まじめなザルバッグ。完璧なエバンナ。口うるさいシェルディ。がんばりやのウィリー。ひょうひょうとしたカーティス。気分屋なクィン。
 全員が全員てんでバラバラの方向を向いていた。それがなぜこれまで共に戦ってこられたのかと言えば、ひとえに隊長ザルバッグの存在があったからだ。ただひとつ全員に共通していたのは、ザルバッグとザルバッグ隊が大好きだという気持ちだけだ。
 それでは、彼の、いなくなったとき。結果は言うに及ばない。








「戦いは続けるべきだわ。私達が指導者になってでも、そうしましょう。」
「……でも、わたし達、一番騎士団のみんなからの信頼がないよ…」
「…………。その通りね。でも、報奨を与えて騎士達を満足させるには、こうするしかないわ。がんばりましょ、クィン。」
「うん。」
 そして2人は机を挟んで具体的な話を始めた。幸いにもクィンは戦術を考えるのに長けていたし、シェルディは根っからの戦士だった。戦うことにおいては申し分のない2人である。
 一方で、執務室に残った2人も話し合いを開始していた。
「南軍の要求は、オヴェリア王女を正式な王位継承者として認めることと、北天騎士団の解体と、こちらの領土のいくぶんかの譲渡。あちらは、新たな指導者を得て団結したことによって完全に上に立った気でいるようね。」
「ま、実際そのとおりなんだろうよ。こっちは指導者がいないどころか内部で分裂してる有様だ。」
「和平で話を進めるのであれば、各地で起きている騎士達を制圧する必要があるわね。それにはこちらの戦力が足りない。」
「…過ぎたことをとやかく言ってもしかたがねえな。俺とお前とで何とかするぞ、エバンナ。」
「ええ。」




*




「しかし、その呼び方は、何とかならないものかしら。」
「ん?」
 きょとんとした表情をして見せたカーティスに、エバンナは苦笑する。そして短く小さく言った。
「エバンナ。」
「ああ……」
 カーティスはひとまずは納得したような素振りを見せるが、すぐに言い返す。
「だったらどうしろって言うんだ。まさか俺に、エバンナ隊長って呼ばせるつもりじゃないだろうな?」
「…………。」
 エバンナは無言でカーティスを見た。少し驚いた様子だった。
 カーティスは彼女のその珍しい対応に、戸惑ったような様子を見せる。
「な、なんだよ。」
「そのとおりね。そう言えば、そうだわ。そうなるわ。」
 実際エバンナはここで初めてそのことに気がつき、驚いたのだった。
 そして彼女は苦笑して言う。
「けれど、私は私で、呼び捨てされることに慣れていないの。ずっと貴方達には副隊長と呼ばれてきたし、私を呼び捨てるのはあの人だけだったから…」
「あ、」
 カーティスは手で口を押さえた。彼もここでやっとそのことに気がついた。
 悪かった、と言って無造作に頭を掻く。
「気付かなかった。思いやりが足りなかったな。」
 心底申し訳なさそうな色を浮かべる瞳を前に、エバンナは小さく噴き出す。口元を覆って肩を揺らして笑っていると、同様にカーティスも笑い始めた。
「お互い、らしくねえなぁ。」
「本当ね。だめね、私達は…」
 笑いが急に止まる。部屋がしんと静まりかえる。
 カーティスは、エバンナの真っ直ぐな金髪に手を伸ばした。デリケートなものを扱うように、優しく指を絡ませる。
 エバンナはされるがままになっていた。表情にふと悲しみがよぎる。
「俺は、お前についてるからさ。いなくなったりしない。だから、そう悲しそうな顔すんなよ。」
「ありがとう。」
 カーティスに顔を向けて僅かにほほえむエバンナだったが、それもすぐに消した。けれども単なる無表情ではなく、不審なものを見て訝しむような目をして、
「シェルディが可哀想。」
 とだけ言った。
 カーティスは分かったように笑う。
「全くだよ。でも俺はあの人じゃねえから、あいつに何かしてやれるでもねえ。可哀想過ぎるうちは伸ばされる手を拒否するんだ。」
「だめね、あの子は。」
「うんうん。だから、全部終わったらキスのひとつでもくれてやるさ。」
 カーティスは本当にそれを実行に移すつもりで、本人を頭に思い浮かべながら言った。そのヴィジョンは会話相手にも伝わり、しかし彼女はエバンナの中では顔を真っ赤にして怒り出してしまった。
「殴られるのが関の山よ。」
「そしたらまたキスのお返しだ。」
 さらりと言い返されてさらりと言い返す。淀みない会話はそれでも続いた。
「終わりはくるのかしら。」
「くるさ。どんなものに対しても、な。」
 カーティスはエバンナから視線を外した。それと共に、髪に触れる手も離す。彼の深緑の目はいずこかを見つめる。
「終わらないことはない。」








「クィンは何か、知っていたの?」
「んー?」
 ここはクィンの私室だ。埃っぽい空気に満たされて、たまに咳き込みながらシェルディは話す。
「ずっと呟いていたじゃない。聞こえてたのよ。」
「聞いてたんだね。」
「うん。」
 部屋の面積の大半を占めるのは本棚だ。それから、謎の薬品や石などが散乱した小さな机がひとつ。そして本棚の隙間に突っ込まれるようにしてベッドが置いてあり、クィンはそこに身体を投げ出していた。
 表情はシェルディからは見えない。うつ伏せになって枕を抱きしめているから、話す声もどこかこもりがちである。
「でもだめ。教えない。」
「どうしてよ。言えないことなの?」
「うん。」
「何よ、それ……」
 クィンはここ最近はずっと、隊の皆に対して隠し事をするように動いていた。それについてとやかく言いはしたもののそれまでで、本人に話す気がないのならどうしようもない。少なくともシェルディはそのように思っていた。
 しかし今は、場合が場合だ。それなのにまだクィンは隠し事をする気でいるのか。嘘をつくつもりでいるのか。
 シェルディは少し落胆した。それが声に現れたことに彼女は気付いたが、嘘ではないし彼女自身クィンに腹が立っていたのには変わりなかったので訂正も何もしなかった。
 しばらく沈黙が続く。あるときふとふいにクィンがぽつりと呟いた。
「本当はね、全部終わったら話すつもりなの。」
「え?」
 シェルディはつい耳を疑って聞き返す。けれども実際言葉の内容は耳には入っていたから、クィンがさらにそれから続けて話しても話の妨害をすることはしなかった。
「でも、終わらないから、話せない。たいちょがいないままじゃ話せない……」
「…………。」
「だからもう少し、待っててね。きっと話せるようになるから。」
「クィン……」
 クィンは身体を起こしてシェルディに向き直る。クィンは泣きそうな顔をしていた。
 あの後夜が明けてから血相抱えて飛び込んできて以来、クィンは泣きっぱなしだ。かわいそうに目は赤く腫れぼったくなっていて、声はすっかり枯れている。
 本来なら呪文を紡ぎ出すべきはずの口から出るのは嗚咽と呟きだった。呟きは、主に何かの理由を問うものが多い。
 たいちょ、どうして行ってしまったの? あと少しだったのに。あと少し待てばよかったのに。どうして先走ってしまったの?
 クィンは泣きそうな顔をしていたが、ついに泣き出した。両目からぽろぽろと涙の滴が落ちる。
「まだ、話せないの……たいちょがいない、ままじゃ。たいちょが今、いないから……」
「…………。」
 シェルディは黙ってベッドに腰掛け、そっとクィンの身体を引き寄せた。シェルディ自身、こうでもしないと自分を保っていられそうになかった。
 クィンにそっと囁きかける。
「ほんといやね、あの人。肝心なところでいなくなっちゃって……」
 腕の中でクィンの肩が震える。しかしシェルディは泣かない。
「今こそいなきゃいけないときなのに、ねぇ。どこいっちゃったのかしら。」
 涙こそ流さないが、シェルディの声は震えていた。
「絶対に、騎士団は解体させないようにしましょうね。いつかあの人が帰って来たときのために。いつでもあの人が戦えるように。」




*




 某月某日、南軍より和平の申し出がくる。
 要求は、王女オヴェリアを正式な王位継承者として認めること、北天騎士団の解体、北軍の領土のいくらかの譲渡。
 それに対する北軍の返答は受理。要求は全て受け入れる。
「…………ザルバッグ隊長。私は、」
 しかし、返答を記した手紙をエバンナはすぐには出せないでいた。