てがろぐ - Fumy Otegaru Memo Logger -

No.293

セマンティックとスタティうんたらですね(未だに覚えられてない)
-----
検索したらsemanticとsyntacticだった。そら予測でも出んわ。

私が常日頃考えてることって結局このへんに行くのかもな~~と最近考えてます。
構文論は単なる記号の集まり(特定の文法には沿ってたのか?よく分かってないです)で、そこに意味をもたせて実用してくのが意味論なのかな…とふんわり解釈してます。

例としては適切ではないかもですが、例えば算術演算子、加減乗除の+-×÷。これらと数字を組み合わせて並べたのが構文です。
1+1=2 (加法の文法には則っている)
とはいえこれだけでは単なる機械的な演算に過ぎません。このような記号の羅列をなんやかんやするのが構文論。それを、「りんご1個ともう1個、合わせて2個」という意味でもって解釈します。すると実生活で利用可能になります。これが意味論。
なんや当たり前のこと言うとるだけやんけ我ぇ…て言われるかもですが、実際1+1=2という構文を日常感覚に置ける和算として読み解く必要性は必ずしも無いのですよね。
1+1=suc(1)=2(1の次の数字は2である)という読み方でもよいわけなので…しょうもない例ですが…。
(たぶん割り算のほうが解釈のパターンが分かりやすく多いのでそっちのがよかったかもです

つまり構文は客観的な事実をぽんと置かれただけにすぎず、それだけでは何事をも成しはしない。意味付けされて初めて実世界に顕現でき、そしてその意味は人間が見出だすものであり…という。
ふうに小並感として解釈しています。厳密な理解が追い付いておらずすまぬ~~許してくれ警察~~!

純粋数学が哲学的と言われる所以がこのへんなのかなあとこないだ感じたのでした。唯物論と唯名論が関連ですよね。
まあこちらの場合は現物ありきの世界観重視か、そこから受ける人間の印象ありきの世界観重視か、という対立だったはずでした。だから、別にセマンティクスとシンタクティクスは対立構造ないし特にどうというわけではないのですが。
ただ何が凄いかというとやはりあくまでも構文論と意味論は数学でしかないので、いずれにせよ体系的な理論が構成されており、真偽の概念が見出だせるということにありますな。
哲学は哲学することが重要かと思われますので、別に何が正しく何が間違っているか、区別はないはずですし…。

最近の日常生活では、私はとにかく常に鬱屈としてるタイプの陰キャなのですが、世の中のあらゆる物事(客観的事実や事象。いわゆる構文)に対する意味付けの問題なのだなあと感じています。
仕事中怒られた、とかの場面ひとつ取っても、怒ってきた相手何くそー!で終わらず、このように怒られたのは私が××だったからだ、とか、自罰的思考にすぐ走ってしまう。(別に今の職場優しすぎるので誰も怒りませんが…)
私がこの、人生という数学をプレイするにあたっては、もう少し自分が気持ちよくなれるような意味論を構築していきたいものですね~~。
上手く言ったつもり!
別に教訓無いです。終わり。最近ちまちまblog書いててえらいですね。
-----

好きなもの 編集

■全文検索:

-->searchmode

■複合検索:

  • 投稿者名:
  • 投稿年月:
  • #タグ:
  • カテゴリ:
  • 出力順序:

■日付一覧:

■カテゴリ:

Powered by てがろぐ Ver 4.7.0.