イグーロス郊外。草木もまばらになり、剥き出しになった茶色の大地にその剣は刺さっていた。
 クィンと2人で買ったルーンブレイドだ。これは単に店で買っただけの、傷もない新品だ。
 シェルディはチョコボから降りてそこに歩いた。そして大地に突き立っているその剣を蹴り飛ばした。
 切っ先は大地を離れ、蹴られた剣は飛ばされる。細長い物体は回転して地面に落ち、わずかに跳ねただけですぐに静止した。
 刀身を照らす日の光もない。だからそれが輝くこともない。時間は夜。黒い闇が大地に覆い被さっていた。
「…………。」
 シェルディはしばらく、その剣を見つめる。その剣を通して何もかもを見つめる。
 私が初めてそれを見たのはベオルブ邸だった。輝く剣の切っ先は自分に向けられて、それの前に手も足も出なかった。
 それからはずっと、その剣と共に生きてきた。とてつもなく長い時間に思われたが、今改めて思えばたった10年のことである。
 10年。たったそれだけ。あっという間に過ぎ去ってしまった。
 その10年は私の死ぬための戦いから始まった。
 私は病気だった。今その名前を出せば誰もが笑って済ませるような、時代遅れの病だ。けれども当時の私にはそれを直すだけの金も希望も意志もなかったから、私はそのとき正に死のうとしていた。
 それでも忘れることのできなかった戦士としての誇りが、私をベオルブ邸へと向かわせたのだった。父の仇をとるという大義名分を胸に、私は死地へと赴く気高い戦士の心持ちで格好をつけて自殺しようとした。
 しかし私は死ななかった。彼の、ザルバッグの強い意志と力によって。生かされた。
 それから私は彼の下で戦うことを始めた。死ぬことではない、他の何かに理由を委ねて戦うことは、私にとってとても心地のよいことだった。
 いつしかそれが、私だけの唯一無二の理由になった。
 そうしていたら、彼はいなくなってしまった。彼自身の理由、目的──死ぬということのために。
 私の死ぬための戦いを止めた彼は、自分の死ぬための戦いで私の前から消えた。人を勝手に生かしておいて、自分が先に死んだ。それも、かつて彼が非難したはずの理由で。
 実に無責任な男だ。私が彼のせいで生きた10年、何か得たものがあるとすれば、それは不毛な恋心くらいのものだ。死のうとする彼を止める材料にすらなれなかった。誰にも明かすことができなくて、明かすわけにはいかなくて、あなたにも私にもみんなにも理解されきっていた、実にばかばかしい気持ちだ。
 うそだ。10年。たくさんの思い出があった。彼らは彼の仲間だったけれど、私の仲間でもあった。
 私はこの10年楽しかった。たくさん笑ってたくさん泣いて、たくさん悔しい思いをして、たくさん彼を思った。
 ねえ、ザルバッグ。あなたはどうだった?
 あなたの心は高すぎて、私にはとても計ることはできなかったけれど。楽しかった? 悲しかった? 自ら死を選んだあなたにも、生はすばらしいものだった?
 私はあなたのおかげで、生きることが楽しかったの。みんなやあなたがいたから。
 あなたにも、そうだったらいいと、思うわ。あのとき見せてくれた笑顔が嘘偽り、虚構なんかじゃないことを私は願う。
 でももうあなたはいないから、そんなこと絶対に分からない。本当に、無責任なひと。私から奪うだけ奪って、最後まで奪って、勝手に逝ってしまうなんて。
 でも、ザルバッグ。悔しいけど、私は、そんなあなたが好きなの。好きで好きでしょうがないの、だからずっと苦しかったの。
 シェルディは剣の刺さっていた地を足で蹴って、跡を消そうとした。後から来た誰かがここを見ても、何かが刺さっていたなどと気付くことのないように。誰にも分からないように。
 シェルディは泣かなかった。
 カーティスやエバンナは正式に墓を作らせていたが、彼の死を信じていなかったシェルディや信じないクィンにはそれは単なる石に過ぎなかった。無駄なことだった。そして彼女らは作ったのだった、墓ではなく目印を。
 彼はいないし彼の残したものでこれといったものもなかった。やはりこれでなくては、と思ったので、申し訳程度に店でルーンブレイドを買ってきた。そして刺した。
 そんなもの単なる自己満足に過ぎなかったが、公的に作られた墓にだって彼は眠らない。同レベルだ。
 いつ彼が帰って来てもいいように、すぐにここが分かるように、目印として、彼の使っていたものと同じ銘柄の剣を刺した。騎士団はなくなってしまったのでその代わりだ。




 あのとき、シェルディはザルバッグに突き放された。
 しかし、そのような行動などなくとも彼女には全て分かっていた。力を込めて叩き合って分かってしまった。今更、突き放すことなどただの追い打ちに過ぎない。
 けれどもシェルディは決めていた、絶対にこの人を行かせはしないと。行かせてなるものかと。それだけは決めていた。
 決めたことを曲げずにやり抜くのは、この人から教わったことのひとつだ。
「ねえザルバッグ。あなたが何をしに行くつもりなのか、私は知らないけれど。」
 嘘だ。全部予想がついている。
「どうしても行きたいって言うのなら、ひとつだけ約束して。」
 本当ならこんなふうに条件を突きつけられる立場ではないはずなのに。
「絶対に、生きて帰ってきて。死なないって約束して。」
「──約束しよう。オレは生きて、必ずお前のところに帰ると。」
「約束よ。破ったら承知しないから。」
「ああ。オレが約束を破ったことが、今までに一度としてあったか?」
 要するにそれはこういうことだった。この約束が彼にとって生涯で初めて破る約束になる。
「ない。信じてるわ、ザルバッグ。ずっと待ってる。」
 全部言ってしまってからシェルディは自分で自分に絶望した。結局こんなことしか言えなかった。
 行くな行くなと駄々をこねて、破られることが前提の形だけの約束をして。
 こんなことになるならせめて最後くらいは、聞き分けの良いよくできた女でいたかった。最後の最後になって愚かでわがままな女になってしまった。
 ザルバッグは出て行く、シェルディを返り見ることもせずに。
 ベオルブ邸からイグーロス城は、さほど距離のないところにある。すぐに追いかければ間に合う。
 しかしシェルディの足は動かなかった。彼を追いかけて、引き止めて、縋ることができなかった。
「(馬鹿みたい。これじゃ、約束守ろうとしてるみたいじゃない。)」
 ずっと待ってる。その約束を。むしろ、守らせるための約束に守られているようだった。




「(ねえ、ザルバッグ。あなたに初めて会ったときの私は、とても馬鹿な女だったわ。でも、今でもそれは変わってないのね。)」
 大地に風が吹くと、シェルディの夜の空に似た色の髪はなびいて揺らされる。
「(でも、ずっと馬鹿でもいいでしょう、あなたの知ってる私のままでいる。だからいつか、私を見つけて。ここに帰ってきて。
 死んでも待ってるから。ずっと待ってるから。死なないって言ったあなたを信じて待ち続けるから。
 そう思うくらい、いいでしょ。あなたは私にひどいことばかりしてくれたんだから。)」
 仲間達は皆誰もがザルバッグを好いていたが、その気持ちはどれも似ているようでどこまでも異なっていた。
 シェルディは泣かなかった。
「(そうよね、ザルバッグ。)」
 シェルディは空を見た。ザルバッグではなく空を。
 夜の闇は端から少しずつ赤に食われ、その色を変質させていった。
 夜が明ける。空は群青色に染まる。そして今日が始まる。









十年戦争・終