これは意地なのだということを、誰よりもシェルディがよく理解している。
 しかしやっていることは実に合理的なのだ。探せばいくらでも理由は付けられる。人を納得させられる。
 表面的な合理性に全てを隠して、シェルディはかの人を思い焦がれて眠るのだ。そしてまた誰も帰らない夜が明ける。
「…………。」









 廊下でカーティスと行き違った。シェルディとクィンは2人で歩いていたが、カーティスは1人だった。
 相手が1人なのをこれ幸いとばかりに、2人は彼の道を塞ぐ。
「南軍に対する返事は、どう?」
 どう、の二文字に込められたシェルディの疑問を掬い取り、カーティスはあっけらかんと答えた。
「まとまったが、相手方に出すのはまだ先だ。今は手元にある。」
「どういう経路で出すつもり?」
「一応、使者を通じて、だ。こいつは俺の管轄下の奴に任せる。」
 お互いに態度を変えない。変えなかったのだが、ここでカーティスはふと思いついたかのようにぽんと手を打った。シェルディは彼をずっと睨み続ける。
「あ。まさかとは思うけど、使者に手は出すなよ。かわいそうだ。」
「しないわ。」
「そう。そりゃよかった。」
 しかしこのやりとりは全て嘘だ。お互いそれがよく分かっていた。
 何も得るものがない会話に、シェルディはついに諦める。小さくため息をついて、「引き止めて悪かったわね」と言って、クィンを連れて再度歩き出した。








「話し合いをしよう。」
「は?」
 その後、今度はカーティスがシェルディを訪ねた。扉を開けるなりその場に仁王立ちになって、カーティスは何にそんなに自信があるのか胸を張ってそう言う。
 現在は一対一だった。シェルディはしばらく絶句した。
「…話し合いって……平行線なんじゃなかったの。」
「そのことじゃねえよ。」
 カーティスは真顔だった。
「…………。」
「俺がお前と話したいのはそのことについてじゃねえ。ザルバッグ隊長のことだ。」
「…………!」
「あの晩、何があった? どうしてあの人を行かせた?」
「そんなの、」
 シェルディの目にはカーティスが、いつもと違って、非常に腹の立つ嫌な人間に映った。
「他の人に聞いたら。私より、後に会った人がいるんでしょう。あの人に最後に会ったのは私じゃない。」
「順番で言うならエバンナも最後じゃない。おそらく最後はダイスダーグ卿だ。」
「…あんた、知ってたの。」
「さあな。」
 至って真面目に真剣に、といった様子でひょうひょうと言葉をかわして見せるカーティスに、ついにシェルディは耐えられなくなった。つかつかと扉付近まで歩み寄り、開きっぱなしの扉に手を叩きつける。ばん、と音がした。
 カーティスは表情を変えない。
「何を言われたって、私は主張を変えないわ。からかいに来ただけなら帰ってちょうだい。」
「そうか。何を言われたって、か。」
 カーティスは表情を変えない。その無変化にシェルディの中で何かがざわめき立つ。
「いいかシェルディ。ザルバッグ隊長はな、」
「やめてよ。」
「ザルバッグ隊長は、」
「やめてったら。」
「失踪したんじゃなくて、」
「やめてって言ってるでしょ!!」
 カーティスはやめない。
「死んだんだ。」
 シェルディは反射的に手を振り上げた。けれどもそれを振り下ろし許せないことを言った人間の頬を叩くことさえできない。
 手を下ろす。シェルディは血の滲むほどに唇を噛みしめて何かをこらえた。
 シェルディは言う。
「……あの人は死んでない…帰ってくるわ。だって、そうやって言ったもの。死なないって。絶対に帰ってくるって。」
 するとカーティスの表情が変わった、変えられた。怒るでも悲しむでもなく、ただ目の前の女性を哀れむ表情だ。
「……かわいそうに。」
 実際にそう言った。
「シェルディ、お前はかわいそうだ。ずっと思ってたが。」
「うるさい。」
 シェルディは、カーティスの首元を見てやっとそれだけ言う。
「そんなにかわいそうなのに、誰にもそれを掬い上げてやることができないんだ。お前自身がそれを拒む。」
「うるさいわね。」
「俺だって、何もお前を苦しめたいわけじゃないんだよ。だって俺は、お前のことが好きなんだから。」
 シェルディは視線を下げた。カーティスの足が目に入る。ただそこに立っている。けれどもその上には生きた人間の上半身が付属している。
「私は、あんたにそう言ってもらいたかったわけじゃない!」
 シェルディは足に向かって話しかける。
「帰って!」
 上半身のある辺りを手で押すと、実際そこにあったのはカーティスの胸だったので、人体が押されて足が動いた。
 部屋の外まで押し出して、扉を力いっぱい閉める。ばたんという音がする。部屋にひとりぼっちになる。
 一人だ。一人。
 シェルディはその場にしゃがみこんだ。何かがこみ上げる。けれども、こんなところで涙をこらえたのはこんなところで流すためではない。
 結局自分は一人なのだという念がシェルディを苛んだ。
 自分は立場上はクィンと意見が同じで、カーティスとエバンナが同様ということで、結果隊は二分された形になっている。
 けれども本当は違う。皆が皆バラバラなのだ。そして皆が皆自分だけの「ザルバッグ隊長」を心に抱いているから、けれどもその人は今ここにはいないから、皆はそれぞれひとりぼっちなのだ。
 未来はどうなるかは分からない。そういう意味では確かに今この場にいないザルバッグは死んでいるも同然で、シェルディはただその屍にすがってまた夢を見ようとしているに過ぎない。
 たくさんのことから目をそらして、ただ楽しい今だけがずっと続けばいいと願っていたときを願っているに過ぎない。
「ううっ、……」
 押さえた口から漏れるのは嗚咽なんかではない。シェルディは何度も目を瞬いて自分を保とうとした。









「…………。」
 クィンは上げた手をそっと下ろした。けれどもすぐにその場から立ち去ることができない。
 今彼女が立っているのはウィリーの私室の前だ。クィンはウィリーを訪ねようとしてここまで来た。
 しかしおそらく、今彼はこの部屋には居ない。室内に人のある気配がしない。
 クィンは途方に暮れた。他にあてがない。
 彼が戻ってくるまでここで待機してもよかったが、それだけに時間を使ってしまうのは実に無駄なことであるし、いつ戻ってくるのか定かでない。そもそも本当に戻ってくるのかどうかすらも怪しい。
 そこまで考えて、クィンはふとよぎった自身の考えに嫌気がさした。ぶんぶんと頭を振って、それを追い払おうとする。
 けれどもそんな根拠のまるでない行動ではどうしようもない。一度生まれた考えはむくむくと膨れ上がる。
 この隊は、各自が隊長ザルバッグを慕ってこそ成立していた隊だ。それが、隊長不在の今となっては、そもそも一部の人間が隊長の死を視野に入れている今となっては。
 クィンは完全にそこまで思い当たって、悲しい気持ちになった。扉の前から一歩も動けなくなる。
 自分と、シェルディとは、ザルバッグ隊をなくさないためにがんばっている。エバンナと、カーティスとは、ザルバッグ隊をなくすためにがんばっている。そして今、ザルバッグ隊は完全に二分されている。
 隊員がいがみ合っている隊の、どこが隊なのだろう。そんなもの隊としてまるで成立していない。
 だからこれは、最初から、勝ち目のない闘いだったのだ。カーティスたちが、北天騎士団を解体すると言い出した時点で。クィンたちの目的が、ザルバッグ隊の存続であるという時点で。
 それをついに明確に認識してしまい、クィンは相当落ち込んだ。気持ちだけがどんどん奈落に落ちてゆく。クィンは悲しい。

 考える。どうしてあの2人は、ザルバッグ隊を解体させるような要求を飲むのだろう。その結果騎士達の暴動がさらに激しくなるとしても、なぜそうまでして和平を導こうとするのだろう。
 根拠は分かる。そもそも指導者がいないとかいう前に、宣戦布告のきっかけとなった人物(ラーグ公)のいなくなった今、戦う理由が我々にはないのだ。ダイスダーグ卿は彼の意志を継ぐとか言っていたようだが、彼も今ではもういない。
 幽閉されたままの王妃を建前に使うことも可能ではあるが、ではなぜ彼女が幽閉されているかということを考えれば、それだって大義名分には成り得ない。
 もちろん、指導者がいないから、このまま戦いを続けたとしても勝ち目が薄いのだ。
 内部の事情も外部の事情も含めて、今や完全に、我々北軍は南軍に遅れをとってしまった。絶対的な下の立場だ。
 だから理論から言うと、事を済ませるには相手方の要求を飲むほかない。そういうことになる。
 けれどもクィンにだって理論はある。
 一度始めた戦いは戦いだ。戦争に大義名分が必要ならいくらでも作ることができる。亡きラーグ公の意志を継ぐため。北天騎士団やベオルブの誇りを守るため。正当な王位継承者を南軍に認めさせるため。
 それに、今でさえ内部で抗争が起きているのだ。集団がまとまるためには敵が必要だ。今ここで戦いをやめてしまったら、収まるかもしれない不満も爆発してしまう。
 そもそも、元は敵であった者どもの傘下に下るということそのものに、不満を覚えない者がいないとも限らない。
 ちなみにそれら全てはクィンにとってはどうでもいい。クィンは何もかもにも興味がない。彼女の望むのはただひとつ、ザルバッグとみんなとまた共に戦うことだけだ。
 そのための努力なら何でもする。かつて彼女が、彼女の好きな人達を生かすためだけに彼らを騙していたように。
 どんなに不利な状況にあったって、ザルバッグ隊は諦めずに戦ってきたのだ。隊長ザルバッグの下で道を切り開いてきたのだ。
 だからクィンも諦めない。絶対に自分の主張を曲げない。ザルバッグ隊長のザルバッグ隊と北天騎士団を守り抜く。
 そう思っていたのに。そのことこそが、クィンの望みを絶対実現不可なことにするだなんて。
 クィンはまた悲しくなって、ついに涙を流し始めた。今は誰も側にいないので一人ですすり泣く。
 できればウィリー、弓使い君というあだ名の彼に会いたかった。会って、彼の意見を聞きたかった。
 もしかしたら彼ももう戻って来ないかもしれないけれど。