No.255
2022/7/29 好きなもの 編集
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結局大した外的要因がなく、一時期入院してた病院からはひたすら「あなたは鬱ではない、将来に不安なだけです」と言われ続けたくらいなんで、(かかりつけでは鬱診断降りてんですが)よく分かりませんでしたねぇ。
ただまあここまでくると診断というラベリングはやはりその人の本質を決めはしないため、どうでもよかろうなのだ??
けれども、本当に病んでたときはなんでこんなにしんどいのか答えと理由と許しが欲しくて診断はしてほしかったですね……。今だからこそ、「鬱かどうかはともかく精神的に参っててしんどいのだから診断によらずに自分を許してあげればいいのに……それができないからこその堂々巡りで、さらに診断も降りなければ周囲にも認知されないから人権がなくてかわいそう!」とわろてられますが。当時は死ぬ思いでしたわよ。
大学後半あたりでどうにもメンタルが参ってしまいあれだけ好きだった勉強にも手が付かなくなり、さらには創作も……。何にもできず横たわって天井を眺める日々!
とにかく「動けなく」なってしまって、就活も当然できず無事卒業!ニートの爆誕です。
外的要因はなかったです。いじめられてもないしパワハラも受けてないし働いてもないし。恋人に先立たれたとかも。何にもない。私のメンタル構造の根幹がねじ曲がってもはや病的ぽくて、毎日毎秒自責し続けてたらなんか動けなくなってましたねー。
目ぼしいきっかけは「理想の素晴らしい大学生になれない」からでした。元々学校における人付き合いが大嫌いだったので、勉強だけできてればそれでいい…と信じて大学入って友達作りを一切しませんでした。
努力しなくても人が寄ってくるタイプなんかではもちろんないので、ひたすらぼっちでしたね…。
別にその生活自体に不満はなく(気を許せる間柄の人はいなかったわけではないしね)、そのままでいたかったのに、周りはやっぱり自分とは違うじゃないですか。友達いるのが普通だし、グループで楽しく過ごしてる。
私に話しかけてきたのなんて同じくぼっちの、宿題を写させてほしい外国人だけだったよ。(もちろん友達ではない) 国費で留学させて頂いてんのに課題出る度に人に写させてもらうって、なんのために大学来てんのオマエ???キャハハハ!くらいには当時呪ってました。許すまじ。
自分を責めたくらいで~?と訝しがられるかもしらんですが、私の主義としてやるなら徹底したい、がありましたので、あくまで自分を責めるのは「ポーズ」ではいけなかったんですよね…。
自分を責めることが自分を甘やかすための布石になってはいけない。だからこそそれはもう徹底的に。いついかなるときも。何をどうしても。完膚なきまでに自分を責めて痛めつけていました。
ただこれは本当に内的世界の話なので、言葉でどれだけ尽くしても程度がよそに正確に伝わることは一生ないと思います。でも一応それらの結果として、「本当にやりたかったこと」さえも手に付かなくなる、動けなくなる、日中の活動レベルがひたすら下がる…という心身相関が起きてたことは事実です。
縋るものが勉強しかなかったのに、それ自体ができなくなっちゃうという本末転倒愚かの極みっぷり。そしてその「動けない」事実そのものがさらに自分を責め…と、負のスパイラルでした。
だから当時はやたらと「人に分かってもらうこと」にこだわっていた気がします。別につらみ痛みの程度まで同じレベルに下がって賛同ほしいのではなくて、ただただ「苦しんでいる自分」を「そうなんだー」と納得してほしかった。それだけ。
なまじ私が普段から明るくおちゃらけた言動で、「自分を律せない奴はぐずだ」が信条だったので、基本的に不機嫌や落ち込みがふるまいに現れて他人を害したり…とかはないタイプのメンヘラなので、本当に鬱に対する典型的な「甘え」「努力不足」「怠けてるだけ」てのをかなり思われて・言われてました。
端的に「遊びたいから就職しなかっただけでしょ」とか思われるのが本当にしんどくてしんどかったですねー。自分で自分のしんどさを受け入れることすらできず、周りにも納得されてなかったので、じゃあどうすんの死ぬの?みたいなね。
死ぬ勇気さえあれば死ねたんですが、いかんせん生来の性格が最強のビビりなので、痛いのが本当に怖くて死ぬことは絶対にできなかったです。でもそのへんも「どうせ死ねない程度のつらさなんでしょ(笑)」要素であるというね…。
このへんの経験を経てとにかく思ったのは、人には人の価値判断感情授受の基準と程度と方向性があるのだから、安直に自分のものさしでその人の対外要素のみを切り取って内なる感情の度合いを測定するのは愚の骨頂ということですね。
自分の努力ではどうにもならないほどに落ち込んで病んで、どん底にいった経験がない人こそ、自分のものさしだけで人の感情を測りがちな気がします。大したしんどい出来事もないなら大丈夫!死んでないなら大丈夫!みたいなね。そして軽率にその人の「心の強い(弱い)」で物事を語りがち…。語ればまた長くはなりますが(笑)、「私メンタル強いから」とのたまう人の実際鈍感無知傍若無人迷惑野郎奴っぷりですよ。(なんならメンタルにダメージを受けてそれでも生きようともがいてる奴こそが最強ですからね…自賛になってて恥ですけど)
だからこそ、「他人の感情は分からないけど、あなたがつらい状態にいる事実は分かるよ」という優しさを、せめて私だけでも忘れないでいきたいです。
そんなんでひとまず、病みました!という内容に触れたので、そのうち後編として、うつヌケました!内容に触れようと思います。
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