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No.23

原作が素晴らしいのだから素晴らしい映画になって当然、という傲慢な態度で臨んでいるので、良いと思っても0点(当然のことだから加点対象にならない)、そこから加点や減点をしていく姿勢でいる。不満点を見つけたら減点。加点は、極めて独自性のある追加シーンがあったなど、映像にして良かった!とあえて思えた場合にする。ある程度長さのある原作を2時間の映画にまとめるのは当たり前、必要最低限のことなので加点対象にはならない。(一つの作品として成立させることすらできないなら映画化しなくていい)
聲の形でキャラ萌えはしていないのでキャラが動いて喋るということは加点対象にはならない。将也の声はイメージと違ったし。漫画が至上です。
という人間の書く感想です。ご留意ください。ネタバレを含みます。


▽良かった点
・花火
硝子の自殺のシーンがとてもドラマチックだった。

▽まじで許せない原作との相違点
・「友達」の手話の意味
硝子が手話を使った時点でその意味が分かるようになっていたが、硝子の意図は高校生時代になって初めて分かる形式のほうがよかった。小学生時代の硝子の行動は友達になりたくて行われているものだった、しかしそれは将也には分からなかった(声が届いていなかった)、というのが重要だと思う。
尺の都合もないのになぜわざわざこのタイミングをずらしたのかが分からない。

・殴り合いのときの硝子の笑顔
これなかったら本当にただの殴り合いじゃねぇか!!!
削られて私はかなり怒っている。

・机の上の落書き
硝子が拭く時点で将也の机を拭いていると分かったがこれもマイナス…。硝子の善意を一切受け入れない将也が硝子と殴り合う→後から硝子の善意と真実を知ってショックを受ける、この落差が良いのに。

・告白直前の「私の声、変?」に対する答え
「うん、変」だけで本来その後に続いていた「それでいいから」が削られていたが、これがないとただ将也が硝子を傷つけただけになるし、その直後の告白にも繋がらない。(何でマイナス発言をされた直後に「勢いで」告白するのか?)
「変だけど、それでいい」この発言はさりげないながらも硝子という人間の大きな救いになっているのだから削るべきではなかった。

原作をわざわざ変えるのだからそこに何らかの意図があるのだろうがこれらの変化はただただ原作の良さをなくすばかり。と思う。尺の都合はあるだろうが明らかに不要なシーン(将也がパンの券を捕まえるシーンなど)があるのだからそちらを削ることはできたはず。

▽次点で許せない点
・将也母と硝子母が友達に
二人が友達になるのはそれなりの時間が経ってるからこそ映えるもので、文化祭時点で友達になるのは早すぎでは。無理に入れる必要のないシーンだと思う。

・文化祭で、みんなの×が取れて泣く将也
原作では泣いてないじゃん。分かりやすい感動劇にされたみたいで幻滅した。余韻もくそもない。
作品としてまとめる以上仕方がない面もあるとは思うがんばろうね。
でもだったら原作の良さを歪めてまで映像化する必要はねーんだよ。

原作を好きな身からすると不満点があるが、一応作品としてはまとまっているし、映像や音がきれいでそれなりのクオリティはあった。硝子やマリアがかわいかった。いくつかのシーンでは泣いた。部分的に見れば原作の良さを活かしていたように思う。結論としては観に行ってよかった。

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