ隊長も最初からそれを分かっていたから、いつまでもウィリーに付き合ってくれた。
 いいや。正しくは、ウィリーの心がくじけるまで。


 ウィリーの心がくじけてからは。
 ウィリーは苦しそうに呼吸をする。苦しい。ずっと身体を駆使していたから酸素が足りない。
 ずっと剣を握っていた手は手袋の下でもぼろぼろで、治るのを待たなかったまめが潰れたのが分かった。そしてもう力が引き出せない。剣が握れない、戦えない。
 立ち上がれない。
 ウィリーはどこにも力を必要としない格好で地面に倒れていた。視界に入るのは空ばかりだったが、ザルバッグがすぐ側でまだ立っているのだということはよく分かっていた。
「はあ、はあ、……」
 ウィリーはザルバッグに剣の稽古に付き合ってもらっている。ずっとこんな状態を続けるのは失礼なことだともよく分かっていたのだが、だからといって身体は動いてはくれない。
 せめてみっともない顔だけは見られたくないとの意識が働いて、ウィリーに腕で顔を隠させた。それだけだ。
 実は動かないのは身体だけではない。彼の心はくじけた。
 それだけ盛大に負けたわけでも、徹底的な力の差を見せつけられたわけでもない。ただ負けた、いつものように。確かにウィリーは良い手を放つときもあったが、たったそれだけで勝負に勝てるわけもなく、あれこれとがんばっているうちに「実戦だったら殺される」のだ。
 また負けた。また負けた。まだ負けた。
 ゼロの勝利と無数の負けが積み重なっていき、100回目か200回目か1000回目かもはや分からない負けだった、ついにウィリーの心がくじけたのは。
 たとえわずかであろうと心が傷ついていけばいつかはくじける。それが今このときだ。
 ザルバッグには隠した目から涙がこぼれる。そのこと事態もまたウィリーを泣かせる。
「どうして、なんでしょうか…」
 ザルバッグは何も言わなかった。
「僕では、だめなんでしょうか……!」
「…………。」
 ザルバッグは何も言わなかった。ウィリーは言った。
「確かに僕は、昔から何をやらせたってだめでした。両親も呆れていたと思います。でも、士官アカデミーに入って、僕は士官になることができました。両親も喜んでいたと思います。
 僕はそれではだめだと思いました。そんなふうに、決められたことをやっているだけでは……。
 僕はザルバッグ隊に憧れていたんです。皆さんがどんなふうに噂されているか、知っていますか?」
「……いや。」
「副隊長エバンナ殿は、頭脳明晰、容姿端麗、非の打ち所のない完璧な女性。剣の腕はもちろん判断力にも長けていて、公私両方の面から隊長を補佐する。
 カーティス殿はもの凄く優秀、ただ優秀。ずば抜けた剣の腕や頭の良さはないけれど、輝く光る何かがあるから、勝負においては負けを知らない。
 クィン殿は一流の魔道士。まだ若いけれど、魔道において彼女の右に出る者はいない。知識も豊富で女性としての教養も満載で、ザルバッグ隊のブレーン。
 そしてザルバッグ隊長は、名実共に秀でたすばらしい騎士。剣だけでなく魔法も使いこなし、多彩な戦い方ができる。人の上に立つ者としてのカリスマ性に優れていて、部下達からは非常に慕われているんだとか。」
 ウィリーはまだ続けた。
「ザルバッグ隊長は格好良い。ザルバッグ隊長は、強くて優しい。その強さは夢だ。その姿は憧れだ。その勝利は希望だ。
 僕も、そんなふうになりたい。あなたのように。強く、強く、なりたいんです…!」
 ザルバッグが何か言う前にウィリーは言った。
「ザルバッグ隊長は、僕のことを、覚えていらっしゃいますか?」
「ああ。」
「嬉しいけど、恥ずかしいです。僕はあの頃からちっとも変わっていない。ザルバッグ隊長に助けられた、弱い自分のまんまだ。あのときからあなたに憧れて、あなたに惚れて、ここまで這いずってきたのに。」
 戦場で大きく見えた背中は本物だった。ウィリーは間近で見て、ザルバッグの大きいことをよく知っている。
「分かっているんです、僕は僕が、弱いことも、強くなんてなれないことも。でも、弱い僕だから、きっと強くなる願望は人一倍あるに違いない。あなたの部下になりたいと思ったときの気持ちの強さは、その願いをより硬くしてくれると思った。僕はあなたの下でなら、より強くいられる。そう思ったからここに来たんです。
 周りの反対を押し切り全てを覚悟した以上、こんなことは言ってはいけない。なのに、気持ちが止まらなくて……!」
 強くなりたい。強くなりたい。強くなりたい。でもなれない。
 一度たりとも勝てないのが悔しかった。隊長であるザルバッグにだけでなく、隊員のエバンナやカーティスにさえも。
「僕では、だめなんでしょうか。強くなんてなれないんでしょうか。あなたのようにはなれないんでしょうか。」
 ウィリーの頭を複雑な思いが駆け巡る。それの根本を成すものは、強い願いとそれの達成されない苦しみだ。
 ごちゃごちゃした何か針金のような思いはただ絡み合った。ウィリーはそれを、必死で、解こうと苦しむ。
 するとここでひとつの思いが生まれた。
「…いや、あなたのように、なんて思っているからだめだったのかもしれない。僕はあなたじゃない。僕には僕の戦い方がある。もしかしたら、剣は向いていないのかも……。
 でも! やっぱり、全ての戦士の基本は剣だ。まずこれを、ちゃんと、人並みに扱えるようにはならないと。だからここで諦めてたらだめだ……本当にだめだ。」
 ウィリーは涙を拭い、立ち上がる。しばらく休んでいたからそれくらいの力は取り戻せた。
「見苦しいところをお見せして、申し訳ございません。引き続き、ご指導よろしくお願い致します!」
 気合い十分にそう言うが、見ると当のザルバッグはどこか呆けたような顔をしていた。気の抜けた、ような。まるで何か読み違いをした、ような。
 すると同じくウィリーの気は抜けてしまった。無意識下の読みは大きく違った。
「あ、あの……ザルバッグ隊長。僕は何か、おかしなことを言ったでしょうか。」
 おそるおそる尋ねる。するとザルバッグは突然笑い出した。大声で豪快に笑った。
 ウィリーのおそるおそるはまだ続く。はっはっはっは、と清々しい笑い声がやっと止むと、ザルバッグはその余韻で笑顔のまま言った。
「……何か、気の利いたことを言わなくてはと、ずっと考えていたのだが。」
「……。」
「オレが何か言う前に、全部自分で答えを出しているではないか。」
「……はい。」
 ウィリーは申し訳ない思いだった。気を遣わせてしまったのか。
「オレは、そんなお前だから部下にしたいと……一緒に戦いたいと思った。」
「はい。」
「これからもがんばろう。一緒に強くなろう。」
「はい!」








 目を開ける。的が見える。その中心が見える。
 射る。
 当たる。
 もう一本射る。
 当たる。
 そしてもう一本。
 矢筒の弓がなくなったとき、ウィリーは集中を切った。
「ふう……」
 結果として射られた弓は全て狙った点に当たった。しばらく射っていると中心の面積が足りなくなってきたので、仕方なく的の縁に沿って打ったこともあった。
 ただがむしゃらになって弓を射る、この時間がウィリーは好きだ。自分に向いているかもしれない、剣に代わる戦いの手段になるかもしれない。ただそう思って手にした弓だったが、今では純粋にそれが好きになっていた。
 狙う点だけを見つめて、それと世界にふたりだけになって、それを射抜く。
 点は小さいかもしれないが、同様に射る矢の先も小さいものだ。その矢先に射られる小さいほんの一点は、必ず世界のどこかを穿つ。その中で、たったひとつ決めたところを狙うことの何が難しいだろう。
 ウィリーは汗を拭って、的に当たった矢を抜きにかかった。
 もう一度繰り返して同じことをやろう。ザルバッグ達が帰ってくるまでの時間がもったいない。








 目を開ける。何もない。
 ウィリーは思う。
「(ザルバッグ隊長……早く、帰ってこないかな。)」
 彼のことは純粋に心配でもあったが、実はその帰還が楽しみでもあった。
 ザルバッグの切り開く未来はウィリーの希望だ。それを早く見たい。そうウィリーは願うのだった。