ザルバッグ・ベオルブが失踪した。それとほぼ同時に、ダイスダーグ・ベオルブの殺害事件も起きている。
 ザルバッグがダイスダーグを殺害し、その後責任を逃れるために行方を眩ましているとの噂もある。しかし真相は定かではない。当時、現場となったイグーロス城内には和夫奥の人間が居ただろうに、事件を目撃したという人間は一人としていないのだ。
 何であれ、ラーグ、ダイスダーグ、ザルバッグと、連続して重要な人物を失った北天騎士団は立ちゆかない。
 一方で南天騎士団は新たな動きを見せていた。新たに軍の指導者として立ち上がった者がおり、騎士団はベスラ戦線の傷から立ち直りつつあった。
 彼の名前はディリータ。平民の出でありながら、数々の戦果を積み上げ坂道を駆け上がった者だ。








 イグーロス城。執務室の扉が勢いよく開き、姿を現したのはカーティスだ。
 彼は背後のウィリーの入室も確かめずに扉を閉め、つかつかと中に進み入る。
 その目的の人物は、本来ならそこに座るべき者ではなく、臨時的に彼の代わりとしてその座に付いているエバンナだ。彼女の元まで歩み寄り、彼はためらわずにその胸ぐらを掴み上げた。
「エバンナ……」
 カーティスはエバンナを睨む。エバンナは睨まれたまま微動だにしない。表情を変えない。
 一方のカーティスは、ただひたすらなまでに熱された怒りを表情に浮かべていた。それに対して声は激しさこそないものの、静かで冷たい同様の気持ちに満たされていた。
「お前がいながら、どういうことだ。何であの人を行かせた!!」
 エバンナは無言のまま、一度目を閉じる。また開ける。
 そしてカーティスを見据え、静かにこれだけ言った。
「よく考えて、カーティス。」
「…………。」
 カーティスはぱっと手を離した。解放されたエバンナは彼を見つめたまま椅子に深く座り直す。それには終始無表情であった。
「悪かった、乱暴して。」
「いいえ。」
 カーティスが表情の怒りを消して、エバンナが少しだけほほえんで、お互いに言葉を交わす。けれどもすぐにまた、カーティスの表情は怒りに染まった。
 とはいっても、彼がまた怒りを言葉で表現することにはならなかったので、部屋は静寂に包まれる。
 するとそのとき、ずっと室内に充満していたすすり泣きが表面化した。ひっくひっくと高い声になる嗚咽、鼻をすする音。窓際に引っ張っていった椅子で膝を抱えるクィンのものだ。
 それに混ざって小さな呟きも聞こえ始めた。主に、どうして、とか、何で、とか言っていた。
 その内容は、彼女同様窓際にいるものの、彼女とは違って腰掛けてはいないシェルディにはよく聞こえていた。しかし彼女は反応しない。ただ表情を固めて、じっと腕を抱えて、窓を背に立ち尽くすだけである。無言だ。
 カーティスはその様子を見て舌打ちをした。そして背後を、自身の入ってきた扉を振り返り、そこに呼びかける。
「おいウィリー、何やってんだ! 早く入ってこい!」
 ウィリーは入室前に扉を閉められ、閉め出されてしまった形になっていた。それがカーティスの呼びかけによっておずおずと扉を開け、入ってくる。
 表情は浮かないが決定的ではない。この場に居るうちで彼のみが、状況の把握ができないでいた。
 必要情報に欠けすぎた連絡を受け、カーティスとウィリーはルザリアからチョコボを走らせイグーロスに来た。隊員3名の居ると思われるここに来てみればこの有様である。
 カーティスは事情をほとんど察していたから怒ったが、ウィリーにはただ分からないことだらけだったので、ただそれなりの表情をした。
「あの…」
 ウィリーは誰かに尋ねようと口を開く。しかしすぐにその頭に疑問が浮かんでやめた。
 怒りで障壁を貼り、誰をも寄せ付けようとしないカーティス。それとは表面的には真逆であるものの、結局のところ彼と全く同様のエバンナ。膝を抱えて泣き続けるクィン。何も言わず立ち尽くすシェルディ。
 ウィリーは途方に暮れた。場が、一向に動き出さない。
 重苦しい中で誰も動かない。扉が突然開いた。誰も何も期待はしなかったが、残念ながら、そこから入ってきたのは一人の騎士だった。
 最も扉に近い位置に居たウィリーが、騎士から手紙を受け取る。
 扉が閉まってまた部屋に5人だけになると、ウィリーは一応その手紙を部屋の中央まで運び、結果としてエバンナの前に置いた。すぐにまた入り口付近に戻る。
「南天騎士団からね。」
 エバンナはそれだけ言って手紙の封を切る。中身を読み上げる。
 中には誰もが予想したとおりの内容が書かれていた。和平の申し出であった。
「『我が軍は平和的解決を望む。そちらが我々の要求を受け入れるのであれば、』……」
 文章はそのような内容から構成されていた。淡々と読み上げる声で進行し、最後を導く。
「『南天騎士団団長、ディリータ・ハイラル』。」
「……ディリータ、ですって?」
 シェルディが初めて声をあげた。視線も上げる。
 固有名詞は彼女が声をあげるきっかけに過ぎなかった。シェルディは窓際から離れて歩き出し、その先のエバンナの手から手紙を取る。
「和平……」
 シェルディが一言、そう口にする。それからしばらく無言の時間が流れて、
「とんでもないわ。」
「ただひとつの解決策でしょうね。」
「要求を受け入れよう。」
「そんなことするもんですか!」
 4人が同時にそう言った。上の発言からシェルディ、エバンナ、カーティス、クィンである。
 四者の発言が同時に重なり、それも内容を吟味してみれば二派に分かれている。現状を悟った皆はまた言葉をなくした。
 けれどもそれさえもすぐに終わる。ずっと泣いていたクィンでさえもが、顔を上げて会話に参加を開始した。彼女の目は泣きはらして真っ赤だ。
「戦いを続行するつもりか?」
 カーティスが言った。
「指導者をこれでもかってばかりに失って、それで今の俺らにいったい何ができる? 相手が剣を引こうってんだ、それがちょうどいい。平和的に収めようや。」
「やめるなんてこと、できるわけないじゃない! 続行に決まってるわ。こんな、負けたみたいな形じゃなくて……」
「お前は、あの人の意志を考えたことあるのか?」
「意志? あの人の意志ですって?」
 カーティスとシェルディの視線が交錯する。どちらも揺るぎなく、互いに退かない。
「カーティス。あんた何言ってるの。戦いをやめるって、それはつまり、相手方の要求を呑むことになるのよ。」
「分かってる。承知の上だ。」
「相手の要求には、私達北天騎士団の解体も含まれているのよ!?」
 シェルディは言った。誰もがそれを分かっていたから、その発言の瞬間だけは空気が固まった。
 シェルディは感情を搾り出して言う。声が震えている。
「それなのに……いいんだ。あんた達は、それでもいいって言うんだ。あの人の騎士団がなくなってもいいって。」
「バカか、お前は! 今更そんなことにこだわってどうする。個人的な感傷は捨てろ!」
 カーティスは言い聞かせるようにシェルディに言った。けれどもそれで聞かされるはずもなく、シェルディは彼に打ち勝つために声を荒げて言い返した。
「それだけじゃないわ! 散々戦争を長引かせたあげく、騎士団を解体してみなさい。たまりにたまった民の不満は元より、騎士達の不満だって爆発するわ。今でこそ小規模な彼らの動きを、あなた達に止められる?」
「だったら戦い続けるって言うのかよ。それがお前達にできるのか?」
 問いに、シェルディは反射的に出そうになった言葉を引っ込める。そして言った。
「…………。解体はしないわ。」
「する。和平もだ。なあ、エバンナ。」
 カーティスはエバンナに視線をやった。その場の全員の注目が彼女に集まり、エバンナは尚も無表情で、淡々と言った。
「私は、あの人より、後のことは頼むと言われました。それ以降、彼から後を任された人が、この場にいますか?」
「…………。」
 誰も答えない。
「それでは、この場における決定権を持つ者は、私ということになります。異論は受け付けません。」
「そんな!」
 クィンが噛みつくように言った。
「そんなことっ、今までだってなかったじゃん! 今までだって、誰か一人が権力握って、ふるうなんてこと。ずっとみんなで話し合って決めてきたのに、なんで今!」
「私達と貴方達の意見とでは、完全に相入れない、平行線を辿ることになります。けれども決断は出さねばならない。それならば、いったい何が決め手になるのか。そういうことです。」
「…………!」
 シェルディは、手に持った手紙を忌々しげに机に叩きつけた。そしてカーティスとエバンナをきっと睨み付ける。
 けれどもそんなことは不毛に終わる。シェルディは最後にひとつ言い残してから、すぐに視線を背けた。
「絶対に、解体なんてさせないわよ!」
 そして椅子に座ったままだったクィンの元まで行き、その手を引く。クィンは素直にそれに従い、シェルディに連れられて部屋を出ようとした。
 扉が開き、姿を消す間際。シェルディは振り返らずに言った。
「戦いは、続けるわ。そのほうが私達にとって絶対に良い。」
「同じく! 同じくそう思う!」
 後にクィンが続ける。彼女は振り返って室内の人間に向けてべっと舌を出したが、反応が冷たいどころかまるでないのに不機嫌にさせられる。ローブの裾を翻してすぐに部屋を出ていった。
 室内に残ったのは3人だった。カーティスと、エバンナと、ウィリーだ。
 カーティスはそちらを見ようとせずに言った。
「…で、お前は、どっちにつくんだ?」
 冷たい問いかけだ。それは相手が男性であるというのが理由ではない。
 ウィリーは重い言葉を何度も吟味した。そして言った。
「………僕は、みんなの意見が食い違う状況だけは、よくないと思う。」
「うるせえな!」
 カーティスは怒鳴った。ウィリーはびくりと身を竦ませる。
「ここまできて仲良しごっこをお望みか? 笑わせるぜ、いつまでも楽しかった過去に縋ってんな。今までとは状況が違うんだよ。」
「……ザルバッグ隊長の、不在によってかい?」
 ウィリーが静かに尋ねる。彼はカーティスの怒声にこそ驚いたようだったが、今ではきちんと胸を張って落ち着いて立っていた。
「違うな。」
 カーティスは答える。
「そいつは違う。だから俺達も腹をくくらなきゃなんねえ。」
 ウィリーは心のどこかで、カーティスの言葉の意味するところを悟っていた。
 けれども言うことができなかった。カーティスは言った。エバンナもおそらく同じ気持ちだろう。そしてシェルディとクィンは、ウィリーとはまた違った理由でそれを言えなかったから、つまりはそうとは思っていなかったから、部屋を出て行ったのだ。
 これが両者の決定的な違いである。だから彼らは仲違いした。
 ウィリーは立ち尽くした。室内というよりは扉の付近に位置して、けれどもそこから出て行くこともできずに、ただ立ち尽くした。